虹村兄弟
「おじさん、なんだか今日は下が騒がしいねえ。形兆くんたちは元気だなぁ」
返事はない。この生き物はくぐもった唸り声をあげるだけだ。それでもニケは気にせずに話しかけ続けた。まるで猫かなにかにするように、蹲る背中を優しく撫でながら。人間だった頃の姿はもう思い出せない。そもそも虹村家とはそこまでの繋がりはなかった。遠縁の忌み子を形兆が練習台として矢で貫いて、死ななかったから拾われた。未遂となったが形兆の初めての人殺しだ、標的を捨て置けるほどに心が凍てつく前のこと。あのとき死んでも良かったが、呼吸を留めて正解だった。この家での暮らしは面白い、あの家とは違って。今も家の中で何か変わったことが起きている。
階下で一際大きな爆発音がすると、屋敷は静けさを取り戻した。
「終わった、のかな。後片付けさせられるんだろうなぁ……もー」
緑の化け物と能天気に笑う少女。アンバランスなその光景は、虹村邸においてはごく普通のこと。少女はそれなりに変わり者だった。
「ねぇおじさん、誰か来たみたい。この足音は知らないなぁ……。あっ」
どてどてと足音をさせて、“おじさん”はドアへと向かっていく。流石のニケも少しばかり危機感を抱いて、護身用にと押し付けられたナイフを握りしめた。
足音は二人分、大きいのと小さいの。大きいのは負傷している、たぶん。
“おじさん”を見た二人がどういう反応をするかはわからないが、さっき弓と矢を片付けに来た形兆がくれた情報からすると、 無防備な女を突然攻撃するようなタイプではないと見た。
「ギピィィィーッ!」
“おじさん”の声。続いて男の子の戸惑う声。
怯えて逃げてきた怪物をよしよしと宥めて、ニケは少年二人と対峙した。
「はじめまして、こんにちは」
「こ、こんにちは……?」
「挨拶のできるいいこだねぇ、君たちは」
「えーと、アンタ、敵ッスか?……いや、どう見ても敵じゃねーよなァ〜」
リーゼントの男子が困ったように頬をかく。形兆の情報通り、敵意を向けなければ攻撃的にはならないようだ。
「私はニケ、形兆くんたちとは遠縁の親戚でね、居候させてもらってる」
「俺は東方仗助ッス。……で、その、“それ”は?」
ニケが気遣っている生き物を指差して、仗助は眉根を寄せた。得体の知れない怪物にしか見えないのだろう。想定内の反応だ。
「あぁ、この人は“おじさん”……」
「ニケ!テメーは黙ってろ」
「形兆くん!よかった、死んでなくて」
血まみれの形兆がニケと仗助たちの間に割って入る。大きな背中だな、とニケは思った。私のこと庇ってくれていると自惚れたいくらい頼り甲斐のある背中。
「この弓と矢は断じて……渡すわけにはいかん」
弓と矢の前に立ち塞がっているだけだと、わかってはいたけれど。その間に偶然自分がいるだけだと。それほど、彼にとってこれは重要な代物なのだ。
それについて、ぽつり、ぽつりと形兆は言葉をこぼし始める。悲惨な虹村家の記憶。いつか形兆が自分に語って聞かせてくれたそれをニケは改めて聞きながら、彼らの父親だったものを憐れんだ。息子に苛立ちで足蹴にされるそれを見ても、形兆を咎めようとは思わない。愚か者の末路、その人生に付き合わされる虹村兄弟。
死なせてやる、それ以外に何の救いがあるだろう。そう思っていた。
東方仗助がその能力を使うまでは。
破壊された箱、直される中身たち。
褪せた紙切れは、幸せの記憶だった。虹村家の家族写真。それを、この化け物は、ずっと。
「形兆くん……」
たまらず、ニケは後ろから形兆を抱き締めていた。自分でも驚くほどに優しい声が出ている。
「もういいよ、もういい。形兆くん独りの闘いは終わったよ、もうここに留まる必要はないよ」
「ニケ……俺は……」
億泰も、震える声で形兆に語りかけた。
「兄貴、親父はもしかしたら、心と記憶は戻るかもしれねえよな、なぁニケもそう思うだろ」
「それで、ちゃんと反省してもらおう、きついお灸を据えてやりましょう。ね、形兆くん」
