神にのみ わが心を捧げん
Gott soll allein mein Herze haben

 新米のジムリーダーに決まってから、インタビューを受けることが多くなってきた。何度か受けるうちに、大体聞かれる定番の質問もわかってくる。わたしはその場で答えるのに弱いので、インタビューの前日には必ず答案を用意しておくことにしている。夜のくらい部屋の中、キュウコンが部屋の隅でくつろいでいるのを横目に、わたしはノートパソコンのキーボードを鳴らす。

Q.ジムリーダーとなる際、どうしてこおりタイプを選んだんですか?

 わたしが初めて手にしたこおりタイプは、今そばで横になっているキュウコンだ。妹が生きているときから彼はいる。昔から彼はわたしに懐かなかったし、今も大して懐いていない。妹のポケモンとは大違いだ。妹のポケモンはどれも人懐こく、妹とは一緒に眠るほど仲が良かった。妹はよくわたしのポケモンを「冷たいのね」と可哀想なものを見る目で笑った。わたしのポケモンたちは、そういう妹に対して少しだけ眉を顰めていたが、あからさまに嫌でもないらしかった。
 わたしが、こおりタイプを尊く思うようになったのは、妹のおかげだ。それには、長い話をしないといけない。

 わたしとこおりタイプが一緒に眠ることはなかったが、わたしと妹は昔から一緒に眠っていた。わたしと妹の部屋が分かれる前はとくにそうだった。部屋が分けられた最初の夜、妹はわたしの部屋にやってきた。
「お姉ちゃん、ねむれないの……」
 わたしは妹を布団に招き入れると、妹のピチューと共に眠った。妹は、気配が強い。そこに存在するのだ、というエネルギーが、妹には満ち溢れていた。わたしはここがどこだかわからなくなりながら、妹の金糸に絡まって眠りについた。
 妹は毎晩ではなかったが、それからもよくわたしの部屋に来ては共に眠った。そして、ある日キスをした。妹からだった。唇に唇が重なった。妹の唇は柔く厚みがあって、蕩けるようなぬめるような感触をしていた。至極当たり前のような態度でするものだったから、わたしも当たり前なのだと思って、その日もふだん通りに同じ布団で眠った。
 次の日も次の日も妹はわたしの部屋に来ていた。やがてはほとんど毎晩、妹はわたしの部屋に来るようになっていた。次第に妹の所有物もわたしの部屋に散らかるようになり、妹のロトムなんかわたしの部屋でよく遊んではいたずらを仕掛けていった。一方わたしのものは段々と引き出しの奥に追いやられていったけれど、そのことに気がついたのはもうここが妹のもうひとつの部屋になった後だった。わたしのポケモンたちは随分とご立腹だったらしいが、わたしは叱ることもせず、ただ傍観していた。
 ある日、妹と一緒にお風呂に入っていたときだった。妹のからだは綺麗だった。第二次性徴を迎えつつある、細さとふくよかさの両方を兼ね備えた曖昧な体をしていた。シャワーが掛かると、膨らんだ胸の先端から水滴が流れ落ちてゆく。濡れてからだに張り付いた長い金糸が綺麗で、その背中のラインを視線で辿る。シャワーを止め湯船に入ろうとこちらを向いたとき、妹はわたしの視線に気がついたようだった。妹の生命感あふれる唇がぬめ、と動いた。
「お姉ちゃんの、えっち……」
 妹は足を伸ばして座っていたわたしの腹に跨ると、そのままキスをした。それは眠る前にするやさしいものではなかった。わたしの喉に両手を添えて、軽く締めるようなポーズで、妹が上から蝕んでくる。浴槽の端に後頭部を預けて、わたしは妹の唇を受け入れた。妹の乳房の柔らかさがわたしの肩に乗った。妹のからだは熱く、わたしのからだも熱かった。
 その日の夜、わたしは妹と共に眠りながら、夢を見た。喋るたびに歯がぼろぼろと抜ける夢だった。さらに蛇がわたしの首を締めながら口内に入っていき、胃のなかの蛇に蝕まれていく夢だった。恐怖で目を覚ますと、ちょうど起きたらしい妹がまた唇に触れた。妹の気配は濃く、熱い。わたしは、何も思えなかった。
