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私にとっての王子様がいる。その人はお金が大好きで、お金で全ての物事を計る人だ。お金に換えられないものには価値がないそう。貯金はゲーム感覚でやっているらしい。
だから、私のこともお金がなければ助けてくれなかった。溢れる程の富のなかで生きてきた私は、冥さんにとって金の成る木だろう。高専に入れたのも冥さんのおかげだ。
 
とある御三家の分家の家系に生まれた私は幼い頃から呪力と術式には恵まれていた。だが、本家のやつらのせいで私は呪術師としてのスタートラインにも立たせてもらえなかった。自分で言うのもなんだが、こんなに呪力に恵まれている私は宝の持ち腐れだと思う。父と母はそんな血筋の中でも珍しい部類の人間で、私を一人前の呪術師として育てあげたかった。圧力によってそれは叶うことはないと思うが、そう思ってくれているということがとても嬉しく、そして誇らしかった。

私と冥さんが出会ったときの話をしよう。十五歳だった私は本来なら来年から呪術師の学校に入学するはずだが、未だにこの広い屋敷で過ごしていた。外の世界も知らないまま、宛てがわれた男と結婚して、子を作り、この生涯を終えることは見えていた。そんなつまらない人生なんて御免だった私は、毎日のように両親に高専に入学させてもらうように言っていた。両親が本家に談判してもそれは阻まれるの繰り返しだった。ごめんね、という申し訳なさそうな二人の顔を見た私は自分で何とかしようと思い立ったのだ。本家はクソ、じゃあどうする?外の世界の人間と接触しよう。
───つまり、呪術高専の人間だ。父と母に手助けしてもらう歳でもない。自分の力で切り開くべきだ。そう思い立つと行動は早かった。ここから近いのは京都校だ。京都校にさえ辿り着けば、本家の人間をぶちのめせる。本家には私と同じ年齢の双子の女の子がいる。一人は呪力がないそうで、酷い扱いを受けていると母から聞いた。クソだ。本当に最低。早く高専に入学して立派な呪術師になってあんな家ぶち壊してやる。女というだけで門前払いなあの家の門を蹴破ってやるという気持ちをふつふつと募らせていた。

日中の静かな時間帯にそそくさと家を抜け出した私は京都校へと向かった。張り巡らされている結界を無理やりくぐろうとしたその瞬間に首にひんやりとした「何か」が当てられた。

「君はここの人間?」

淡々とした女の声だ。目だけを動かして横をちらりと見ると、斧が私の首に当てられている。数ミリでも動いてしまえば首が落ちてしまうだろう。恐怖と緊張でごくり、と喉が鳴った。

「もう一度聞くよ?君はここの人間?」
「……いいえ、違います」
「では何故?」
「……ここに来たら、……呪術師に、なれると思って……」

ふぅん、と呟きながらもその斧は未だに私の首に当てられたままだ。本家の人間に消される前に呪術師に消されてしまうのか私は。斧を当てている人間の顔は見えない。ただ、女なのは分かる。
そして次に女は私にいくつかの質問をしてした。

「君の名前は?」
「ミョウジナマエ…です」
「……ミョウジ?聞いたことがある名前だね?……あぁ、思い出した。…君は禪院の分家の人間かな?」
「…そうです」
「おおよそ、本家に入学を止められていて強行突破でここに来たと、」
「そうです」

全く、面白い子がいるものだ、と後ろでクツクツと笑っている。どこに面白い要素があるのか分からないが、そんなことよりも早く首の斧を下ろしてほしい。

「君はこのまま結界を通り抜け、目的の場所へ辿りつこうとしている。だが、入学はできない」
「なんで、」
「君の家の人間はどうなる?本家から何をされると思う?たしかに君の術式は強力だ。しかも、相伝と並ぶ程の力だ。だとしてもあの家は簡単に入学させないと思うけどね」

女が言ったことはごもっともである。
私が高専に入学して、家族を困らせるか、否、家族が殺されるか、それとも入学を諦めて、家族の安全を優先するか。

「呪術師は一瞬でも迷ってはいけないものだよ。迷いが生じた頃には既に殺されているからね」

その言葉とは反対に先程まで私の首に当てられた斧がゆっくり離れた。緊張が少しだけ溶けてふぅ、と息を吐く。冷や汗の量も一生分出たのではないかと思うほどびしょびしょだ。私は未だ震える身体を無理やり動かし、正体を確認しようと後ろを振り向くと、その先には斧を持った長い髪の美しい女がいた。女はにやりと笑いながら私にこう告げた。