形兆のまとう空気がわずかに柔らかく変質する。
このままならハッピーエンドになる、その時だった。
「…………ッ!? ニケッ、億泰ッ!邪魔だどけェっ!!」
突然二人を突き飛ばした形兆が、閃光に包まれて悶絶する。何が起きたか理解するまで数瞬……スタンド攻撃だ。
「バッドカンパ……ぐうっ」
「兄貴ィィィ!!」
ずるり、ずるりと形兆が形を失いながらスタンドに引きずられてコンセントに吸い込まれていく。
「電気だ!億泰の兄さんが電気になっていく!!」
「来るな億泰!ニケ!お前らも巻き込まれ……」
後に彼女は、そのときのことを「やってみたらできたの」と笑って話した。
「てやあああァァッ!!」
ニケが形兆の手首にナイフを突き立て、自身も電気に焦げながらそれでもやめることは決してしない。
「ニケ!?」
ニケの奇行に驚く億泰をよそに、彼女は矢継ぎ早に指示を出す。
「億泰くん空間削って形兆くん引っ張って!」
「お、おう!」
「くぅ……体持ってかれちゃう、もっと早く削って!!」
ニケの体にも電流の余波が伝っていた。ただしスタンドは形兆だけをターゲットとしているのか、ニケは痺れるだけで形を保っていた。人の体に刃を突き立てる感触に臆する暇もなく、夢中で形兆の手首を切断する。
「東方仗助!早くッ!」
ニケの意図を理解した仗助がクレイジーダイヤモンドで手首を“直した”。
吸い込まれかけていた形兆の体が、手首に引かれて部屋に戻ってくる。
「形兆くんっ!」
完全に形を取り戻した形兆の体にニケが飛び付いた。
「息、してない……でもまだ脈はある!」
ごめんね。心の中で一度謝り、ニケは形兆に口づけた。呆然と立ち尽くす男たちをよそに、一人ニケは人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。
「死ん、だらっ!許さ、ないっ!帰ってきなさい虹村形兆ォ!」
「あ、ぁ……そうだぜ形兆兄貴!ここで死んだら男じゃねぇッスよ!!」
ようやく億泰が我を取り戻し、ニケの見よう見真似で心臓マッサージを行い始めた。
時間にして二分、けれどニケには二時間にも三時間にも思える長い長い闘いだった。
「う、ぐっ……は…………無茶、しやがって」
「形兆くん!よかった、よかったぁぁ〜」
一気に緊張がほどけたニケが、その場にへたりこむ。
無理矢理持たせておいたナイフが、俺の身を守るなんてな……。形兆はその大きな手で、ニケの頭を撫でるように掴んだ。
「だいたいテメーニケよぉ、他人の手を躊躇なく切断するなんて、あんまりだとは思わねえか」
「……私にも、ほんのちょびっと、形兆くんとおんなじ血が流れてるからね。これくらい、なんてことない、よ」
嘘つけ、震えてるじゃあねえか。勝手に人工呼吸なんぞしやがって。
「それより億泰、お前は本当に足手まといで……そんなお前に男じゃねぇだのなんだの言われたら、黙って死ぬわけにもいかんよなぁ」
「兄貴、それはその…………すいませんっした!!」
「肝心の弓と矢は持っていかれちまったか……」
「それについては頼れる人知ってるんで、なんとかなるッスよ〜。それより形兆、俺に何か言うことあるんじゃないッスか〜?」
「ない」
「手間かけさせたな、ありがとよ。だって」
ニケの超意訳について、形兆は何も言わなかった。ただ、腹が立ったので億泰を殴った。
これから俺はどうなるのだろう。親父を殺して初めて、自分の人生が始まると思っていた。もういいよ、とニケは言った。この誰のものかわからない人生を走ることをやめても。
……疲れた、とにかく今日は疲れた。もう何も考えたくない。眠ろう。今夜はよく眠れるはずだ。
「ニケ、後始末頼んでいいか」
「しょうがないなぁ形兆くんは。その代わり今度お散歩付き合ってね」
「……あぁ」
以後形兆……虹村家はSPW財団の監視下に置かれ、弓と矢についての一連の出来事に全面協力することで処遇は保留となった。
- 1 -
* >>
しおりを挟む