 妹の気配は、わたしの元から無い気配を吸ってますます濃くなっていくようだった。それが一番濃くなるのは、妹がピアノを弾いているときだった。思い出そうとすると、うまく思い出せないのだが、わたしの家の三階にはガラス天井の大部屋があった。窓も全面ガラス張りで、床は白い大理石のタイルが敷き詰められていた。柱もほとんどなく、まるで空に浮いたかのようなその部屋の中央にグランドピアノがあった。真白いグランドピアノだ。妹はそのピアノで、わたしに演奏を聴かせてくれた。妹の演奏は奔放だ。楽譜も完璧に読めるわけではないから、アレンジとも呼び難いアレンジを加えた酷いものだった。だが、それが妹の魅力だった。わたしの存在を押し潰し圧倒し、わたしがいかにちっぽけかを知らしめる演奏。わたしは数メートル離れた位置のパイプ椅子に座って、妹の演奏を聴いていた。
「お姉ちゃん、一曲弾けたら、わたしにご褒美ちょうだい」
「ご褒美ってなに……」
「キスして、お姉ちゃん」
 妹はわたしが頷く前に、演奏をはじめてしまった。
 妹の指が、ぐねぐねと奇妙に同じ四本の鍵盤を順番に叩いている。子犬のワルツだ。そらどし、そらどし、緩急をつけて、時に跳ねて、時にウットリと、しかし楽譜よりも明らかに長すぎるその「そらどし」が無限に繰り返される。「そらどし」をしていると、妹の指がみえない。何かとてもすばやい、いきものが妹の指に乗り移ったようだった。いもうとは、くちびるを開きからだを、うねらせ、こうこつに浸りながら、そらどし、そらどし、そらどしそらどし――ようやく無間地獄から抜け出し音階が上に駆け抜けたかと思えばまた、そらどしそらどし、そらどし、そらどし――わたしは演奏を聴きながら、わたしの砂の城が崩れていく想像をした。それはわたしが自らの手で崩した城だった。けれど、それを操るのは妹の指だった。妹の指先に操られマリオネットのようにわたしは砂の城を崩していく。やがて砂塵と化した想像上の風景から帰ってくると、わたしは自分の息が荒いことに気がついた。体温が上昇して、額に汗が滲んでいることに気がついた。それと同時に、妹の演奏も終わっていた。
 ピアノ椅子で脚をバタつかせ、無垢に微笑んでご褒美を待つ妹に近寄ると、わたしは腰を折ってキスをした。妹はわたしの頬を捕まえると、浴槽でしたような遊びを始めた。妹の唇はなめくじのようだ。妹の唇は妹の指のようだ。わたしは妹の唇に操られ、消えてしまった砂の城を思いかえした。あの城に住んでいたわたしは、ひとりだったけれど、幸福だった。誰もわたしに触らなかった。母親もない、父親もない、妹もない友達もない、そのお城は、今はない。もう想像すら出来なくなるだろう。妹の唾液が喉を通り抜ける。妹の液体がわたしの中に入ってきた。わたしのからだは、それを拒絶しなかった。
「お姉ちゃん、お願い、足舐めて……」
 わたしはしゃがむと、妹の右足を両手で持ち上げた。白いワンピースのなかから出てきた白い脹脛をわたしは撫でると、その甲に口付けた。妹の足は熱かった。指を咥えると、もっと熱くなった。咥えたまま見上げると、妹の薔薇色の頬が上気していた。妹は椅子から降りてわたしに跨ると、大理石のうえにわたしを押し倒した。つめたく心地良かった大理石が、わたしたちの熱で緩くなっていくのが、悲しかった。でも悲しみに沈む前に、妹の手があたえる信号にむりやり息継ぎをさせられた。
 そらどしそらどしそらどしそらどし。
 そらどしそらどしそらどしそらどし。
 ぐちゃぐちゃになってぐちゃになる。まぜまぜになってまぜになる。
 わたしは妹とセックスをした。
 ちょうどその日に、わたしのロコンはたまごから孵った。

