巣籠

 山鳥毛から修行前に借りた内番着を抱きしめながら、洗いに出さなければと思いつつまだ手放せずにいる。
 内番着は一着しかない訳でもないし、もし洗い替えが不足するなら新しいものを発注すればいい。
「このまま貰っちゃダメかな……」
「――ほう?」
 背後から落ちてきた声は、喉の奥で笑いを噛み潰したように低く甘かった。
 いつの間に戻ってきていたのか。障子の開く音にも足音にも気付かなかった。振り返るより先に、長い腕が後ろからそっと腰を抱き込み、そのまま背中へ大きな胸板が寄せられる。修行を経てなお変わらぬ熱と、以前よりわずかに強くなった抱擁の圧。
 逃がさない、とでも言うように。
「なかなか戻ってこないと思っていたが……まさかこのまま貰うつもりとは」
 耳元で囁かれ、肩がぴくりと揺れる。
「だ、だって……」
「うん?」
「なんか……こう……返すタイミング逃しちゃって……?」
 言い訳めいた言葉を並べながらも、腕の中のジャージを抱き込む。
 もう彼の香りはほとんど残っていない。それでも、不在の夜を一緒に越えた布だ。眠れぬまま抱き締め、恋しさに耐えた証みたいなものだった。
 山鳥毛はそんな様子を見下ろして、ふ、と目を細める。
「とうに香りは飛んでしまったのではないか?」
「……うん」
「それでも手放したくないのか」
 低い声が、妙に優しい。
 返事の代わりに少しだけ彼の腕に体重を預ければ、山鳥毛は喉で小さく笑った。
「困った主だ。私の不在中、そんな顔でこれを抱いていたのかと思うと……嫉妬すべきか、愛おしむべきか迷うな」
 首筋へ、軽く鼻先が触れる。
 そのまま彼は私の肩越しにジャージを覗き込み、ふいに袖を摘まんだ。
「だがこれは既に君の匂いに染まっている」
 するり、と指が布を撫でる。
「私のものだったはずが、すっかり小鳥に飼い慣らされてしまったな」
 くす、と笑ったあと、彼はわざとらしくため息をつく。
「……仕方ない。そこまで執着されては、取り返す方が野暮というものか」
 それとも……、と囁いて、抱き込む腕に熱が籠る。
「君が欲しいなら、新しいものを与えてもいいが……?」
 耳朶へ唇が掠め、ぞくりと背筋が震える。
「例えば、私の羽織。寝巻き。あるいは――毎晩、香りが飛ぶ暇もないくらい、直接抱き締めて眠る権利でも」
「……くれるなら全部もらうけど」
 揶揄うつもりで言ったのかもしれない。しかし私はこと山鳥毛に関してはとても強欲になる。着用済みの衣類をくれるのなら遠慮なく貰うし、彼を毎夜抱きしめて眠っていいのならそんな権利みすみす逃すなんてもったいない。
「……はは」
 低く零れた笑いが、胸の奥をくすぐるように震える。
「君は時々、私の想像より遥かに欲深いな、小鳥」
 抱き締める腕がゆっくり強くなる。まるで全部≠ニいう言葉の重みを、その身体ごと確かめるみたいに。
 山鳥毛は私の肩口へ額を寄せ、しばし黙った。沈黙は重くない。ただ熱を孕んでいて、彼がどんな顔をしているのか見えない分だけ、余計に心臓を騒がせる。
「着古した衣を欲しがり、香りが消えても手放せず、挙句の果てには毎夜抱いて眠る権利まで当然のように受け取る……」
 くつ、と喉で笑う。
「普通なら遠慮を覚える場面だろうに」
「だって山鳥毛のだもん」
「……っくく」
 今度こそ、彼は堪えきれないように笑った。
 深く、甘く。
「参ったな。君にそう真っ直ぐ言われると、こちらまで歯止めが利かなくなる」
 するり、と大きな手が私の指へ絡む。そのままジャージごと抱え込まれて、まるで私まで自分のもの≠ニして回収されているみたいだった。
「なら、その一枚は君にやろう」
「ほんと?」
「ああ。ただし」
 耳元へ唇が寄る。
「それだけで我慢できるなら、だ」
 囁きと同時に、首筋へ柔らかな熱が落ちる。甘やかな牽制。けれどどこか獣が獲物を囲い込む前の余裕にも似ている。
