平穏の水曜日




その日はとても気分がよかった。ここ最近は特売の卵パックのみだった買い物カゴの中にそれ以外の食材を入れることができるからだ。いい暮らしをしている猫を見つけ出すことができれば報酬もそれ相応。私が本気を出せば猫を見つけ出すことなど容易いこと。間違っても偶然、本当に偶然ファミレスの前を通りかかったときに見つけたなんてことはない。

「玉ねぎでしょ、にんじんでしょ、じゃがいもはいれた?」

「おー。俺の苺ミルクとチョコもな」

「……」

「ちょ、なまえちゃんやめて無言で棚に戻すのやめて」

一体いつの間に。神楽ちゃんの酢こんぶはまだしも苺ミルクとチョコだなんて贅沢すぎる。そもそも今回の仕事、銀ちゃんは何もしていないのだ。働かざる者食うべからず。その言葉に習うならば銀ちゃんには卵ちょいかけご飯が妥当な報酬だろう。それでも頼むからこれだけはと苺ミルクを掴んで離さない銀ちゃんの頭に垂れ下がった子犬の耳が見えるあたり私はどこまでもこの男に甘い。

「神楽ちゃんと新八くんには内緒にしてね」

「さっすがなまえ。話がわかる」

「買い忘れありそうで怖い」

「まァ大丈夫だろ。あとは俺のかわいい彼女がかわいいエプロン姿で料理するだけ」

「かわいく焦がしちゃったらごめんね」

「そんときはかわいくお仕置きだな」

ニタリとなんとも締まりのない笑みを浮かべた銀ちゃんは自身の左手に重たい買い物袋、そして右手には私の左手をしっかりと握りしめた。ご機嫌に流行りの音楽を鼻歌で奏でながら歩く横顔は何も考えていないようで、そうでないようで。銀ちゃんは決して私を道路側で歩かせない。こうして近所のスーパーへ出かける時だって少しの遠出をした時だって必ず銀ちゃんが大きな壁になり私を車や慌ただしく駆けていく人へ近づけさせないのだ。私も大概この男に甘いが、銀ちゃんも負けじと私に甘い。いや、甘いというよりは大切にされているのだと、そう思いたい。

宙でふらふらと泳がせていた右手を着物の袖へと導けばそこにあるのは内緒で購入したチョコレート。鼻歌がサビにさしかかる直前の銀ちゃんの前にチョコレートをちらつかせれば一瞬の早さで音楽は途切れた。

「おまっ!?その輝きはまさしく俺のチョコレートじゃねェか!」

「俺のじゃなくて私の」

「いやーこんなところにいたのか俺のチョコレート。会いたかったよ俺のチョコレート」

「聞いてる?ねえ聞いてる?」

「だってなまえは俺のものだろ?だったらなまえのチョコレートも俺のものじゃね?」

「何そのどこぞのガキ大将方式」

「いーの。いずれお前の人生貰い受けるんだ。チョコレートくらい安いもんだろ」

ガキ大将もびっくりな言葉を何気なく口にするものだから私の頬は意図せずゆるゆると感情を形作っていく。銀ちゃんのばか、なんて反論した言葉にもまるで説得力がないことくらいこの男にも伝わっているだろう。一度だけ手を離し、チョコレートを半分こ。ブロックで分けられているチョコレートを同じ大きさで割ることは容易いことだったが誰が見てもわかるくらい銀ちゃんに渡した取り分の方が多い。ダイエット中なの。そんな言葉を添えながら銀ちゃんの口にチョコレートを放り込めばうまいうまいと嬉しそうに頬張った。この幸せそうな顔が私は何とも好きだったりする。

「なァなまえちゃん」

「うん?」

「ただいまって言うのちょっとお預けな」

「どういう意味?」

玄関の扉を開けてただいまの声を張れば待ってましたとばかりに神楽ちゃんと新八くんがお出迎えをしてくれるのに。疑問に思いながらも無言で扉を開ければすぐさま強い力で体を引き寄せられた。何だ何だと頭がフル回転している合間にも唇には柔らかな感覚が訪れる。先ほどのチョコレートの香りがほのかに鼻をくすぐればなんとも甘い気分に体が支配されていく。にんじんやらじゃがいもやらが詰め込まれた重たい買い物袋が床に落ちる音が近いはずなのに随分と遠くに感じた。ああ、そういえばあの中には卵も入っていたはずなのに。視線をわずかに銀ちゃんから買い物へ移したことが気に食わなかったのか銀ちゃんは更に深く私に口づけた。腰と後頭部に手を当てられようものならもう逃げ場はない。熱い吐息が交わるたびに呼吸も思考も銀ちゃんに奪われていく。

「ぎん」

「なまえちゃんがかわいいことするから。お返し」

「銀ちゃんは全然かわいくないね」

「そーか?」

「そうだよ」

「じゃあかっこいいってことにしとけ」

最後に軽い音を響かせながら唇を合わせた銀ちゃんはまたご機嫌に鼻歌を。先ほどと曲が変わっているあたりがなんとも適当で銀ちゃんらしい。玄関に散らばったにんじんを拾いあげ、割れた卵の数だけ銀ちゃんを引っ叩いたあとに今度こそ私は小さく息を吸い込んだ。

「ただいま!」

おかえりなさいの足音が聞こえる幸せをかみしめた水曜日。