花火

 夜の本丸は、昼間とはまるで違う顔をしていた。
 展望の間の外には濃い藍色の空が広がっている。その向こうでひとつ大きな花火が咲いた。遅れて届いた音が、身体の奥まで震わせる。
 
「……綺麗」
 
 思わず零した声は、隣に座る山鳥毛にも聞こえたらしい。彼は何も言わず、ただ私の隣で夜空を見上げていた。煤色の髪が、窓から差し込む花火の光を受けて淡く色を変える。赤い瞳にも一瞬だけ鮮やかな光が宿って、それが消えていく。私はそんな横顔を眺めるのが好きだった。花火よりも綺麗だと思ってしまうくらいには。
 またひとつ、夜空に大輪が開く。赤、青、白。無数の光が弾け、ほどけ、そして儚く消えていく。
 
「……延命息災」
「え?」
 
 唐突に呟かれた言葉に、私は山鳥毛を見る。けれど彼はこちらを見なかった。夜空を見つめたまま、ほんの少し口元を緩める。
 
「そら、次が来るぞ」
 
 促されて慌てて外へ視線を戻す。直後、夜空の底から、光が一気に駆け上がった。
 
「わ……」
 
 大きな音とともに夜空いっぱいに次々に大輪の花が咲く。まるで空そのものが祝福をこぼしているみたいに色とりどりの光が降り注いだ。私はすっかり見入ってしまった。ただ夢中になって空を見上げる。
 やがて、最後の花火が夜空いっぱいに広がった。大きく咲いた光が、細い光の筋になって落ちていく。
 きらきら。きらきら。
 まるで星が零れていくようだった。その光を眺めながら、山鳥毛が静かに口を開く。
 
「いつまでも健やかでいてくれ。それに勝る望みなどないさ」
 
 ゆっくりと彼を振り返ると優しい顔をしていた。いつもの余裕のある笑みよりも、ずっと静かで、柔らかな笑み。
 
「……それって」
 
 さっきの、延命息災。
 
「私に、長生きしてほしいってこと?」
「ああ」
 
 あまりにも迷いなく返されて、胸の奥がきゅっとなる。私は少しだけ唇を尖らせた。
 
「でも……私、死んだら山鳥毛のお嫁さんになるんだよ?」
 
 ずっと前から話していることだ。
 私の家の信仰では、死後は祖霊となり、神様の末席に籍を置く。だからその時になれば、今は人と付喪神として生きている私たちも同じ側に立てる。肩を並べて。同じ時間の中で。私は山鳥毛のお嫁さんになる。それがずっと楽しみだった。
 けれど。
 山鳥毛は困ったように目を細めた。
 
「……君は本当に、それを楽しみにしているな」
「うん」
「私としては、少々複雑だ」
「どうして?」
 
 問いかければ、山鳥毛は一度だけ息を吐いた。
 
「君が死んだ先の話より、君が生きている今の話をしたいからだ」
「……」
「君には、人としての命を最後まで全うしてほしい」
 
 その声には冗談もからかいもなかく、ただひどく真っ直ぐな願いだけがあった。
 
「美味いものを食べて、よく眠って、笑って、時には腹を立てて。季節が巡るたびに、今年もこうしてふたりで花火を見られたと喜んでくれればいい」
「……うん」
「そして歳を重ねていく君を、私は隣で見ていたい」
 
 胸が、じんわり熱くなる。
 
「……私がおばあちゃんになっても?」
「ああ」
「しわしわになっても?」
「それも君だろう」
「髪が真っ白になっても?」
「似合うだろうな」
「歩くのが遅くなっても?」
「私が合わせる」
「杖をつくようになっても?」
「必要なら支えよう」
「……すごく年を取っても?」
 
 何度も尋ねる私を、山鳥毛は少しだけ笑った。
 
「小鳥」
 
 その呼び方があまりにも優しい。
 
「君はどうして、私が君を愛する時間をそんなに短く見積もる?」
「……え」
「私は、若い君だけを愛しているわけではないさ」
 
 そう言って大きな手が私の頭へ伸びてくる。髪を撫でる手つきはいつもよりゆっくりだった。
 
「今日の君も、明日の君も、その先の君も。変わっていくものを含めて君だ」
 
 撫でられるたび胸の奥がほどけていく。
 
「だから、死後に私のもとへ来ることを楽しみにしてくれるのは構わん」
「……うん」
「だが、それを急ぐ必要はない」
 
 赤い瞳が、真っ直ぐ私を見る。
 
「その時が来るまで、私は君をこちら側で大切にする」
「……山鳥毛」
「そして、いつか本当に君がこちらへ来たなら――」
 
 そこで彼は少しだけ目を細めた。
 
「その時は改めて、私の隣へ来ればいい」
「……お嫁さんにしてくれる?」
「ああ」
 
 即答だった。思わず笑ってしまう。
 
「じゃあ、今は?」
「今は恋人だが、君が望むのなら二度祝言をあげるのもいいな」
 
 そう言って山鳥毛は私の手を取る。私の手は大きな掌にすっぽり包まれた。
 
「だから今は、私と一緒に生きてくれ」
 
 指を絡められる。
 
「来年の花火も見よう」
「……うん」
「その次も」
「うん」
「そのまた次も」
「うん……」
 
 返事をするたび胸がいっぱいになる。死んだ後に迎えに来てくれる。それはもう私たちの間では約束されていることだった。だからこそ今すぐその約束を果たそうとせず、私がこの世界で生きていくことを望んでくれる彼の気持ちがたまらなく嬉しかった。
 私は繋がれた手を握り返す。
 
「……じゃあ、いっぱい長生きする」
「そうしてくれ」
「山鳥毛もね」
「もちろんだ」
「約束だからね」
「ああ。約束だ」
 
 夜空には最後の花火の残光がまだわずかに漂っていた。私はその光を見ながらそっと山鳥毛の肩へ寄りかかる。彼は何も言わず私が落ち着くように肩を預けさせてくれた。
 静かな夜、もう花火の音はしない。それでも私は寂しくなかった。来年も、その次も、もっとずっと先も隣にいるのだと思えるから。
 そしていつか、本当に最後の時が来たなら。その時はきっと、いつもと同じように。
 
「おかえり、小鳥」
 
 そう言って、彼が迎えてくれる。
 そんな未来まで含めて、私は今夜の続きを生きていくのだ。




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