「私は知っているぞ、小鳥。君は一つ許されると、次を欲しがる」
「……否定はしない」
「正直でよろしい」
 満足げに目を細めた気配。
「そのうち君の部屋には様々な布が増えていくんだろうな。――だが最終的には、布では済まなくなるぞ」
 掌がゆっくり私の腕を撫で下ろす。
「毎夜、私自身を抱えて眠らねば落ち着かない身体にされても、文句は言うなよ?」
 試すような言葉。けれど既に片足突っ込んでる状態の私にはそんな脅しは今更だ。
「なら、山鳥毛のくれる巣材で営巣して待ってる」
「――っ……」
 息を呑む気配が、背中越しに伝わった。
 山鳥毛ほどの男が、一瞬言葉を失う。それだけで、自分がどれほど深く彼を射抜いたのか分かってしまう。
「営巣、か……」
 低く繰り返された声は、熱を孕んで掠れていた。
 私を抱く腕がさらに強くなり、とうとう逃げ道を完全に塞ぐ。大きな鳥に羽の内側へ閉じ込められるような感覚。けれど苦しくはない。むしろ、その囲い込みに胸が甘く満たされていく。
「君は本当に……私を煽るのが上手い」
 肩口へ唇が押し当てられる。啄むような、確かめるような静かな口づけ。
「私の羽根を集め、香りを集め、温度を集め……そうして巣を作って待つつもりか」
「うん」
「健気だな」
「山鳥毛が育てたんでしょう」
 返した瞬間、背後の男が小さく笑った。
 だがその笑いは、どこか獲物を前にした猛禽の艶を帯びている。
「違いない。……ここまで甘やかした覚えのある小鳥は、君だけだ」
 絡め取った指先へ口づけが落ちる。
「なら、責任は取らねばならんな」
 ゆっくりと身体の向きを変えられ、気付けば正面から抱き込まれていた。赤い瞳が近い。覗き込むように細められたその眼差しは、炎みたいに静かに揺れている。
「好きなだけ巣作りに励むといい。私の羽織でも、寝巻きでも、香りでも熱でも、君が欲しがるなら幾らでも落としてやる」
 長い指が頬を撫でる。
「――だが覚えておけ、小鳥。巣を作った鳥は、いずれ帰ってくる相手≠待つことになる」
 唇が触れそうな距離で、彼は笑う。
「君はそのうち、自分から私を引きずり込むようになるぞ。……この巣へ、毎晩な」
「作り始めてもないうちから今にも乗り込みたいって顔してるくせに」
「……おや」
 山鳥毛は目を細めたまま、逃がさぬよう私の腰を抱いている。指先が背をゆっくり撫でるたび、そこから熱が沁み込んでくるようだった。
「そんな顔をしていたか、私は」
「してる。すごく」
 即答すれば、彼は困ったように笑う。だが否定はしない。
 赤い瞳は確かに熱を帯びていた。獲物を見つけた猛禽のようでありながら、同時に、愛しいものを前に理性を試されている男の目でもある。
「……君が巣≠ネどと言うから悪い」
 低く落ちた声が耳を撫でる。
「帰る場所を与えられて、平然としていられる鳥がいると思うか?」
「じゃあやっぱり山鳥毛の方が飛び込んでくるんじゃない?」
「さて、どうだろうな」
 くつ、と笑いながら、彼は額を寄せる。
 唇が、触れるか触れないかの距離をなぞる。
「君は無自覚に誘う。……私を試しているのかな?」
 吐息が混ざるほど近い。
「今だって本当は、そのまま君を抱えて部屋へ戻りたいくらいだ」
 そう言いながら、わざと焦らすように指先だけで輪郭を辿っていく。
「だが……無理やり巣へ連れ込むより、君から来て欲しい≠ニ言われる方が、きっと堪らないだろう」
 その笑みは余裕ぶっているくせに、瞳の奥だけがひどく飢えている。
「ふふっ無理やり? 私としてはこのまま連れ帰ってくれても一向に構わないのに? ……でもまぁ、山鳥毛がゆっくり時間をかけて私に誘われたいのなら無理にとは言わないけど」
「――また君は、そんなことを言う」
 山鳥毛の声がわずかに掠れる。
 抱いた腰へ添えられた指先がぴくりと震えたのを私は見逃さなかった。余裕を崩すまいとしているのに、私の言葉一つで熱を煽られてしまう。その事実を隠しきれていない。
