今日は山鳥毛に背中を押されて普段の着物姿ではなく彼の初≠フ時の装束をイメージした洋装で出掛けたのだが……履きなれないパンプスに足が悲鳴をあげている。
 諸々の事情で山鳥毛に迎えに来てもらうわけにもいかず、痛む足を引き摺って何とか本丸まで帰り着くと、門の前には長身の影がひとつ。
 肩に内番服を羽織った山鳥毛が、静かに私を待っていた。
 赤い瞳は私を捉え、次いで足元へ落ちる。
「……おかえり、小鳥」
 穏やかな声だったが、その次の瞬間には少しだけ眉が寄る。
「その歩き方は、足が限界のようだね」
 彼の視線がパンプスのつま先を眺める。
「慣れない靴だったろうに、今日はずいぶん頑張ったようだ。」
「もう無理……帰ったら捨てる……」
 力なく零すと、山鳥毛は思わず肩を震わせた。
「ふふ……そこまで嫌われるとは、その靴も本望ではないだろう。」
 くすりと笑いながらも、その目は優しい。
「けれど、よく履いてくれた。」
 指先で君の手を包む。
「私のために選んでくれた装いだったのだろう?」
 初≠フ頃を思わせる洋装。
 普段から着慣れた着物と迷って、山鳥毛が良いと言ってくれたから選んだ服装だった。
「似合っているよ。誰が見ても素敵だっただろうが……私には少し困るくらいだった。」
 素直な賛辞。流石に贔屓目がすぎるだろうと苦笑して肩をすくめる。
「褒めすぎ」
「君があまりに愛らしくて、送り出すのをためらいそうになったからね。今日は楽しかったかい?」
「ん」
 痛みに気もそぞろな私の返事に、山鳥毛は少し間を置いてまた視線を足元に落とす。
「……帰ったら、そのパンプスは脱ごう。」
 声が少し甘く低くなる。
「湯を張ってある。足を温めよう。湿布も用意してあるし、必要なら私が揉みほぐそう。」
 指を絡めたまま、山鳥毛はふと悪戯っぽく笑った。
「それと、今度また洋装で出掛けるなら今度は履き慣れた靴にしよう。お洒落は君が笑って帰ってこられてこそだ。」
 そう言って繋いだ手を軽く引き寄せられると、肩が自然と彼の腕へ寄り添う。
 けれど私の歩は進まない。足の幅に合っていないせいで窮屈な靴。ぎりぎりと締め付けられてもうとっくに痛みは限界だった。
「……もう無理。一歩も歩けない。抱っこして」
 山鳥毛は一瞬だけ目を丸くして、それから堪えきれないというように喉で笑う。
「ふふ、そう来たか。」
 甘え一割、限界九割。山鳥毛は「歩きなさい」とは言わなかった。
「小鳥。」
 低く優しい声で呼ばれ、迷いなく片腕を私の背へ、もう片腕を膝裏へ差し入れられると、あっという間にふわりと身体が浮く。
 何度抱き上げられても、この高さには少しだけ胸がそわそわする。
 反射的に彼の首へ腕を回し、その胸へ頬を預けた。
 山鳥毛はその重みを確かめるように抱き直し、腕に少しだけ力を込める。
「これでいいかい?」
「ん、ありがとう。助かる」
 山鳥毛はくすりと笑って歩き始める。
「本当に限界だったようだね。ここまでよく頑張った。」
 歩みはゆっくりで、揺れはほとんどない。
 大きな胸板に寄り添っていると、一定の鼓動が伝わってきて、帰ってきたのだと安心する。
「集まりは楽しかったようだね。」
 山鳥毛の声に顔を上げればなんだか嬉しそうな顔をしている。遊んで来たのは私なのに。
「ものすごく。時間が足りないくらい楽しかったよ」
「その顔を見れば分かる。たくさん笑って、たくさん話してきたのだろう。羽を伸ばしてこられたようで何よりだ」
 私の事をまるで自分の事のように喜んでくれる山鳥毛の姿に自然と唇が緩む。
 彼に抱かれたまま廊下を進み、彼は自室の前で足を止める。
「今日はもう、小鳥は歩かなくていい。」
 山鳥毛は障子を開けて私を抱きかかえたまま部屋へ入ると、私をベッドに腰掛けるように降ろし、自分は床へ膝をつく。
「さあ、足を。」
 大きな手にゆっくりとパンプスを脱がされる。解放された足先がほっと息をついたようだった。
 しかし山鳥毛は赤くなった足先を見つめ、少し眉を寄せる。
「……やはり、かなり頑張らせてしまったね。」
 指先で足に触れる手つきは、壊れものを扱うように丁寧だった。
「今夜は私に任せなさい。」
 山鳥毛ならきっと痛む足も、痛くない身体も揉みほぐしてくれるだろう。
 しかし彼の言葉に思い出すのは見送りの際に帰ってきたら、覚悟しておくように≠ニ言った彼の声。
「……明日は休みだけど、あんまり無理させないでね……?」
 山鳥毛は小さく肩を揺らして笑った。
「その台詞は、ずいぶん可愛らしい牽制だね、小鳥。」
 赤い瞳には悪戯っぽい光が宿っているのに、その手は少しも乱暴ではない。疲れているのを気遣って、触れ方はどこまでも優しい。
「安心するといい、今日は君の足が最優先だ。」
 山鳥毛は指先で足首を包み込み、温めるようにゆっくりと手を添える。
「……よく耐えたね。」
 その一言には、労わる気持ちが滲んでいた。
「慣れない靴で一日歩き回るのは、戦場で合わない草履を履くようなものだ。辛かったろうに、それでも君が楽しんで帰ってきてくれて良かった。」
 優しく足をほぐしながら、山鳥毛は微笑んで顔を上げる。
「それに、今日は本当に綺麗だった。私を思って選んでくれた装いを見た瞬間、ああ、これは帰ってから落ち着いてはいられないなと思った。」
 私は照れ隠しに視線を逸らしながら、小さな声で言う。
「……出がけにも言ってたもんね」
 その言葉に山鳥毛は一度だけ目を細め、それからくすりと笑った。
「ふふ、その覚悟≠思い出しての牽制だったのか。」
 山鳥毛がそっと私の手を取り、自分の指を重ねる。
「小鳥。」
 穏やかな声で名前を呼ぶ。
「私が欲しいのは、君が無理をすることではない。」
 親指で私の手の甲を優しく撫でる。
「君が笑って私の隣にいてくれたらいい。疲れて眠くなれば眠ればいい。途中で『もうだめ』と言えば、その時は腕枕でもして一緒に眠ろう。」
 少しだけ身を寄せ、鼻先が触れそうな距離で微笑む。
「もちろん……送り出した時の言葉に偽りはない。」
 その声には甘さが滲む。
「けれど、君の足を見た今は、まずこの頑張った身体を甘やかす方が先だ。」
 山鳥毛は立ち上がると、湯気の立つ桶を運んできて私の足をそっと浸した。
「今日は外でたくさん頑張った。だから今夜は、その分だけ私に甘やかされなさい。」
 そう囁く彼の表情は、どこまでも余裕に満ちていて、それでいて私を何より大切に思ってくれる恋人そのものだった。




 304 216