攻防の土曜日




甘いものに関して銀ちゃんはプロだ。これが食べたいとスイーツが掲載されている雑誌を見せようものなら、ムキになったようにそれ以上のものを作り上げてしまう。今だって苺のショートケーキの写真を見せた数分後、キッチンにはケーキを作り始める銀ちゃんの後姿があった。かといっていつでも作ってくれるわけでもなく、今回は銀ちゃんなりにあのことを気にしているのだろうか。

「銀ちゃん」

「んー?まだできないからいい子にテレビでも見てなさい」

「やだ。ここにいる」

「今日はずいぶんと甘えたさんじゃねぇか。俺は大歓迎です」

クリームを泡立てる銀ちゃんの背中に抱きつけば空腹を誘う甘い香りが漂った。この香りは大好きだ。早くできないかなとはやる気持ちを抑え込むように腕に込める力を強めれば銀ちゃんは首を回しなんとも締まりのない表情を私に見せた。

「ほんとに甘えたさんなんだな。可愛いからちょっと抱きしめていい?」

「早くケーキ食べたい」

「はいはいちゃんと作るから少しだけ」

「その少しの時間が後にケーキを食べる時間を大きく左右することになるなどこのとき彼は知る由もない」

「だが彼はケーキよりも彼女なのである」

「しかし彼女はケーキなのである」

振り返ろうとする銀ちゃんと何としてでもそれを阻止しようとする私との攻防戦。銀ちゃんに抱きしめられるのは好きだけれど私はケーキが食べたいし何よりこうして後ろから銀ちゃんを独り占めしていたい。ここまでくれば意地のぶつかり合いだ。

「え?何なの?そんなに俺にぎゅーされるの嫌なの?泣くよ?」

「泣いちゃえば?いっそ泣いたら楽になれるよ?でもケーキはちゃんと作ってね?」

「待て待てケーキと銀さんどっちが大事なんですか」

「ケーキ」

「もうやだこの子即答だよ。わずかな希望すら与えてくれなかったよ」

本当の答えなんてわかりきっているのにも関わらず顔に手を当てながら嘆く銀ちゃんがおかしくてけたけたと飾ることなく笑う。その一瞬の油断に抱きしめる力が緩まったことをこの男が見逃すはずもなく、私の体はすっぽりと銀ちゃんの腕の中に収まっていた。

「なまえちゃんの負け」

「女の子に手加減しないなんてどうかと思う」

「あー落ち着く」

「あ、無視だ。すごい無視だ」

「なまえちゃんに抱きしめて貰うのもいいけどよー、俺はやっぱりこっちのが好きだな。なんて言うかなまえちゃんを腕ん中に閉じ込めてる気分になる」

満足そうな銀ちゃんの胸に耳をすませてみれば聞こえてきたのは鼓動の音。私だってこうしている方が好きだ。銀ちゃんがここにいて、生きている証の音。ぎゅっと抱きしめられる感覚と共にその音を聞くことが出来るのだから。

「なまえ」

「うん?」

「体調悪くねーか」

「どうしたの急に。元気だよ、すっごい元気」

「寒くねーか」

「銀ちゃんがこうしてくれてるからあったかい」

「寂しくねーか」

「うん、寂しくないよ」

やっぱり銀ちゃんは銀ちゃんなりに気にしていたらしい。だから私は銀ちゃんの不安の全てを否定する。風邪を引いていないのも本当。あったかいのも寂しくないのも本当。嘘はついていないのだから、そんなに切ない声で私の名前を呼ばないで欲しい。銀ちゃんがいなければ泣いて喚いて困らせる。けれどただいまを聞いたあとはたくさん笑えるから。涙も悲しみも心の奥底に閉じ込めて、いつもの日々を取り戻していく。

「ごめんな」

「銀ちゃんも甘えたさんだね」

「おう。慰めてくれんの?」

「そんなことよりケーキが食べたい」

「慰めてあげるってなまえちゃんからちゅーしてくれていい感じになる展開を期待してたんだけど俺の期待が泣いてる」

「そんなことより、ケーキが、食べたい」

「マジでしゃーねー彼女」

わしゃわしゃと私の髪の毛を乱した銀ちゃんは再びキッチンへ向き合う。その背中に懲りずに抱きつけば、頭上からは笑い声が混じる溜め息が聞こえた。仕方ねェなと言葉なしに言いたいらしい。甘えて、甘やかされて、また甘える。ケーキの甘さに隠れて溺れた土曜日。