「ミョウジくん、私と取引をしないか?」

「取引?」
「そう取引だ。簡単なことだよ。金を積めば君を高専に入学させてあげよう」

女は薄く笑いながら取引を持ち掛けてきた。そんなの嘘だ。そんな上手い話あるわけが無い。金を積んだとしても高専には入学できずその持っている斧で殺されるに決まっている。そんな見え透いた嘘に騙されるものか。

「金を積んだ後、私を殺すんですよね」
「私は金を積めば何だってやるさ。私は君の味方でも誰の味方でもない。金の味方さ」

私を信じるかどうかは君次第だ。

女は私の顔を伺いながら、答えを待っているようだった。長い髪の間から見える冷たい目が私を射抜く。
呪術師は迷いが生じた頃には殺されているんだっけ。じゃあ、一か八かの賭けに出ようじゃないか。もう昔の護られている私ではない。

「…私の入学の推薦と、……あと、家の人間の安全を必ず保障してくれますか?」
「入学の推薦はするよ。でも、君の家の人の安全はまた別料金になるね。リスキーな案件だ。恐らくトータルでゼロが八つくらいはつく」
「そうですか、」
「私も生憎待つことは好きではなくてね、まぁ、言えることとすれば、」

君の人生は誰のものだ?


あれから二年後。私は今日も元気に吹っ飛ばされている。

「ミョウジ、術式頼りでは特級にはなれんぞ」
「いや、なりませんから……」

術式のセンスは認めるが体術がな、と残念そうな顔をする一つ上の先輩。二年で一級呪術師になった私は、同じ一級呪術師の東堂先輩に毎日のように指導と言う名のしごきをされている。ゴリラと人間では力の差は圧倒的に違うのに。投げられては立ち上がりの繰り返しだ。あと、同じ学年に本家の双子の片割れの一人がいた。どうやらお姉さんの方は東京校にいるらしい。交流会で会えたらいいなぁ。うちの学校の真依ちゃんとは普通の友達として仲良くやっている。

あの日出会った女こと、冥さんは本当に私の願いを叶えてくれた。私が出した額については触れないで頂きたい。あんな額の大金はもう一生出さないであろう。冥さんの一言で入学がすぐに決まったし、家のことは五条悟を使って色々根回ししてくれた。ちなみに京都に出張で来ていた五条悟には「冥さんからのお願いなんて滅多に聞かないからね。僕を使うなんていくら払ったの?」と若干小言みたいなものを頂いた。額は絶対に言えなかった。

上体を起こそうとするが東堂先輩に投げられ打ち付けられた背中が痛すぎて仰向けになるしかない私は晴れた空を見上げていた。いつの間にか東堂先輩はどこかへ行ってしまったようだ。あの人の気まぐれで投げられる私の身にもなってほしい。青い空をぼーっと眺めていると目に髪の毛が垂れてきた。この人も気まぐれなところあるんだよな。

「やぁ、久しぶり」
「、冥さん、お久しぶりです」

冥さんの顔は逆光であまり見えない。綺麗に編んである髪の毛が私に垂れてきていふ。そして、顔が近い。冥さんの美しい顔が鼻と鼻がくっついてしまう距離まであるので、離れようと身体を動かしたいが仰向けのままだ。「今起き上がりますね」と無理やり身体を起こそうとすると、冥さんは「痛そうだね」と私の身体を起こしてくれた。そして私の制服についた砂埃を払い、綺麗に爪が装飾された手で私の腕を掴み、立たせてくれた。なんか、エスコートされているみたい。冥さんの一つ一つのスマートな仕草にどきどきした。

「どきどきします」
「また突拍子もないことを言うね」

ふふ、と冥さんの妖しく微笑む顔はとても綺麗だと思う。出会った頃は冷たく、怖かった雰囲気も今ではミステリアスで片付けられるほど。冥さんと私の関係はなんと言えばいいのだろう。師匠と弟子?いや、戦術習ってないし。任務もそんなに一緒にならない。冥さんはフリーの呪術師かつ一級なので単独でも余裕で呪霊なんて祓除できるし。時々、京都に用事があった時に寄ってくれて、話したり、一緒に食事へ行くくらいだ。名前をつけるとしたらこの関係はなんだろうか。

「冥さんと私ってどういう関係なんでしょうね」
「主従関係でもないし、ナマエは私の師弟でもないね」
「うーん、私を救ってくれたから、…王子と姫?」

私がそう言うと、冥さんは大笑いした。ハハハという声が響き渡る。冥さん、気が狂ってしまったのかな。というか、こんなに笑う冥さんを初めて見たかもしれない。今日この場所にいなかったら一生見れなかったかも。目を細めて口に手を当てて笑う冥さんは新鮮で、失礼ながら人間らしいところもあるんだなと少しだけ嬉しくなった。

