染み入る日常


「うん、そう。意外とサラッと終わった。うん…え?はは、そうそう墓穴。」

「うん…うん、あ、今?ふふっ私が思った通りになってるよ。見せたいぐらい。」

「え?立海?…部員の一人が女性関係で面倒な事になってるって何それ。え?私が?嫌だよ面倒くさい。」

「はいはい、いつかね。…ん、分かった。会いにいくって。じゃあね、精市。」

ケータイが切れた無機質な音が響いた。
麗華はキャスターの付いた椅子に座りながら、いつものように窓から外を見ていた。
そこからはテニスコートも見える。
そこで繰り広げられる様に、彼女は楽しげに笑った。

「今回は案外簡単だったね。面白そうと思って一年の時マネージャーやってて良かった。」

ふふっと笑いながらくるくると椅子を回す。それを机に座りながら眺めていると、ケータイをいじっていた慶が寄って来た。

「なー噂流したらアイツ孤立してるらしいよ。」

「まぁそりゃそうだろうね。あれだけ自作自演が巧ければ。」

クスクスと嘲笑う麗華に、俺は何も言わない。
彼女が楽しければそれでいいと思うから。

正直俺だって楽しくないわけじゃない。

「秀、」

「…ん。」

「あの子は落ちるかな。」

「…落ちないんじゃない。」

「そう…つまらないな。」

「俺は落ちないで欲しいなー」

「慶は誰だってそう言うじゃない。この仕事本当は嫌いなくせに。」

「そりゃ人を陥れるの好きじゃないしさー」

「陥れてるんじゃない。心の動きを見てるんだ。」

「よく言うよ。人が落ちる瞬間が一番好きとか言ってるくせに。」

「じゃあ私に協力しなきゃいいのに。」

「んーそれは無理ぃー麗華と一緒にいたいー」

「…語尾伸ばすのやめろよ。」

「うるせぇ秀!俺のライバルはお前だからな!幼馴染だからっていっつも麗華の傍に居やがって!俺の女だからな!!」

「……お前のじゃないだろ…。」

「しっ。誰か来た。」

麗華の言葉に俺も慶も口を閉じる。
じっと棚の奥を見ていると、ここ最近見慣れた顔があった。

「おや、理紗ちゃん。久しぶり。」

「あ、こんにちは。黄泉さん。」

「ふふ、どうかした?」

「はい、あの…相談があって。」

眉尻を下げて言う彼女に俺はチラリと麗華を見た。
その眼光に獲物を狙う猛禽類の光がある事に、加藤は気付けなかったのだろうか。
まぁ麗華の本性を知って困惑する姿を見るのは嫌いじゃない。

特に跡部なんかは傑作だった。
慶は複雑そうな顔をして眼鏡を掛け直す。
俺は椅子を用意する為に立ちあがった。



「それで、その…レギュラーの皆は本当に一生懸命謝ってくれたんです。」

「うん、そっか。」

「本当に嬉しくて、都合いいかもしれないけど、大会まで一緒に居て欲しいって言われて泣いちゃって…」

「うん。」

「これも黄泉さんのお陰です。霧生君も二階堂君も、本当にありがとうございました!」

椅子に座りながら精一杯頭を下げる加藤に、あぁやっぱり落ちなかったか、と冷静に思った。
チラッと反対側に立つ慶に視線を送ると、心なしかホッとしたような表情だった。

「いいよ。…それで、相談っていうのは?」

にこりと微笑んだ麗華にゾッとした。

「はい…あの、えりなちゃんの事なんですけど…」

「うん?また何かあった?」

「いえ…その、今度はえりなちゃんがレギュラーから苛められてるみたいで。」

「ふぅん…まぁでもアレだけの事を理紗ちゃんにしたら当然だよね。」

「で、でもっ…なにもあそこまでしなくてもいいんじゃないかってくらいで!私が気にしてないから止めてって言っても、皆やめてくれないんです。」

困った様に訴える加藤。
ダメだな。純粋すぎる。
お前みたいに自分より他人を大切にしようとする奴は、麗華の興味の対象だ。

ほら、麗華が笑った。

「へぇ…それで?」

「それに、何でかえりなちゃんクラスでも苛められてるみたいで…前はクラスの中心みたいな子で、苛められるような子じゃなかったのに。…だから、おかしいなと、思って。」

「…うん、それで私は何をしたらいいのかな?」

「何を、っていうか…苛めをなくしてあげて欲しくて。」

期待の眼差しを向ける加藤。
それを慶が困ったように見つめていた。

俺は小さく笑った。

麗華は慈善的にこの解決屋をやっているんじゃない。
ただ自分の満足の為にやっているんだ。


「何で?」

「え…」


黄泉がその期待に応える事など、ない。


「何でって…」

「何で私が助けなきゃいけないの?因果応報で苛められるのは当然だよね?」

「当然、ってそんな…」

「だっておかしいじゃない。あの子だけテニス部辞めて、君を苛めた事なんてなかったように過ごすなんて。」

「黄、泉さん…?」

「それにテニス部だって理紗ちゃんと接するのが気まずくなるじゃない。騙されていたとはいえ君を傷付けたのは彼らなんだから。」

「それは…」

「だから教えてあげたんだよ。理紗ちゃんをマネージャーとして傍に置きたいならえりなちゃんを同じ目に遭わせたらいいんじゃない?って。」

「!!」

「アイツ等はね、無実の君を傷付けた事を後悔してる。やり場のない虚無感と焦燥感に苛まれてる。あんなに酷い事をして許されるのか。だから私はその捌け口を教唆しただけ。」

「まさか…黄泉さんが言ったんですか…!?えりなちゃんを、あんな…っ苛めろって!!」

「苛めろ、なんて言ってないよ。理紗ちゃんに負い目を感じるならえりなちゃんに同じ事をすれば許されるんじゃない?とは言ったけど。」

「なんで…なんで!!私はそんな事望んでないのに…!!じ、じゃあ…もしかして…クラスで苛められてるのも…」

「あぁアレね。テニス部に取り入ろうとした馬鹿女っていうメールを匿名で回してみたら思いの外流行っちゃって。ねぇ?」

麗華の視線が流され慶を向く。
すると慶は気まずそうに頷いた。
愕然とする加藤は大きな音を立てて椅子から立ち上がった。

「どうしてそんな事するんですか!!」

「どうしてって…慶はネットとか得意だからそっち系をやってもらってるんだよね。」

「そうじゃなくてっ!!…なんでこんな酷い事…!」

「だって私が君を助けたの、この為だし。」

「え…?」

訳が分からないと困惑する加藤に、麗華は笑った。
くつくつと、喉で笑う音が周りに木霊する。
感情が高ぶる他人の様子は、彼女の大好物だ。

「人の感情が真っ逆さまになるのが好きなんだよね。」

「…ど、…いう、」

「優位に立つ奴が下位だと思っていた奴と立場が逆転した時、どんな風になるかなぁって。まぁ見事君は優位に立ったわけだけど。私は君に興味があるんじゃなくて、優位者がドン底に堕ちる様に興味があるんだよ。」

「……、」

「それに理紗ちゃん言ったじゃない。“えりなちゃんはどうでもいい”って。」

「…!!」

「まぁ正直、理紗ちゃんがえりなちゃんを苛める所まで落ちてくれたら最高だったんだけど…」

がたん、と椅子が音を立てた。
加藤が力なく椅子に座り項垂れる。

憔悴しきったその姿に、俺は思わず口元を覆った。
麗華は人の落ちる様や感情が剥き出しになる様が好きだと言うけれど、俺は憔悴しきった様こそ滑稽だと思う。

それが、自分の間違いによって引き起こされたものなら尚更。

声を抑えて笑うと、加藤の視線がこちらに向いた。
その唇が動いて「霧生君、」と呟いた。
申し訳ないが俺は麗華に加担している。期待には応えられない。
小さく笑うと、彼女は目を見開いて悲しげに俯いた。

「君は悪くないだろう。やっと日常に戻れたのに何を落ち込むの?」

優しく黄泉が手を伸ばす。
加藤の頬を撫でながら、彼女は囁いた。

優しいその声に、加藤が顔を上げた。
その頬に涙が伝う。それを指で拭いながら黄泉は笑った。

「大丈夫、誰ももう君を苛めたりしないから。」

「そうじゃなくて…だってそれじゃあえりなちゃんは…」

「えりなちゃんが君の生活に何の関係が?もしアイツが理紗ちゃんに何かするならまた助けてあげるよ。」

「…っ」

加藤は押し黙った。
唇を引き結んで涙を堪えている。

その顔も、嫌いじゃないけどね。


「だから、私の楽しみを無くすのは止めてね?」

「…黄泉、それ以上は。」

「慶、黙ってろよ。」

堪えられなくなったのか慶が口を出す。
それはさせない。
だってこの解決屋がなくなってしまえば、俺の数少ない楽しみも減ってしまうのだから。

目線を戻せば、妖艶に微笑む麗華がいた。



「解決屋の事は他言無用…わかってるよね?」



力を失った加藤の腕が垂れ下がる様に、俺は笑った。
黄泉の笑い声は、耳に心地よかった。


end

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