きっといつかの悲しい日
「結婚するんだってね、おめでとう志摩くん。」
同級生の志摩柔造くん。彼が結婚すると聞いたのはつい最近の事だった。
「来てくれたんやな、ありがとう。」
京都に住む彼と、東京に住む私が出会ったのは嘘みたいな私たちの日常。悪魔を祓う祓魔師《エクソシスト》の勉強をする塾だった。
「蝮ちゃんは、元気にしてる?」
彼の結婚相手は同期の1人、蝮ちゃんである。志摩くんと蝮ちゃんは同じ明陀宗の人で、幼い頃から知り合いらしい。
「おう。なんやったら会うていくか?蝮も喜ぶ。」
「うーん、そうだなぁ……そう、しようかな。」
喜びは、しないだろうけど…
特別仲が悪いわけではないが、蝮ちゃんが私と会って良い気にはならないだろう。けれど、きっと最後になるから私は彼女に会いたいと思った。
「ほな、案内するわ。」
「うん、ありがとう。」
この人の背中を目にするのも随分と久しぶりな気がする。毎日のように見ていた背中は、いつの間にか遠くにあった。いや、遠くに離れたのは私の方だったけれど。きっとこれが、本当に最後だから。私が彼から離れて、彼は蝮ちゃんを選んで、蝮ちゃんも彼を選んだ。
本当は合わせる顔なんてなかった。それでも…
「蝮ちゃん、久しぶり。」
襖の先には、記憶の中より可愛らしい蝮ちゃんがいた。恋をしている顔だった。
「あんた、えらい久しぶりやな……元気、やったか?」
「元気だったよ。蝮ちゃんも、結婚おめでとう。」
「ああ、まぁ……おおきに。」
いくつか言葉を交わすけれど、やっぱり会わない方が良かったかも知れない。気まずそうに視線を少し彷徨わせる彼女に、じわりと後悔が湧いて来る。けど、やっぱり私は…
「志摩くん、案内して貰ったのにごめんね。ここから先は男子禁制です。」
なんて冗談めかして言ってみると、気を悪くした様子もなく彼はカラッと笑った。
「ははっ、なんやそれ。じゃあ、男の俺は退散するわ。」
「ありがとう。」
彼の遠ざかる背中を少し眺めて、ゆっくり襖を閉める。振り返ると蝮ちゃんが視線を落としてポツリと言葉を落とした。
「あんた、本当にええの?」
「ん?」
「柔造のこと、まだ好きなんやろ。あてみたいな裏切り者が、結婚相手なんて嫌やないの。」
かつての教師である藤堂に騙され、彼女は不浄王という悪魔を復活させる片棒を担がされてしまった。その代償に片目まで失って。彼女が全く悪くないとは言い切れない。けれど、悪いのは彼女を唆し、騙した藤堂だ。
彼女が自分を追い詰める必要はない。それより幸せになって欲しいと思う。
蝮ちゃんも志摩くんも。
「志摩くんのこと嫌いになった事はないよ。けど、蝮ちゃんがそばに居てくれるって聞いて、嬉しいって思った。」
「なんで!?あてよりあんたの方がお似合いや。」
「蝮ちゃんと志摩くんは、ずっと前からよく似合っているなって思っていたの。志摩くんと付き合っていた当時から。」
私は志摩くんと交際していた。けれど、その時から蝮ちゃんが私より彼に似合っていると思っていたのは本当だ。気兼ねなく口論する様子はどこか微笑ましくも思え、当時の彼らにそんなことを言えば同時に反論されただろう。そんな、なんだかんだで息の合った彼らのやりとりも私は好きだった。
「なんでそんな…」
私の言葉は、彼女にとっては正しく毒なのだろう。そうと知りつつも、私は自分を優先させる愚か者だった。
「志摩くんがあんなに幸せそうに笑えるのは、蝮ちゃんのおかげだと思う。」
「そんなことあらへん!あいつは、あんたとおる時はいつも幸せそうに笑うとった。」
「…そう。でも、私は蝮ちゃんと話している彼が、1番彼らしいと思っていたよ。私から別れてくれって言ったのは、それとは別の理由だけれど。」
