嘘で塗り固めたキャンバス

どれも動き出しそうな絵ね。

その言葉に、私はじわりと高揚感を抱くが、その一方で黒い絵具を垂らした様ななんとも言えない仄暗いものが胸の内に広がっていく。

写実的な絵。現実をそのまま切り離したかの様に描く絵。動き出しそうというのは、その絵にとって最高の賛辞だろう。嬉しいとは思う。他者に認められ、受け入れられれば嬉しい。私の絵を見てほんの少しでも感情が動かされたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
しかし動き出しそうだと言われると、私は途端にそれを否定したくて堪らなくなる。

私は幻想的で、現実離れしたファンタジーやフィクションが好きだ。しかし、私は現実を写す事を望まれている。
私に感想を伝えてくれた人は皆、リアルを求めている。最も精巧で、機械らしさがなく柔らかい現実を求めている。
確かに、リアルは即座に見比べる事が出来るから評価しやすいのだろう。似ているか、似ていないか。動き出しそうか、そうでないか。

大勢の人が私の絵を動き出しそうだと形容してくれる。それは名誉な事であり、喜びでもある。しかし、私とは相容れないだろう。
私は、私が描いた写実的な絵を見て動き出しそうだとは、ほんの少しだって思わないのだ。それは絵描き故の感想なのだろう。
だって私は知っている。この世界が動かない事を。この世界が嘘で塗れている事を。この絵に描かれた人間は全て、私が創り出したモノだ。私がこの景色を見た時、空に鳥は飛んでいなかった。空にはまばらに雲が散っていたし、花はまだ咲いていなかった。

私にとって写実的な絵は、偽物だ。所詮は絵なのだから、当然だろう。ある意味これもフィクションだ。しかし現実離れはしていない。最大限幸福に見える様に調整された滑稽なフィクションだ。後日同じ場所に足を運べば、花は蕾のまま踏みにじられていた。あの花が笑う事は、終ぞなかったのだ。

閉館間近。人も片手で数えられるくらいにしか居ない。私はふらりと自分の作品を見てまわる。

ふと、幻想的な景色が見えた。
混ざりあう時代。ポツンと1人だけ明治の装いをした青年がそこに立っていた。彼は徐に振り返り、私の姿を認めるとこちらへ歩み寄って来る。
そして、彼は私にひっそりとした声でこう言った。

「精巧な蝋人形の様で素晴らしい絵ですね。」

その瞬間、私の中で燻っていた蟠りが弾け飛んだ音がした。

「久しぶりだね、夢野君。」

私の絵を蝋人形の様だと、的確に表現した彼は今話題の小説家、夢野幻太郎だ。高校時代の同級生であり、私が唯一新作が出る度に追いかけている作家である。最近はラッパーも兼任しているんだったか…

「おや、怒らないんですか?」

「素晴らしいと評して貰っているのに、何を怒る必要があるの?大体、目に留めてくれただけでありがたいもの。」

絵の感想は千差万別であるし、怒った事はない。本当は違うのだと、やるせなさを覚える事は間々あるけれど。そもそも、私の絵を目当てに来ていない人も沢山いて、そんな中で興味を持ってくれるだけでとてもありがたい。

……いや、嘘だ。
怒った事がないのも、やるせなさを覚えるのも、興味を持ってくれるのがありがたいのも本当だが、未熟にも理解を求めてしまってはいる。 興味を持ったのなら、この歪さを理解して欲しいなんて思いを持っている。

「嘘つきですね、貴女も。」

バレた…
口には出していないけど、内心を見透かされている様な気がする。こうして話す様になったのは最近だが、この人と話す時はいつもそうだ。

「…そ、それに、精巧な蝋人形みたいって、私にとってはある意味褒め言葉よ。」

「おやおや、しばらく会わないうちにマゾになってしもうたでおじゃ〜?」

「失礼ね。」

「ちょっとした冗談ですよ。」

「わかっておりますとも。それより、売れっ子作家殿はどうして此処へ?」

「ネタ集めとでも言っておきましょう。」

「ネタ集め、ね…」

嘘っぽい言い回しだけど、完全に嘘というわけでもないのだろう。彼は人間を観察するだけでも、これでもかという程に想像力を掻き立てる空想を思いつくのだから。

「次回作は、蝋人形を愛して止まない哀れな男の風景画家なんてどうでしょう?」

「貴方が納得のいくものを書けるのであれば、題材はなんだっていいと思うわ。私に出来る事なんてないもの……その哀れな男に何を描かせるのかはとても気になるけれど。」

蝋人形を愛してやまないのに、男が描くのは風景画。動かす事の出来ない人形をキャンバスにのせる事で共に旅をするのか、はたまた男は本当に美しいと思うものを絵に起こす事が出来ない厭世家で、人形を被写体には出来ないとか…
夢野君が選ぶ題材がなんだって良いと思うのは本当。本当なんだが、風景画家の話はやっぱり、非常に気になる。

「いえいえ、出来る事がないなんて事はありません。ちょうど貴女にお願いがありまして…」

「お願い?」

口元に手を当てて緩く微笑む彼に、嫌な予感。恐らく、これが彼がここに来た1番の目的だ。

「はい、絵を1枚描いていただきたく。」

「…サイズとコンセプトは?」

「こちらを…」

そう言って差し出されたのはカバーの付いていない真っ白な文庫本。ぺらりと捲ると知らないタイトルに著者は夢野幻太郎。ここまで来れば流石に想像はついた。

「まさか…」

「次回作の表紙絵をお願いしたいのですが…」

「本当に…?」

「もちろん嘘、ではないですよ。ただ、期間が問題でして……1カ月でどうにかお願いしたいのですが、可能でしょうか?」

「…それ、私が断ったらどうするのよ。」

「三日三晩泣き明かした後に小生が描きます。きっと書店では在庫が有り余るでしょう。」

ここ最近の彼の知名度であれば白紙で売り出したって求める人は大勢いるだろうし、夢野君が描く絵は非常に気になる。
が、こんな機会を貰えるなんて、光栄なんて言葉では済ませられない。
ニヤリと意地悪そうに口元を歪める彼に、私もきっと似た様な表情をしている気がする。

「まあ、断らないけど。」
「でも、断らないでしょう。」

見透かされるのは悪くない。
それは理解の延長線にあるものの様な気がするから。




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