「はぁ、笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだよ、で、私が王子でいいのかい?」
「もう!笑わないでください!」

王子と姫。思いつきで言ってみたけどなんだかしっくりくる。金を積まないと姫を助けない王子なんてどこの御伽噺話にもいないけど。実際、家に囚われていた私を救い出してくれたのは間違いなくこの人だ。冥さんは人生の恩人でもあり私にとって王子様だ。納得する私の横で冥さんは「こんな強い姫に王子はいらないと思うけど」と自分で言って笑っていた。そんな冥さんが面白くて私もつられて笑った。

「冥さんとならどこへでも行けそうな気がします」
「そうかい?嬉しいね。じゃあ、」

二人で海外に行くのもアリだね、と冥さんは続ける。一級が二人も海外に行ったら上が泣くし、みんなと離ればなれになってしまうから私はまだここにいたい。私が「遠慮します」と返すと、冥さんは「冗談だよ」と笑った。

「これから任務でね、歌姫のところに行かないとだったんだ。楽しかったよ。……またね私の姫、元気で」

いつもの表情に戻った冥さんは私の手を両手ですり、と撫でると校舎へ消えてしまった。言いたいことだけ言ってすぐにどこかに言ってしまう冥さんにはもう慣れたものだ。姫と呼ばれて少しだけキュンとしたのは冥さんにはバレていないはず。冥さんの落ち着いた声のトーンが私の心を少しだけ揺さぶった。
冥さんに今度はいつ会えるのだろう。もっとあの人の色んな表情を見てみたいという私があの時たしかにいた。


十月三十一日夜、私たち京都校の面々は渋谷へ向かうべく東京行の新幹線に乗っていた。ふと、携帯を確認すると不在着信と留守電が一件。

「すみません、電話してきてもいいですか?」
「早く戻ってきなさいよ」
「はい」

座席を立ち、乗降口とトイレがある場所へ入る。画面をタップし、留守電を流すと聞き慣れた声が聞こえてきた。
音声がプツッと切れた瞬間、私は思わず壁に身体を預けずるずると倒れ込む。冥さん、なんで、どうして、そういう気持ちが何度も何度も込み上げてきた。ねぇ、私たちはもう会えないの?

どうしようもなく泣きたくなった。


「なまえ、私だ。君も向かっていると思うが先に言っておくよ。私は命の危機を感じたらこの国を捨てるつもりだ。ナマエは十分強い。そんな君を私は、」
     

あの日、冥冥はたまたまあの場に居合わせた。一人の少女が高専の結界をくぐり抜けようとしていたのだ。少女の元へ後ろから近づき、冥冥は斧を少女の頸動脈へ当てた。ここの人間かと問うと、違うと少女は震える口で答えた。
少女の名前はミョウジナマエ。禪院家の分家の娘だ。家を勝手に飛び出し、ここに来たと言う。ミョウジ家の娘の噂は冥冥の耳にも入っていた。本家相伝と並ぶほどの術式を持っているとか。だが、男ではなく女だからとくだらない理由だけで彼女は呪術師になる道を閉ざされていた。そんな娘が自分の目の前にいる。何か面白いことが起きそうな予感がした冥冥は彼女に取引を持ちかけた。
少女は悩んで悩みまくった挙句、後日、冥冥が提示した金額の倍以上の金額を渡してきた。これには冥冥も多少驚いた。十五の娘がこんな大金を積んで、自分の夢を叶えてほしいと真っ直ぐな目で言ってきたのだ。冥冥はますます面白くなった。取引通り、京都校への入学と家の人間の安全は間違いなく保障した。金以外に興味がなかった冥冥にとってミョウジナマエは異質な存在になった。高専で会うたびに、最初の冷たい印象とは一変して、今では表情豊かな生徒に育った。冥さん、冥さんと後ろを着いて回るナマエが可愛かった。「冥さんだいすきです」と冗談なのか本気なのか分からない言葉も冥冥にとっては心地が良く、弟の憂憂も嫉妬するほどだった。

ナマエはとてつもないスピードで力を付けていった。二年に上がる頃には冥冥と同じ、一級呪術師にまで昇級するほど呪術師としての才能と努力に関しては冥冥も他の人間も認めていた
ある日、ナマエは自分たちの関係を「王子と姫」と表現した。この言葉を聞いた時、冥冥は笑いが込み上げてくると同時に名前に対しての愛おしさも溢れ出した。何故ここまでミョウジナマエという人間に情が湧くのか。冥冥は自分の気持ちに薄々気が付き始めていた。



「好きだったよ、と伝えたかったんだけどね」

切れちゃったみたいだ、冥冥はホテルの一室で一人静かに呟いた。







前に参加した企画の再録です