I-02-00


 海が眠る午前0時。静かに打ち寄せる波の音と対象的に畔の街は喧騒と人工的な光で賑わっていた。
某県来富市。海と山の狭間にあるこの街は、学生の街としてそれぞれの青い「今」を謳歌していた。
 
  そんな荒波にも似た騒がしさから少し外れた場所。住宅地へと向かう人気のない一本道を歩く二人の男女。
 「大森君も家がこっちだったんだね〜」
 「ははは、実はそうだったんすよ。奇遇ですね。」
 サークルの飲み会の後だったんだろう、彼ら、特に彼女は上機嫌で会話をしていた。
 「いやぁ〜でもなんかちょっと嬉しいなぁ、大森君と一緒に帰れるなんて。」
 へらりと笑いながら零した彼女の言葉に彼、大森はにやけそうになる口を必死に抑える。
というのも彼は密かに先輩である彼女に惚れているのだ。
今こうやって並んで帰っているのも二次会に参加せずに一人夜道を帰ろうとしている彼女を見て心配になった大森が勇気を振り絞って声をかけた結果であり、
普段ならば到底起こりえないシチュエーションなのである。
 (本当は家の方向全く逆なんだけど声かけて良かった〜〜〜〜!!!)
 心の中でガッツポーズを決めながらこの幸せな時間を噛みしめる。
高嶺の花だと思っていた先輩が隣で歩いている。話しかけてくれている。
たとえそれが酔っているが故の事だとしても今の彼を幸せにさせるには充分だった。
 しばらく歩くとあれだけあった街灯がはぐれた星のようになり、代わりに月明かりが辺りを照らしていく。
 「先輩の家って結構遠いんですね」
 「あはは〜そうなんよね〜ごめん、もしかして通り過ぎちゃった?」
 こてん、と首をかしげる彼女に、「いやっあのっ…大丈夫っす!先輩とのお喋りが楽しいので問題ないです!!」と的外れな返答をした。
 自然と顔が赤くなっていくことに慌てる大森を気づいていないのか「そっかぁ!!よかったぁ嬉しいよ!!!」と満面の笑みを彼に向けた。
 「あのさ、大森君。」
 「なっ何でしょうか!?」
 「もう少しだけ…一緒に帰ってもらってもいい?」
 そう言って大森を見上げる彼女の表情はさっきの陽気さはなく、どこか怯えているようであった。
 だがこの男はそんな彼女の様子なんて気づくはずが無かった。
 (なっ、なんだってー!?今、先輩一緒に帰ってほしいって言ってなかった!?)
 彼女からのお願いに脳内がパニック状態になっていた。
恋焦がれていた相手からのまさかのお願いである。こんなチャンスはもうないだろう。
パンクしそうな中でようやく「いいでしょう!この大森最後まで先輩のお供をします!」と自信満々に答えた。
明日の朝、確実に思い出して恥ずかしさのあまり発狂するのは確実である。
 そんな大森の痛々しい言葉にも彼女は「ありがと!!」と笑顔で後輩の両手を握った。
無意識でやったことなのだろうがオーバーヒート状態の大森の純粋な心にトドメを刺したのは言うまでもない。
「それでね」
 あの道を抜けなきゃいけないんだけど、と指示した先。その道の途中には橋が架かっていた。
比較的最近に作られているようで、街灯が明るく照らしている何の変哲のない橋である。
「あの橋さ、なんか幽霊がでるらしくてね…」
 その話聞いてから夜一人で渡るのが怖いの、と続けた彼女の表情は曇り、少し青褪めているように見えた。
それを聞いた大森は「大丈夫ですよ!幽霊なんて出ませんよ!出たとしても僕がやっつけます!!」と安心させ、守るように自ら先に進んだ。
 まだひびのないアスファルトに二人の影が落ちる。
 歩みを進めるごとに影はLEDの光に翻弄され伸び縮みする。
 結局、何事もなく二人は橋を渡りきり向かいの岸に辿り着いた。
 「はぁ〜〜〜〜よかった〜〜〜〜〜」
 橋の上でずっと不安そうにあたりを見回していた先輩は安堵の息をついた。
 「ほらやっぱり幽霊なんていないんですよ、先輩」
 笑う大森に彼女はそうだねと恥ずかしそうに頬を掻いた。
 「じゃあ、私はもう大丈夫だから」
 恐怖を乗り越えて安心したのか、先輩は颯爽と一人で帰ろうとする。
 「えっあっ先輩!?家まで送りますよ!?」
 さっきまでの弱気はどこへやら。あっけなく別れようとする彼女に大森は声を掛けるが、「大丈夫大丈夫〜、もうすぐそこだから〜じゃあね〜」と闇夜に消えてしまった。
 「…はぁ」
 夢はいつか醒めてしまうもの。二人きりの時間は儚く、あっけなく終わってしまった。
 彼女と別れた以上、諦めて帰らなければならない。
 (あ〜〜〜〜〜一人で帰んのか〜〜〜〜〜〜辛ぇ〜〜〜〜〜〜)
 さっきまでは二人で歩いていた橋を戻る。
なんだか鼻の奥が痛いようなそんな気がしながら歩く。
 時刻は気づけば1時を回ろうとしていた。

 ざわ…

 向こう岸まで残り半分の場所で、背後から気配がしたような気がした。
大森は一瞬立ち止まったが、気のせいだろうと先を急いだ。
 しかし、数メートル歩いたところでゾクリとした寒気にも似た「何か」が背を這った。
 「何か」がいる。
 足を止めた大森は恐る恐る背後を振り返った。
 大森から少し離れた場所に「人影」が立っていた。
 人影、といってもシルエットという意味での「人影」ではない。
人の形をした闇のように黒い靄のようなものがそこに立っていた。
 「……!?!?」
 どさりと大森はその場で腰を抜かしてしまった。
 …アレが先輩の言っていた「幽霊」なのか?
 すっかり酔いの醒めてしまった頭でそのようなことを考えていると、「人影」はこちらに近づいてきて「笑った」。



『…見ぃつけた』



 気が付くと大森は全力で走っていた。後ろは決して振り返らずただ前を見て走っていた。
途中で二次会上がりの知人たちのグループとすれ違った気がしたが、今の彼にはそんなことを気にする余裕なんて無かった。
目の前で起きた不可解な事象に逃げることだけが彼を突き動かしていた。
 「ハァッ…ハァッ…」
 彼がようやく足を止めたのは下宿先から数百メートル手前の場所だった。
 アルコールが回った身体であるにもかかわらず全力疾走したせいかめまいで足元がくらんだ。
 (あと少しで着く…帰ったらとっとと寝よう…)
 ぼんやりとした頭で歩き出そうとした、
 直後。
 背中から衝撃が走りそのまま地面に倒れこんだ。
視界にはあの「人影」とは違う誰かが、長物を持ってこちらを見つめ笑っている景色が映った。
 何が起きたのか。大森がそのことを理解することなく、そのまま意識を手放した。



- 1 -

*前次#


ページ: