黒軍、エルマー・ウィットフォード討伐戦から三週間が経った。襲撃はデュースの独断先行であったため、一時は退軍及び退学処分も免れない事態にはなったが、黒軍の脅威その人を単独撃破したという功績に免じて一週間の謹慎処分と怪我の回復次第、始末書という軽い処分で済んだ。

午後三時過ぎ、各々の部隊訓練で散り散りになった学内は招集時と打って変わって静かである。人もまばらな中、或堵は食べ逃した昼食を軽く済ませるため食堂へ向かい、その扉を開く。
もちろんのことだが、あまり人はいない。ただ、その中で一際目立つ髪色の人物がいた。


「デュース、…身体はもういいのか。」
「あ。或堵さん!はい、怪我の方はもうだいぶ良くなりましたよ!ほら見て、あいたっ」
「…まだ、あまりはしゃぎ過ぎるな。骨にヒビが入っていたんだろう。」
「まあまあ、こういうのは気持ちで!」
「そ、そうか。」

いつも通りの何気ない会話だったが、三時過ぎとなるとデュースはいつもおやつを食べている。今日も例外なくドーナツであったが、如何せん、今の状態のデュースとは反比例して食が進んでいないようだった。
気になった或堵は、デュースに聞いてみることにした。

「デュース、…いつもより菓子の量が、少ないようだが。お前の好きなものだろう。」
「…あー、えっと…まあ、その…ダイエットっていうか…ほら!病み上がりにあんまり食べ過ぎるのも!」
「先程、あれだけ元気なアピールをしていたのにか?」
「うっ」

どうやら何か事情があるようだった。
或堵は急かすことなく、デュースが話すまでじっと対面し座り続ける。

「……実は。あれから、ちよこちゃんと話せてなくて。」
「……そうか。」
「僕……今回ちよこちゃんのために…動いて、当のちよこちゃんが死んでしまわないように毒には手心を加えたけど、傷つけたことに変わりはないし、心配もさせちゃった。」

ぽつりぽつりとデュースが話し始める。食べ進まず、ひとくち齧っただけのドーナツを見つめながら、デュースは続けた。

「でも、…あいつ。……エルマーは、僕にとって倒すべき相手だったけど、本当に悪いやつかって言ったら、そうじゃないんだって、闘ってて感じた。あいつにも、背負っているものがあったんだ。」
「何も背負わない人間なんか、この世界には存在しないからな。」
「うん。そう思ったし、感じたこととか、心配させちゃったことを、きちんとちよこちゃんと話したいんだけど…」
「……当の本人は、デュースを避けているのか。」
「そうなんですよ〜〜〜〜!!!!」

わっと泣きだしそうな勢いでテーブルに伏せるデュースに、話す前ほど憂鬱な面持ちは見られない。或堵に心中を吐き出したことで幾分か楽になったのだろう。
しかし或堵は「どうしたものか」と頭を捻っていた。どうにもこうにも、これは二人の問題であり、或堵が口を出すことではないのだ。そうして仏頂面でいると、デュースは言った。

「ちよこちゃん、僕のこと避けているのにいつもと変わんない表情なんですよ!何考えてるのかわかんないですよ〜〜〜!ずっと、ずっとそばにいるのに!」
「……何?いつもと…変わらない?」
「はい。僕、どう接するべきなのか……何とかして、話したいんですけど。」
「……そうか、いや。デュース、すまない。間食の邪魔をした。ひとつ言い忘れたが、……お前のその気持ちを、朔城にそのまま伝えたらいいと、俺は思うぞ。」
「えっ!?あ、はい、ありがとうございます…?」

或堵は席を立ち、白と黒のマフラーを翻して食堂をあとにした。
あれだけのことがあり、ちよこ自身憔悴するほどデュースを心配していたのに、いざデュースがちよこに接しようとすると避けるとはいまいち事の辻褄が合わない。
何か理由があるはずではあるし、他人が口を出すべきではないことは或堵にはわかっていた。しかし、このままではいけないと、もう家族のいない或堵は思ったのだ。

こつ、こつと靴の音が、誰もいない廊下の高い天井に反響する。
曲がり角の奥から、自分のものとは違う、少し軽やかなヒールの音が聞こえてきた。

「あら、騎崎くん」
「!」

デュースが頭を悩ませていた本人である朔城ちよこその人とこのタイミングで会うとは、と、或堵は思った。
彼が言っていた通り、あの憔悴しきったちよこは何処にもいなかった。異常すぎるほど、当たり前にいつも通りの彼女だった。


「どうしたの?」


ちよこはいつも通りだ。


「私に何か用かしら。」


悲しいを通り越すほどに、いつも通りだ。




「……一体、何のつもり?」

ちよこがそう声を発したころには、或堵はその片手で自分より背丈の小さいちよこの胸ぐらを掴んでいた。

「それは、こちらの台詞だ。……なぜ、あれほど憔悴しきっていたのにも、関わらず、お前はいつも通りでいるんだ。」
「いつも通り…?私が……?」
「……そうだ。黒軍単独襲撃時に、お前はデュースを……止めるためにと、自らの命もかえりみなかっただろう。」
「…………、…わからないわ。強いて言うなら、あの子に、悪いと思っているから、かしらね。」

