憧憬と意外性
クソッ!
唯々走る。雨が降る中を全力で駆け抜ける。服が肌に張り付く気持ち悪さなんて気にもならないくらい、一郎は焦っていた。あの顔が浮かんでは霞み、消散していく。悪態を吐いている暇さえないのに、大声で叫びたくて堪らない。なんで、なんて答えは最初からわかっていた筈だ。
俺の所為に違いなかった。アイツが今捕まっているのは。
人に誇れる様な事をしている訳じゃない。嫌われていたとしても弟達の為に、いや俺の為に人を殴った。口に出すのは憚られるような事をしているのは確かだ。でも、後悔はしていない。後悔しているとすれば、アイツに甘えていた事だ。俺にそんな資格がある筈ねぇのに…
結果、アイツは拐われた。俺を恨んでいる奴に、人質として拐われた。相手は男で、アイツは女だ。唯捕まっているだけとは限らない。最悪の事なんて…
クソッ、クソッ!!
足を縺れさせている暇はない。指定された倉庫はもう目の前だ。開けた瞬間に仕掛けてくるかも知れないなんて事は頭の隅にも残っていなかった。ドガンッとでかい音を立てて扉を開くと、そこには…
「あれ、山田じゃん。早かったね。」
そこに居たのはアイツを囲む男達じゃなくて、アイツの周りに倒れ伏す男達だった。
「お、おま、な…んで、いや、ぶじか?」
「はいはい、私は無事だから深呼吸。すーはー…」
暫く落ち着けそうもないが、かけ声に合わせて呼吸を整える。改めて周りを見ると、男達は泡を吹いて倒れていた。
「まあ、相手も私を狙うなんて馬鹿だよねぇ。私を敵に回して無事で居られる訳ないのに。」
そう言って彼女は、普段の表情からは想像出来ないほど冷たい表情で男達を見下ろす。正直、ゾッとした。なのに俺に視線を向ける頃には冷酷な雰囲気は霧散していて、気まずそうな色だけを残している。いつものアイツだった。
「あー、言って無かったけど、私ヤクザだから。」
「は?」
「私がっていうか、私の父親の兄貴がヤクザの組長だからね。うん、私を敵に回したら裏も表も住む場所がなくなるって訳でした。薬もやってるっぽいし、徹底的に潰されただろうね。伯父は薬嫌いだから。」
「んだよ、それ…」
「黙ってて悪かったよ。」
なんだ…それ。知らなかった。いや、隠していたんだろう。俺のせいで露見してしまった。俺のせいで彼女は狙われるだろう。俺が巻き込んだから……報復に来ないなんてことはあり得ないだろう。ましてや女にやられたなんて体裁が悪いから、執拗に彼女を狙うかも知れない。ああ、でもヤクザと繋がっているなら心配要らないのかもしれない。所詮コイツらはチンピラで本物には敵わないだろう。でも…
「……ふ、あははッ…」
心配しないわけじゃない。彼女は…コイツはダチで女で守るべきで、きっと守られてくれやしねぇけど大切だ。
男らしくねぇけど、涙が溢れてく。
よかった。何もなくて本当によかった。
かっこわりぃ俺…
「だからさ、山田が居ても居なくても、こういう状況にはなり得た訳だし、今此処に私1人だけじゃないのは山田のおかげだから、そんな顔しないでよ。」
ああ…なんだよ、くそかっけぇな……