この世はセクハラとの戦いである。故に彼女はゴリラを目指した。──と言うのは過言であるが、諸々の事情や経緯の結果として女性としては非常に力の強い人物として落ち着くに至る。ほぼ必然的に。
幼いころから彼女、篠原結加理は妙な人物によく好かれた。
絶世の美少女という訳ではない。派手さなどどこにもない。多少見目は整っているとはいえ、むしろ普通寄りの容姿だ。しかし、どこか目を引かれる何かがあるのは確かだった。
何もしていないというのに「誘うような目をしている」などとぬかす輩も居た。……いや、近年も時折出現するため現在進行形である。
だからこそ、自分のテリトリーとなる住居については、自身の収入、口座の残高と相談してギリギリな線を攻めた。女性の一人暮らしは警戒を重ねるに越したことはないのだから。
セキュリティを重視しているのには他にも理由がある。
幼少期の折に家族とは火災にて死別。その後は親戚の元に身を寄せていたのだが、その一家の父親にあたる人物が結加理の口座にある篠原家の遺産に手を付けていたことが発覚した。それも、彼女の大学受験のタイミングで。時期としては最悪である。
年数にして約十年近く。バレないようにと少額ずつ引き出していたせいで発覚が遅れたのだ。一度の引き落とし額が少額とはいえ、十年近くも頻繁にとなると総額は相当なもの。
しかし──
「預かってやってるんだから手間賃として引き出して何が悪い」
とは遺産を不当に引き落とした親戚本人の言である。
発覚した当初から警察と弁護士を介して事態を収めるまで一貫して変わらない。何も悪いことをしたとは思っていないのだ。他人の口座から勝手に金を引き出し、勝手に私利私欲のために使い込んでおいて。
この男の妻に当たる人物は、あまりの事に男の鳩尾に重い一撃を食らわせたあと気を失った。怒髪天を突くとはまさにこのこと、と言わんばかりの嵐のような一瞬の出来事。怒涛の展開に、その時ばかりは結加理も目を白黒させていたというのは余談である。
不当に引き出された遺産の満額返還、慰謝料、その他細かい法的手続き。それらを警察と弁護士を間に挟んで行ったものの、当の男は本当に納得しているとは思えない態度だった。その姿に不安を覚えた結加理たっての希望で、接触禁止令も出してもらったことをここに明記しておこう。
成人間近ということもあり、大学からは親戚に頼ることなく一人暮らし。正真正銘天涯孤独の身となったわけである。
多少の波乱もありながらも大学生活を終え、困難に見舞われながらも社会へ出て──そして今に至る、というわけだ。
今日も今日とて、どこかでパトカーのサイレンが鳴っている。この世界は中々に物騒極まりない。
〇
燃え盛る炎。立ち昇る黒煙。風が運ぶ熱と火の粉。
住宅が燃え盛る現場を前に、彼女──篠原結加理は立ち竦んでいた。
はっ、と吐いた息は震えている。
大きな火が、炎が嫌いだ。無尽蔵に立ち昇る黒煙も、熱せられた木材が爆ぜる音も。彼女は幼い頃から嫌いだった。炎にまかれ全てが灰燼と化すその様を、非常によく知っていたからである。
──火事。
凶事に見舞われたのは幼少期。夜も寝静まった時間帯の頃だった。原因は放火。不慮の事故などではなく、放火。それにより家は全焼。祖父母は焼死、両親は救助されたが搬送先の病院で息を引き取った。
そして、結加理はただ一人命を拾われた。子どもであることを理由に最優先で救助され、比較的軽症で済んだ為だ。救助時の家族からの願いでもある。
たった一夜にして結加理は暖かな家族と変える場所を亡くした。
幼いながら、訳が分からないなりに、悲嘆に暮れた。そして次第に湧き上がり心の深いところに仄暗く根付いた感情が悔しさであると、理解できたのは思春期に入ってからの事だ。同級生よりも早く将来の職業と進路を意識し始めたのは恐らく必然だった。まあ、それは様々な要因を経て時期がずれたり先延ばしになってきたわけだが。
そんな過去を持つが故に、消防士になろうと決意し、努力を重ねてきたというのに。実際に目の前で燃え盛る住居を前に一歩も動けずにいる。
トラウマが根強く居座り続けていたなどと、気付けなかった。
料理は普通に出来ていたのだ。日常生活を送るうえで支障が全くない。そんな状態で火にトラウマがあるなどどうして気付けようか。いや正確には、大きな炎が、立ち昇る黒煙が、爆ぜる火花が──火災が起きている現場が、ダメだったのだ。
東都は全国的に見ても事件の発生率は高い。流石に事件に遭遇したことが全くなかった、という訳ではない。
しかし目の前で、手の届きそうなほど近くで、火災現場に遭遇することなど今の今までなかったのだ。まあ、ある意味で幸運の持ち主なのかもしれない。
結加理はその後、間近に控えていた就職試験の最終選考を辞退した。代わりの就職先を急いで探すが都合よく見つかるわけもなく。最終的には掛け持ちのフリーターという形に落ち着いた。
メインは消防士になるために鍛えた体を活かせる仕事、スタントマン。いや結加理の場合スタントウーマンか。仕事の件数で収入が変動する為、駆け出しの内は兼業でなければ生活が安定しない。それ故である。
──だから。
「……いやぁ困ったことにさ、何かこう、色々あってね? 自分には向いてないって分かったから、消防に就職は諦めざるをえなくなってしまってね。今はフリーターなんだわ。スタントマンやってる」
「えっ」
大学時代に知り合った後輩とその友人たちに、こんな報告をした上に驚かせてしまう事態になった、というわけだ。
今どこに勤めているのか、という問いに対する答えがコレ。非常にサラッと告げられた内容に後輩が硬直したのは無理もないだろう。
既に結加理自身は仕方がない事だと割り切れている。トラウマが発覚してから優に一年以上が経過しているのだ。しかし、目を見開きポカンと口を開ける後輩はそうもいかない。何せ彼は知り合って割と早い段階の頃から、結加理が消防士を目指す理由と背景を知っている。
なお、卒業するまで交流のあった後輩が今の今までこの事実を知らなかったことには理由がある。
就職活動に追われていた為でもあり、他者に詳しく話すまでの内容ではないと判断した為だ。……その判断が今こうして後輩の愕然とした顔を引き出してしまっているわけだが。
「…………ケロッとしてるけど先輩大丈夫だったの!?」
「え?」
後輩は、いや後輩とその友人たちは頭が良い。非常に。「一を聞いて十を知る」を地で行く。
おそらくは何があったのか、何が起きたのかをある程度予想できてしまったのだろう。後輩の焦り様と心配げな表情でそれを察した結加理は困ったように小さく笑った。心境としてはちょっぴり気まずい。
「まあ、もう割り切れてるし、気になさんなって」
深く追求することが出来ず、悔し気に唇を引き結んだ一歳年下の後輩。現在警察学校に通っている警察官の卵である。
彼の名を、萩原研二と言う。
2022/9/24/
警察学校組の一つ年上の夢主。実は明鳴の夢主と同一、と言うか並行世界の話。明鳴よりも気が強め。
割と脳筋。めしうま。合気道、弓道、パルクール習得済み。まだこの世界の事を含め前世云々思い出していない。
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