「…あんたから、別れたんか。いや、柔造があんたをふるとは考えられへんかったけど、まさかそんな……だってあんた、嫌いになってへんって…」
確かに彼との日々は幸せで、離れ難いものだった。蝮ちゃんが思うように私は幸せで、幸せだったからこそ悪魔の呪いをこの身に宿し、いつ死ぬかもわからない私には酷だった。だから私は、諦めた。
「後悔はしていないの。信じられないかも知れないけれど、本当だよ。私は、あの人を幸せにはしてあげられないから。」
「だから、あんたやって……」
じきに死ぬだろう私では、彼を幸せになんて出来ない。貰うばかりではきっと、私も彼も来たるその日に辛くなってしまう。だから、私は逃げた。何も告げないことを選んで逃げた。
「そんな顔をしないで。彼を幸せに出来るのは蝮ちゃんしかいないし、蝮ちゃんだって幸せになって欲しいって、思ってる。」
…最低だ。
「あんたは、それでええの?」
「私は本当に良かったと思ってる。それにね蝮ちゃん、蝮ちゃんの幸せに誰であろうと許可は必要ないよ。」
「……あては、良いんやろか。」
悩ましげに、縋るように絞り出された言葉に許しは要らない。彼女がどう受け取ってくれるかはわからないけれど、私はただ希望を押し付けた。
「蝮ちゃん、幸せになって。……ありがとうね。」
「……ありがとう。」
私、最低だ。
でも、全部本当だった。皆に幸せになって欲しかった。選択に、後悔はない。
その後、一言二言交わした後に私は部屋を出た。
このままこっそり帰ってしまおうか、なんて考えていたのに、玄関までの道のりに彼はいた。
「なんや、話は終わったんか。」
「うん、さっきはありがとう。本当は、会わない方が良いかとも思っていたけど、会って話せて良かった。」
「なんでそう思ったん?」
「なんとなくかな…」
ちょっとだけ誤魔化してみるけど、彼だってわからないわけではないのだろう。少し俯いてポツリと言葉を落とした。
「……そか。」
「うん……まあ志摩くんなら大丈夫だと思うけど、蝮ちゃんのこと幸せにしてあげて。」
「おう。」
「それで志摩くんも幸せになって。」
ーーごめんね。
「……おう。」
「それから、ずっと言えなかったけれど……あの時、好きになってくれてありがとう。」
ーーごめん。
「こっちのセリフや、ありがとうな。」
「怪我も病気もなく、ずっと蝮ちゃんと一緒に、あと100年くらい生きていてね。」
ーーごめんなさい。
「ははっ、今から100年は大往生やな。おまえもそれくらい生きろよ。」
「そうだね、ちょっと長すぎるけど。そう出来たら良いね。」
ーー嘘つきで、ごめんなさい。
「そやな。」
貴方は、貴方達はきっと、そうなりますように。
幼い頃、悪魔の呪いに侵された私は藤本神父の延命措置により今を生きている。けれど、その神父も悪魔に殺された。私もきっとその後を追うことになる。
努力はした。きっと足りなかった。頼る事を考えなかったわけではなかった。けど、巻き込む覚悟が私には出来なかった。だからせめて……私の大切な人たちと、彼らの"大切"の幸せを願う事だけは、許して欲しい。
そして私のことは、許さないで欲しい。
「……じゃあ、そろそろ帰るね。」
「そうか、ほな駅まで送るわ。」
「いいよ、私は大丈夫だから、蝮ちゃんの側にいてあげて。」
「……そうか、気ぃつけてな。」
「うん、ありがとう。じゃあね。」
「またな。」
忘れて欲しいって言えなくてごめんなさい。
貴方達の幸せをなんて、独りよがりでごめんなさい。
決して遠くはないだろうその日、泣いてくれたら嬉しいなんて、思ってしまってごめんなさい。
「さようなら。」
大切な人たちの傷になる事を願うなんて……
まるで私って悪魔ね。