「……随分と熱心に何を見ているのかな、主」
低く落ち着いた声と共に、背後から長身が覆い被さるように近づいてきた山鳥毛。
戦装束から着替えたばかりなのだろう、内番服を肩に引っ掛け、ソファの後ろから覗き込むようにスマホの画面へ視線を落としていた。
「おや……、随分印象が……」
「そりゃそうでしょ……この頃二十代前半だもん」
苦笑しながら写真を流していく。
旅行、職場の飲み会、季節外れのイルミネーション、カフェで撮った紅茶。どれも今となっては少し色褪せて見えるのに、その時の空気だけは不思議なくらい鮮明だった。
そして指が止まる。
青いプールサイドで笑いながら肩を寄せ合う若い女二人。今よりずっと幼い顔をした自分は、水着姿で笑っていた。
「あ、これ懐かしい」
消去ボタンへ指を滑らせかけた瞬間、後ろから伸びてきた大きな手がそっと手首を包んだ。
「待ちなさい、小鳥」
耳元近くで囁かれ、肩がぴくりと揺れる。
「消すのか?」
「んー……もういいかなって。連絡も取ってないし」
「そういう理由で?」
山鳥毛の声音は穏やかだった。
責める色はない。ただ本当に不思議そうに問うだけだ。
「だって容量食うし。昔の写真なんて見返さないもん」
「……私は見ているが?」
低く笑う気配。
振り返れば、赤い瞳が興味深そうに細められている。
「今と雰囲気が違うな。髪も今とは違う色だ。化粧も薄いか」
「若かったからねぇ」
「今も若いさ」
即答だった。
そのまま山鳥毛は顎を肩へ預けるように近づき、画面を見つめる。
「しかし……」
ゆっくりと視線が水着姿の私へ落ちる。
「これはまた、無防備だ」
「え?」
「周囲の視線を随分集めただろう」
「そんなことないって」
「いや、ある」
断言する声が妙に低い。
山鳥毛の指先が、スマホを持つ私の手に重なる。刺青の刻まれた大きな手。熱を持った掌がじわりと肌を包み込んで、逃がさないように軽く握られる。
「……私がこの頃の君を見つけていたら、随分苦労しただろうな」
「何それ」
「君は今よりもっと無防備に笑っている。人を誘う自覚もないままに」
くつ、と喉奥で笑う。
「厄介だ」
「褒めてる?」
「独占欲を刺激されている」
真顔で返され、思わず吹き出す。けれど山鳥毛は笑わなかった。赤い瞳だけがじっと写真の中の私を見つめている。
「……消さなくていいだろう」
静かな声。
「君がここまで生きてきた証だ。私の知らない時間も、君そのものだろう?」
耳の後ろへ髪を払うように指が触れる。
その仕草が妙に優しくて、胸の奥がじわりと熱を持った。
「少なくとも私は見たい。君の昔を」
囁きと一緒に、こめかみへ軽く口付けが落ちる。
「少し妬けるがね。私の知らない笑顔ばかりで」
「それならこのデータ、ちょものに移してあげようか」
山鳥毛はあまり端末を使わないから、容量ならいくらでも余っているだろう。
「ほう?」
山鳥毛の眉が僅かに上がる。
その反応が面白くて、私はスマホを軽く掲げて見せた。
「ちょも、こういうの全然使わないでしょ。写真とか動画とか、絶対入ってなさそう」
「仕事用の連絡程度だからな。確かに容量は余っている」
「でしょ?」
「つまり君の若い頃の写真が、私の端末に大量に保存される訳か」
「言い方」
くすくす笑うと、山鳥毛は背後からそのまま私を抱き込むように腕を回した。
長い指がスマホの縁をなぞり、私の手ごと包み込む。
「……悪くない提案だ」
低く落ちる声が耳のすぐ傍で震える。
「むしろ歓迎しよう。君の知らない君を、少しずつ集められる」
「コレクションする気?」
「当然」
さらりと言ってのける。
「今の君は毎日見ている。だが昔の君は、こうして写真越しにしか会えないからな」
肩口へ額が寄せられる。
仕事終わりの山鳥毛の体温は少し高く、外気を纏った匂いと彼自身の熱がゆっくり私に混ざっていく。
「……小鳥」
呼び声が柔らかい。
「この頃の君も綺麗だ」
水着姿の写真を見つめたまま、山鳥毛は静かに続ける。
「だが今の方が好きだな」
「そう?」
「ああ。今の君は、もっといい顔で笑う」
その言葉に胸が少し擽ったくなる。
「しかし……」
「ん?」
「この写真を保存したら、私は暫く独占欲との戦いになるだろうな」
「なんで?」
「他の誰かと肩を寄せて笑う君を見るのは、多少なりとも嫉妬する」
真面目な声で言われてしまい、思わず吹き出す。
「十年以上前の写真なのに?」
「十年前だろうが昨日だろうが、君は君だろう」
山鳥毛はそう言って、私の首筋へ鼻先を寄せる。
吐息が触れ、ぞくりと肌が粟立った。
「……だが消されるよりはいい。君の時間が失われるのは惜しいからな」
そう囁くと、山鳥毛もソファに移動して私を抱えるように足の間に座らせる。彼は私の指を導くように操作画面へ触れた。
彼の端末と繋いで一緒に私の端末を覗き込み、私が消すつもりの画像の他に山鳥毛が欲しいと思った写真が選択されていく。