胸ぐらを掴んでいた手が少し緩まる。
ちよこの表情が、ほんの少しだけ歪んで見えたのだ。

「あれは私の問題なのに、私が抱えているものなのに、それにデュースを巻き込んでしまった。」

ちよこはまっすぐ或堵を見た。

「あの子が憧れた私の、この拳で、脚で、傷つけたのよ。」

傷だらけの拳には、今は力がこもらない。

「あの子はあの子なりに、エルマーに、絶対適わないと知っていたの。」

ぎり、と薄紅の唇を噛む。

「それでもなお、止めに行った私を倒したわ。……デュースの覚悟も、決意も、私は侮辱してしまったのよ。」

少し震えた声で、ちよこはそう言った。
しかし、或堵の底にふつふつと湧き上がるものは、力に変わった。ドンと鈍い音を立てて胸ぐらを掴んだままちよこを勢いよく壁に押し付ける。

「っ、」
「お前はデュースの心の中を知っているのか?」
「……っ」
「わからないから苦しいんだろう!」

諌めるように、静かに、しかし確かな怒りを込めて、或堵は言い放った。

「お前は朔城ちよこだ。デュース・ウィットフォードではない。話せる口があるのに、同じ場所に、そばにいるのに、お前はそれでも、あいつの口からあいつの本音を聞かないのか。」
「……私に、そんな資格は、……」
「自分の現状を、どう受け取るかは別にいい。ただ、今のままでは、傷がつくだけだ。お前にも、デュースにも。」

ちよこが息を呑む。
遠くを見るように或堵の隻眼を見た。

「…そうね。」

しばらくして、一言。
もう、いつも通りの彼女ではなかった。
その声は震え、拳を握り。噛んだ唇からは血が滲んでいた。

「見苦しい姿を見せたわ。ごめんなさい。あなたにこんなことをさせるなんて、すっかり私も落ちぶれてしまったわね。」

ちよこは俯き、詰まった息を吐き、
そして或堵を強い眼差しで捉えた。

「……さあ、離してくれるかしら。私、今から本当の意味であの子…デュースを、家族を迎えに行かなければいけないの。」

その目に曇りはない。
ただ少し、そこには紅が滲んでいるけれど。

「そうか、邪魔をしたな。すまない。」


或堵はそう言って、掴んでいた手を離した。

弾けるようにちよこは駆け出した。家族のいるであろう場所へ。冷めた紅茶の香りを辿って。

「がっ、」

視点が廻り、床に手をつく。
ヒールが折れた。ただそれだけだった。
かまわない。今のちよこにとって、それは取るに足らないことなのだ。
重みが取れ、軽やかに走る。しかし、その足取りは力強い。


息を切らし、ちよこは夕暮れに染まる食堂に入ると、ドーナツをひとくち齧るデュースがいた。ティーカップからは湯気が出ている。


「……デュース、ごめんなさい。私……」
「なあに。そんなに息切らして。あーあ、靴がボロボロだよ」

デュースは困ったように笑った。

「強い決意と覚悟を持ったあなたと闘ったんだもの。この靴も傷むはずだわ。」
「!」

ちよこは、自らが付けたデュースの顔の打撲跡を触れるように撫でた。

「私、あなたを傷つけてしまったわね。あのエルマーと闘うのに、止めに入ることで、あなたの志を、傷つけた。」

長いまつ毛が伏せられ、俯いた顔からは、自嘲するように笑う口元だけが見える。

「それは、違うよちよこちゃん。」

その言葉に、ちよこは驚いて顔を上げた。

「あの時もし、ちよこちゃんが来てくれなかったら、僕と闘ってくれなかったら、僕は僕の意志でエルマーと向き合えなかったよ。……向き合って、闘って少しだけわかったんだ。あいつの背負っていたもの。」

だからそんな顔しないで、と言うようにデュースはにこりと微笑んだ。

「あっ、でも、心配させちゃったのはごめんね!僕、まだまだ実力不足だから……」
「……そう。あなたが望むなら、いえ、望まなくても。私はずっとあなたの壁となるわ。……家族だもの。だから、今度は手心加えないで頂戴ね。」

美しい夕陽に青が差し込む。
窓から見える星が、きらりと輝いた。

「僕もちよこちゃんも、……きっとエルマーも、ドーナツを見ていたんだね。」

デュースは、依然としてひとくち齧ったままのドーナツを持ち、その穴を星にかざした。

「その深淵は知ってたけど、ずーっとドーナツを齧ってた。齧っちゃえば、穴なんてなくなっちゃうもんね。」
「……そうね。ドーナツ、美味しいもの。」



fin.