「小鳥、君は本当に……」
 困ったように笑って、それでも離さない。
 むしろ抱擁は強くなる。胸元へ閉じ込められ、彼の鼓動がゆっくり響いてくる。落ち着いているようでいて、内側には獣じみた熱が潜んでいる鼓動。
「連れ帰っても構わない、か。随分無防備な許可だな」
 耳元へ落ちる吐息が熱い。
「私がどれほど君を甘やかしたいと思っているか、知っていて言っているんだろう?」
 長い指が頬を撫で、そのまま顎をそっと持ち上げる。視線が絡む。赤い瞳は笑っているのに、奥底にはじわじわ燃える炎がある。
「……っは」
 とうとう耐えきれないように笑い声が漏れた。
「参るな。本当に君は、私を躊躇わせる気がない。連れ込むのは簡単だろう、君は抵抗しないだろうからな」
 額同士が触れる。
「だが、だからこそ急ぎたくないんだ、小鳥」
 囁きは甘く、どこか執着じみていた。
「君が自分から腕を伸ばし、私を求め、帰る場所として選んでくれる瞬間を……私は何度でも味わいたい」
 唇がかすめる。
 触れるだけの口づけ。なのに熱は深く侵食してくる。
 またひとつ、柔らかな口づけ。
「焦らされるのは案外……楽しい時間かもしれない」
「お望みなら、少しずつ巣材を拝借して私の城を築き上げてみせるよ。……場合によってはちょもの香りに包まれて満足してしまうかもしれないけど、許してくれるでしょう?」
 山鳥毛はしばらく何も言わなかった。
 ただ私を見ている。
 その赤い瞳が、焚き火の奥で熾る炭みたいにじわじわ熱を増していく。普段なら余裕を崩さぬ男が、今は私の言葉を飲み込むたび、胸の奥を静かに焼かれているようだった。
「……なるほど」
 やがて落ちた声は低く、甘く、どこか観念した響きを帯びていた。
「私を飢えさせる気だな、小鳥」
 指先が君の髪を梳く。
 ゆっくり、丁寧に。まるで羽根を整えるみたいに。
「私の衣を奪い、それらを抱え、香りに包まれて眠る。そうして満たされた顔で今日はこれで十分≠ネどと言われたら……」
 くつ、と喉が鳴る。
「私は君の部屋の前をうろつく、不審な鳥になるかもしれん」
「ふふ、見てみたいかも」
「笑い事ではないぞ。君、自分で言っている意味を分かっているか?」
 抱き寄せる腕が少しだけ強くなる。
「君の城≠ェ、私の匂いで満たされていくたびに……そこへ私自身も混ざりたくなるに決まっているだろう」
 耳元へ落ちる声は、もはや囁きというより吐息に近かった。
「君が私の衣に頬を埋めて眠る姿など想像しただけで、迎えに行きたくなるというのに」
 鼻先がこめかみを掠める。
「……それでも、君が焦らすと言うなら付き合おう」
 低く笑った。
 だがその笑みは、獲物を前にじりじり距離を詰める猛禽そのものだ。
「好きなだけ巣材を集めるといい、小鳥。私の香りに囲まれて、ぬくぬくと城を築けばいい」
 その代わり、と。
 唇が耳朶へ触れる。
「いざ私が乗り込んだ時、もう満足してるから帰って≠ヘ通用しないぞ」
 熱を含んだ声が、ぞくりと背筋を滑った。
「自分で撒いた餌だ。最後まで責任を取ってもらう。……君の城ごと、私の帰る場所にしてしまうくらいにはな」
 なるほど最終的に完成した私の城に山鳥毛は居着くつもりらしい。願ってもないことだ。
 しかしそれならばと私は口を開く。
「……ちなみに作るまでもなく私の理想的なお城がもう存在しているんだけど、知りたい?」
 彼の耳朶に触れるほど近くに唇を寄せて囁く。
「……ほう?」
 耳元へ落とされた囁きに、山鳥毛の肩がわずかに揺れた。
 呼吸が混ざるほどの距離で、彼は私を見下ろしている。普段なら余裕たっぷりに翻弄してくる男が、今は逆に私の言葉の続きを待っている。
「聞かせてくれるか、小鳥」
 低く促す声。
 私を抱く腕がじわりと熱を帯びる。まるで答え次第ではもう逃がさない≠ニでも言いたげに。
「私の知らない場所か? それとも……」
