『ミスタと花売り』

ずるずると、引き摺られる感覚があった。
次は頭から水でもかけられて、拷問か。
パッショーネを売るつもりはないが、相手の手練手管によっては舌を噛むべきかもしれない。
薄暗い部屋だ。血でつぶれた目でもそれくらいはわかる。
けれど妙だ、血の臭いもしないし、この部屋には自分以外に一人分の気配しかない。
「お水、飲めますか?」
少女の声だ。パキッと音がして、プラスチックが唇に当てられた。
未開封のペットボトルを今開けて、直後。異物を混入させる余裕はない。
傷ついていた唇が痛む。それでもミスタは与えられた水を少しずつ口にした。
ぱたた、と飲み干しきれなかった水が口から溢れたところで、ペットボトルが離される。
代わりに濡れた布が顔にそっと押し当てられた。
「痛かったら、ごめんなさい」
丁寧に、顔の汚れを落とされる。
こびりついた血を落としていくのに合わせて、次第に視界が開けていく。
目の前にいるのは、何の変哲もない、ただの少女だった。
どこかで見たことがある、どこだったか。町か?
安全な場所だったはずだ、少なくとも警戒など無用の────安心したミスタは、意識を手放した。


目が覚めると、知らない女が隣で寝ていた。
なかなかに胆の冷えるシチュエーションだが、この場合は何かが違う。
まず隣の女は服を着込んでいる。自分は何も着ていないものの、包帯でぐるぐる巻きにされている。
あと身体中が痛い。めちゃくちゃ痛い。こんな状態で腰など振れるわけがない。
「おい、アンタ、なぁ」
「んん……ん……お鍋にスープ、入ってますからぁ……その辺のパンと適当に食べて…………」
意を決して起こしてみたら、なんと寝起きの悪い女だろう。
「いや、そーじゃなくて」
「うるひゃ……うぅ、たまごとベーコンは冷蔵庫にあるから…………眠い……」
だめだ。昨晩どれだけ夜更かししたか知らないが……昨晩?
カチ、カチと事態が噛み合って、思考と状況に整合性が戻ってくる。
昨晩、敵対組織の要人を二人ほど消した。そこまではいい、ジョルノに与えられた任務は遂行できた。
問題はその後だ。護衛の一人にスタンド使いが雇われていたらしい。ピストルズのNo.5とNo.6が死にかけた。当然ミスタにもそれは返ってくる。
追っ手をなんとか振り切って、力尽きてごみ臭い路地裏に倒れ込んだ。……はず。
しかし今、ミスタはスープとパンを温めながら、目玉焼きとベーコンを焼いている。
求めていない回答ではあったが、あの単語を聞いてしまえば空腹には抗えない。
テーブルに置いてある水の入ったペットボトルとか、部屋干しされている自分の服とか、ゴミ箱に捨ててある血まみれのガーゼとか。
それらを見ればだいたいの察しはついた。
ずいぶんとあの女に親切にしてもらったようだ。
他人の、知らない女の家だというのに、妙な安心感があった。スープの匂いが優しすぎるからかもしれない。
「ミスタ〜!オレタチモ〜!」
ピストルズのNo.1、No.2、No.3、No.7が忙しなく皿の周りを飛び回る。
「わかってる。……残りのやつは?」
「ミスタハヤクゲンキニナレー!!」
「そうだな、俺が治れば治るか」
姿を出さないってことは、相当重症だ。
ミスタ自身がこのザマなのだから、当然だが。
「このスープうめぇな……」
小さなテーブルについて、大皿でスープもパンも、目玉焼きにベーコンも平らげる。置いてあったインスタントコーヒーも勝手ついでに拝借した。
ピストルズにベーコンの大半を食われたが、それであいつらが元気になるならそれでいい。
さてどうしたものか。
「おはよ〜ございま……す」
ようやくこの家の主が起きてきた。なかなかいいタイミングだ。もっと早く起きてくれたらもう少し助かったが。
「おはよ、寝坊すけ」
「今日は午後から仕事だからいいんですよ〜」
寝ぼけ眼を擦りながら、ぼさぼさ頭の女が……少女がへらりと笑う。
服の上からでもわかる、肉付きの薄い体。女と言うにはあらゆるものが足りない。
いかにも非力なその体で、ミスタの世話を焼くのは大変だっただろう。
「昨日は拾ってくれてありがとな」
「あ〜、お兄さん、姐さんたちの上得意様だから……」
「姐さん?」
「三番街の真ん中の西の端の通りの、角の、花屋の二階の……」
「…………あー、はいはい」
綺麗な女が男の相手をしてくれるミスタのお気に入りの店だ。
そこに出入りしていて、顔を覚えられているのは少しばつが悪い。
「花屋の方で私は働いてますけど、お花も買って行かれるでしょう?」
「まあ、たまに」
「姐さんがお兄さんの買った分だけは花を返しに来ないんですよ。気持ちのいいお客さんで好きよ、って」
あっ、気持ちのいいってお金の払いがいいとか、優しいとかそういう意味で、決して……!
ミスタは何とも思わなかったのだが、少女的には何か不味かったらしい。
娼婦を姐さんと慕うわりには、こいつ自身はかなりうぶだ。
明らかにヤバい血濡れの男を夜中に拾うあたり、度胸はあるんだろうが……襲われる心配はしなかったのか?
「お兄さんって危ない人?」
「気持ちのいい人だけど?」
「っ…………危ない仕事してるんですか?」
「してるしてる、超してる」
「すると私もヤバイですか」
「いや……うち自体は地域に愛されるタイプのアレだから、平気だろ」
「なんですかそれ」
「理由のない無差別なことはしねえってこと」
「理由が有って、特定的なことはするんだ」
「そりゃあな」
ギャングだもん、俺も昨日二人殺ったし。
とは流石に言えない。
いくらパッショーネが一般市民に優しい組織でも、そう簡単には名前は出せない。
ギャングはあくまでも裏社会の存在だからだ。
ミスタの答えを聞いた少女は、ため息とも深呼吸ともつかない息を吐いて、ミスタを見据えた。
「私の周りの人は安全ですか?」
「この町で悪事を働いてなけりゃ、俺は誰にとっても気持ちのいいお兄さんだぜ」
行きつけの店の女と、その妹分を守るくらいの甲斐性はミスタにもある。さらに妹分に関しては、命の恩人だ。
「私の分のパンまで食べちゃうのは、全然気持ちのいい行いではありませんけど」
「寝坊すんのが悪いだろ」
知らないとはいえ、ギャングの大幹部に向かって、恩を売ったり減らず口を叩いたり。
「あー!スープも空っぽ!」
「あんまりうまかったから、つい」
「そ、そういう言い方されると怒れません……姐さんたちに気に入られるわけですね」
唇を尖らせる姿は、いじらしくてつつき回したくなる。
「ところでよ〜、なんか履くもんくれ。お前パンツまで洗濯しただろ」
「……びゃっ!!」
驚いた猫のように飛び上がる少女に、たまらず噴き出した。介抱するときは気にもしなかったんだろうに。
飛んできたバスタオルを受け取りながら、こいつ、俺の妹分にしてやってもいいな、とミスタは思った。