 聖なるその生物は、わたしが部屋に戻り布団に倒れ込んだ瞬間、この世に音を響かせた。真白に青みのある斑点をつけたたまごが、リージョンフォルムのロコンのものであることは、譲り受けたときから知っていた。どんな姿のポケモンであるのかも知っていた。けれど、ミシと音を立てその前足が伸びてきたときに、そういう雑念の全てが消え去った。靴下を履いたような前足は羊水に濡れ、震えながらも懸命に外の世界を探っている。探る途中にぶつかった殻がだんだんと落ちてゆき、徐々に頭の姿が見え始めた。ぽろ、と決定的に大きな殻の塊が落ちると、その生き物はゆっくりと殻を抜け出し、外の世界に降り立った。それと同時に、わたしを見つめる。儚い雪のような色をした、つめたい瞳だった。わたしは未だ行為のせいで自分の体が熱いことにこの上ない羞恥を覚えた。まだ一本しかない尾のロコンは、しゃがみこんだわたしを見つめたまま微動だにしない。純白のからだについた液を拭うこともせず、ただじっと、わたしを見定めるようにそこに君臨していた。冷たさと、永遠の孤独が讃えられた瞳。
 わたしは、つぶやいた。
「かみさま」
 かみさまだ。
 わたしの、かみさま。
 わたしは、自分の頬に涙が伝っていることに気がついた。涙は冷たかった。一粒を皮切りにぼろぼろと音もなく溢れ出してきた涙に、わたしは自分の傷を知った。わたしが一番求めていたものを知った。孤独と、つめたさ。
 ロコンは醜いわたしをそのあまりにも美しすぎる魂で見つめてくれた。わたしを、裁いてくれたのだと思った。

 彼が生まれてから、わたしは息をするのが楽になった。はじめて、わたしはここに生きているのだと思った。彼は成長してもわたしに懐かなかった。というよりも、気まぐれだった。じゃれてくるから、勉強をやめて遊ぼうと思うと、するりとわたしの腕を抜け出して去っていってしまった。彼はわたしを見ていないのだ。そのことが、どれだけわたしを救ったか! 彼の生み出す氷の国を想うと、わたしはこれ以上ない安寧をおぼえた。氷の国で、わたしはひとり。ロコンたちはそばにいるけれど、彼らはわたしに不干渉だ。氷の国は、孤独の国。皆が幸福で、安心して暮らせる、理想の国。わたしは妹との行為の最中に、その世界を夢見た。砂の城ではだめだったけれど、氷のお城なら大丈夫。妹の濃い熱を以ってしても、このお城は壊れなかった。妹はそれが不快らしく、行為はどんどん過激になっていったが、わたしの心は氷の国に住んでいる。決して壊れない、氷の国に。
 妹は死んだ。わたしがジムリーダーとなるときに、こおりタイプの専門家を選んだのは当然だった。その時点でこおりタイプのポケモンは数多く手持ちにいた。レジアイスなんていう貴重なポケモンも含めてだ。こおりタイプは、清らかだ。清らかで不干渉で、皆孤独だ。わたしは彼らのそういうところが愛おしかった。信仰とはこういうことなのだと理解した。彼らはわたしを直接救いはしない。ただ、そこにいるということ、その存在が、わたしを救ってくれたのだ。
 だが、そのままに喋って仕舞えば、就任すぐにジムリーダー解雇だ。転職も難しいだろう。それは、困る。でも妹の話はメディアに喜ばれた。妹の跡を継いで……なんていう、美談だからだろう。わたしはその期待に応えようと思った。ほんとうは、妹の死なんかではないのだけれど。キーボードを叩く。

Q.ジムリーダーとなる際、どうしてこおりタイプを選んだんですか?

A.……妹の死のショックを救ってくれたのが、こおりタイプのポケモンたちだったんです。彼らのことを想っているときだけ、あの子のいない、悲しみを……、(ここで言葉を詰まらせる)忘れられるんです……。

 不意に目が覚めたらしい、キュウコンがゆっくり起き上がると伸びをした。そしてわたしの足元に寄ってくると、パソコンの画面を一瞥して元の定位置に戻っていく。わたしのかみさまにとっては、どうでもいいことらしい。当たり前だ。わたしは椅子から降りると、彼の元に寄り添った。キュウコンは表情を変えないまま、九尾のひとつでわたしの頬を撫でる。
 やさしい、やさしいわたしのかみさま。
 かみさまの、冷たいこおりの吐息が、わたしの痛みをないものにしてくれる。氷の国に、痛みはない。血も流れない。涙も何も流れない。孤独の国、幸福の国。理想の国。神様の国。
 いつか、世界中が、氷の国になればいい。わたしはその国を想いながら、背筋を伸ばし、目を瞑る。


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