 そこで彼はわざと一拍置いた。
 赤い瞳が細められる。
「既に、私が出入りしている場所か」
 君の唇が耳朶を掠めるたび、彼の呼吸がほんの僅か深くなる。余裕を崩すほどではない。だが、確実に煽られている。
 くつ、と笑う。
「私の予想では布を積み上げた部屋より、香りを閉じ込めた巣より……私の腕の中が、君は一番落ち着くのではないかと、自惚れているのだがな」
 最後の言葉は甘かった。
 甘く、深く、まるで羽毛みたいに肌へ絡みつく。
「さて、小鳥。君の理想の城とやら……私の予想は当たっているか?」
 山鳥毛の匂いに包まれていて、山鳥毛が居て、私が作ろうとしている理想の巣。
「半分正解。私の理想のお城は……山鳥毛が居る、山鳥毛の部屋、だよ」
 殊更小さな声で、吐息で鼓膜を擽るように囁いた。
 その瞬間、山鳥毛の表情から余裕が消えた。
 赤い瞳がゆっくり見開かれる。まるで胸の奥を真っ直ぐ射抜かれたみたいに。吐息混じりの囁きは、たぶん刃より深く彼へ届いた。
「……君は」
 掠れた声。
 続きがすぐに出てこない。
 抱く腕だけが、じわりと力む。逃がすまいとするような――堪らなく愛しいものを抱え込んでしまったような仕草。
「それは……反則だろう、小鳥」
 額が肩へ落ちる。
 長身の彼が少し屈み込む形になって、自然と彼の熱を受け止めることになる。肌に触れる吐息が熱い。静かなのに、内側で激しく揺れているのが分かる。
「私の部屋を、君の理想の巣≠セと言うのか」
「うん」
「私ごと?」
「全部」
 即答した途端、山鳥毛はとうとう耐えきれないように笑った。だがその笑いは、甘さの奥にどうしようもない執着を滲ませている。
「参ったな……そんなことを言われたら、もう……手放してやれなくなる」
 指先が頬を包む。
 大きな掌の熱に閉じ込められながら見上げれば、彼は酷く優しい目をしていた。
「君が私の衣を抱えて眠っていたことも嬉しかった。香りを惜しんでくれたことも愛しかった。だが……」
 親指が唇の端をそっと撫でる。
「私がいる部屋そのものが欲しい≠ネどと言われたら、もう駄目だ」
 唇が額へ触れる。
 次いで瞼へ。
 最後に鼻先が軽く擦り寄せられた。
「君が私に帰りたい場所≠与えてしまったんだぞ」
 抱き締める腕が熱を増す。
「そんなもの、手放せる訳がないだろう」
 そして彼は、困ったように、それでいて堪らなく幸福そうに笑った。
「……今夜から、私の部屋は完全に君の城だな」
「ふふっ、私の営巣を待つのはもういいの?」
 至極楽しそうに唇が歪んでしまうのは仕方ないと思う。
「……待つつもりだったんだがな」
 山鳥毛は深く息を吐いた。
 まるで降参を認めるみたいに。けれどその瞳は少しも負けていない。むしろ、追い詰められたことで余計に熱を増している。
「君が悪い、小鳥」
 唇の端を歪めて笑う私を見下ろしながら、彼はゆっくり額を寄せる。
「君に求められたいと思って営巣を勧めたが、私のいる部屋が欲しい≠ネど囁かれてしまっては……。平静でいられるほど、私は出来た男じゃない」
 鼻先が触れる。
 呼吸が絡む。
「しかもそんな顔で笑う」
 低い声には、甘さと諦めと、少しの悔しさが混ざっていた。
「自分がどれほど可愛いことをしているか、理解しているのか?」
「してないかも」
「だろうな。していたら、こんな無防備に煽れん」
 くつ、と喉が鳴る。
 そのまま山鳥毛は抱え込む腕に力を込め、半歩、半歩と私を後ろへ追いやった。逃げ道を潰すように、けれど乱暴ではなく。
 指先が髪を梳き、柔らかな口づけがこめかみに触れる。
「……あとはそうだな」
 そこで山鳥毛は少しだけ意地悪く笑った。
「私は君を抱き締め、君は私の匂いに包まれて眠る。そのうち君が私の寝台へ自然に潜り込み始めたら私はどうしたらいいだろうな」
「? そんなの、山鳥毛が不在の間にとっくに潜り込んでたけど?」