「この頃の君はよく笑っているな」
写真を眺めながら山鳥毛がぽつりと零す。
「今も笑うよ?」
「昔の君はもっと稚い。……眩しいくらいに」
低い声が静かに胸へ落ちる。
選んだものを転送し、完了の表示が出ると私は自分の端末から不要フォルダをまとめて削除した。
確認画面。
消去。
少しだけ胸が空く感覚。
「……消えちゃった」
「私の方には残っている」
すぐ傍で山鳥毛が答える。
「だから完全には失われていないさ」
そのまま彼は自分の端末を軽く掲げた。
「これで君の過去の一部は、私の手元にある訳だ」
「なんか言い方。独占欲強い」
「強いとも」
即答だった。
腰へ回された腕に少し力が籠る。背中に触れる胸板が熱い。
「……それに」
山鳥毛の指が、削除済みになった空白のアルバム跡をそっと撫でた。
「君がもういらない≠ニ思ったものを預かるのは、少し嬉しいな」
「どういう理屈?」
「君が手放した時間を、私が拾える」
囁きは穏やかなのに、妙に執着が滲む。
「不要になった思い出でも、私には宝に見えるから困る」
「不要って、言い方酷いなぁ」
くすくすと笑いながら山鳥毛の胸に寄り掛かるように身を預ける。
「写真を見たらより鮮明に思い出せるけど、なくたって忘れるわけじゃないのに」
それに…と私は山鳥毛を見上げて続ける。
「それに、これから増えてく思い出の方が多いと思わない?」
山鳥毛は一瞬だけ目を細め、それから静かに笑った。
「……ああ」
預けられた身体を受け止めるように、大きな掌が髪を撫で、指先が後頭部を優しく梳いていく。
「それは確かにそうだ」
低い声が耳の奥へ染み込む。
くつ、と喉で笑いながら、山鳥毛は私を見下ろした。
赤い瞳が柔らかい熱を帯びている。
「遠征もある。季節も巡る。君はきっとまた写真を撮るだろう」
「うん」
「私の知らない君より、これから私が隣で見る君の方が多くなる」
その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
山鳥毛はそのまま頬を軽く寄せた。触れ合う距離で呼吸が混ざる。
「だからこそ、昔の写真も愛おしいのかもしれないな」
囁きと一緒に、鼻先が頬を掠める。
「今の君へ続く道筋だから」
大きな指が私の手を取り、そっと絡められる。
「この頃の君は、まだ私を知らない。……それが少し不思議だ」
「そりゃ知らないもん。審神者ですらないし」
「なら、今の君は?」
「ん?」
「私を知った顔をしている」
その言葉に思わず笑ってしまう。
「どんな顔それ」
「……蕩けるように甘やかされ慣れた顔だな」
「なにそれぇ」
抗議しながら腕を叩けば、山鳥毛は楽しげに笑った。
けれど次の瞬間、腰へ回る腕が少しだけ強くなる。
「だが嬉しい」
耳元へ落ちる声が、今度は妙に静かだった。
「君の未来の思い出に、私は必ずいるのだろう?」
まるで確認するような問い。けれど不安ではなく、確信を抱き締める声音。
「なら私は、これから先の写真を全部欲しくなるな」
唇がこめかみに触れる。
「泣き顔も、拗ねた顔も、笑った顔も。……君が歳を重ねる度、隣で見ていたい」
「見るのはいいけど、泣き顔なんて撮らないでよ?」
「撮るものか」
山鳥毛は即座にそう返しながら、私の頬へ指先を添えた。
親指が目尻をゆっくり撫でる。
「泣いている時の君を抱き締めるので忙しいからな」
低く穏やかな声。
そのまま額へ唇が落ちる。
「……好きよ、山鳥毛」
囁くような告白に、彼はほんの一瞬だけ目を伏せた。
まるで熱いものを飲み込むみたいに。
「小鳥」
呼ぶ声が柔らかく沈む。
「そんな顔で言われると、際限なく甘やかしたくなる」
腕の中へ引き寄せられる。
胸板へ頬が触れ、規則正しい鼓動が耳へ伝わってくる。強くて、大きくて、安心する音。
山鳥毛は私の髪へ口付けながら、静かに息を吐いた。
「君の過去を知る者が今の君を見たら――そうだな」
少し考えるような間。
「きっと驚くだろう。こんなに柔らかく笑うのかと」
「えぇ?」
「自覚がないな」
くすりと笑われる。
「昔の写真の君は確かに眩しい。だが今の君は、もっと熱がある」
その言葉に胸がかすかに疼く。
「私を見る時の目が違う」
山鳥毛の指が顎をそっと持ち上げる。
赤い瞳が真っ直ぐ私を映した。
「君は今、恋をしている顔をしている」
逃げ場をなくすような眼差し。
けれど怖くない。むしろ見つめられるほど、胸の奥が甘く満たされていく。
「……私はその顔が好きだ」
囁きと同時に唇が重なる。
深く奪うのとは違う、確かめるような口付けだった。けれど離れる頃には、呼吸が少し乱れてしまう。
山鳥毛はそんな私を見て、満足そうに目を細める。
「これから先、君の記録にも記憶にも私が残るのなら」
耳元へ低く落ちる声。
「過去の誰にも負ける気がしないな」