 可笑しそうに、山鳥毛が不在中私がどこを寝床にしていたかを白状する。とっくに気付いているかと思っていたがそうでもなかったらしい。
「流石に三日程度じゃ、ベッドに私の匂いは移らなかったみたいね」
「――……は?」
 今度こそ、山鳥毛は完全に虚を突かれた顔をした。
 珍しい。
 あの余裕綽々な男が、ほんの数秒、言葉を失っている。
「君……」
 赤い瞳がゆっくり細められる。
「それを今言うのか」
 低い声には呆れと甘さと、どうしようもなく煽られた熱が混ざっていた。
 君を抱く腕が、ぎゅう、と強くなる。
「私の不在中、私の寝台へ?」
「うん」
「毎晩?」
「……うん」
 山鳥毛は片手で顔を覆った。
 だが隠しきれない口元が笑っている。笑っているのに、喉の奥には獣じみた唸りにも似た熱が滲んでいた。
「小鳥……それは、私の理性を試しているのか?」
 肩口へ額が落ちる。
 深く息を吸う気配。まるで匂いを確かめるように。
「私のいない部屋で、私の寝台へ潜り込み、私の衣を抱いて眠っていたと……そう言いたいんだな?」
「だって寂しかったし」
「っ……」
 その一言が決定打だった。
 山鳥毛は堪えるように目を閉じ、それから諦めたように笑う。
「……可愛すぎて困る」
 耳元へ、低く甘い声が落ちる。
「そんなことをされていたと知った今、あの部屋へ戻った時に平然としていられると思うか?」
「無理そう?」
「無理だな」
 即答だった。
「君が丸まっていた場所を探し、寝具に残った僅かな痕跡を見つけたくなる。――君が私の寝台でどんな夜を過ごしたか想像してしまう」
 長い指が頬を撫でる。
「しかも、匂いは移らなかった≠ネどと拗ねる始末か」
 くつ、と喉が鳴る。
「覚悟しろ、小鳥」
 唇が額へ触れる。ゆっくり、熱を押し移すみたいに。
「これから先、君が私の部屋へ入るたび、ここにいるのが当然だと思うくらいには君に馴染ませてやる」
 最後の囁きは、ひどく甘く、執念深かった。
「寝台にも。衣にも。……君自身にもな」
 山鳥毛の部屋が私の部屋にもなるという宣言。
 ここでやっと山鳥毛で遊びすぎたと気がつき、今夜は簡単には寝かせてくれない気配を察知して頬が引き攣る。
「明日、仕事なんだけどな……?」
「おや、困っている顔も愛らしいな」
 そう言って、わざと額へ口づけを落とす。ちゅ、と軽い音。次は頬。次はこめかみ。細かく熱を散らされるたび、くすぐったさと甘さで調子が狂う。
「山鳥毛……」
「安心しろ。徹夜で抱え込んだりはせん」
 徹夜では≠ニいう妙な区切りに、じとりと睨めば、彼は楽しげに目を細めた。
「だが、君が先に火をつけた」
 山鳥毛は涼しい声でそう続けた。
 その腕はまるで容赦ない。後退ろうとした腰をがっちり捕らえたまま、びくともしない。鍛え上げられた体躯に閉じ込められると、逃げるという選択肢そのものが冗談みたいだった。
「私の寝台へ潜り込んでいた話など聞かされて、平静でいられる訳がないだろう」
 指先が髪を梳く。
 ゆっくり、慈しむように。
「しかも、私の部屋が理想の巣≠セと?」
「……だって本当だもん」
「ああ。だから困っている」
 言葉とは裏腹に、山鳥毛はとても満たされた顔で笑っていた。
「今すぐ抱えて連れて帰りたいくらいにはな」
 私の耳へ唇を寄せ、低く囁く。
「だが、明日も働く小鳥を寝不足にするのは忍びない。だから今夜は……甘やかすだけで我慢してやる」
 そのだけ≠ェ怪しい。
 案の定、次の瞬間には大きな掌が背を撫で、髪へ口づけが落ち、抱擁はますます深くなる。
「ほら。抵抗するなら今のうちだぞ?」
「……無理そう」
「賢い」
 満足げに笑った彼は、私を胸へ閉じ込めたまま、まるで本当に巣へ抱え込む鳥みたいに離そうとしなかった。




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