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ナマエちゃんはかわいいね。

マキマさんはいつもそう言いながら私の頭を撫でる。私はその優しく撫でる手が大好きだ。あたたかくて気持ちいい。マキマさんの膝の上に頭を乗せるようにされて、ゆっくりと撫でられると、ぬるま湯に浸かっているような幸せな気分になれる。ずっと浸かっていたい。さらに髪を優しく梳かすようにされると瞼がだんだん落ちてくる
「いいよ。ここで寝ても」
ソプラノの少し高い声が微睡みの中で聞こえる。私はそれに答えることができず、返事をするかのように目を閉じた。


しあわせな夢を見た。なんと私がマキマさんとキスしてしまう夢だった。どういう経緯でキスをしたのかわからない。マキマさんからなのか、私からなのか、もうどっちだっていい。だって、大好きなマキマさんとキスしたんだもの。これ以上の幸せなんてないでしょう?
マキマさんとキスした瞬間は夢なのに鮮明に覚えていた。マキマさんの唇は甘くてやわらかくて砂糖菓子のようだった。ふわふわしている中で私たちはずっと口づけを交わしていた。夢だからか苦しくもなく、角度を何回も変えたりして、くちびる同士を合わせるだけのかわいいキスをしていた。それはとてもしあわせで最高な夢だった。この夢から一生覚めなくてもいい。ずっとこの甘い夢に酔っていたかった。その願いは叶わず、窓から差した西日が眩しくてしょうがなく目を開けてしまった。

夢から覚めても興奮からか胸の動悸が止まらなかった。現実に引き戻されても、あの夢はなんだかリアルで、いっそ正夢になってくれればいいのにと思った。さっきまで膝枕をしてくれたマキマさんはとっくにいない。あの人は忙しい人だから本当は私なんかを相手にしている暇なんてないのに。その代わりに私の体にはブランケットが一枚掛けられていた。マキマさん好き。だいすき。
ブランケットを抱きしめながら私は夢の余韻に浸ろうと思っていたら、「お、起きた?」と最近嫌いなヤツの声が聞こえた。最悪。不機嫌そうな顔で振り返ると、思いきりそいつを睨んでやった。

「なに?」
「なにって、マキマさんに起こしてこいって言われたから来たんデスケド」

めんどくせーとため息をつきながら頭を掻く姿に思わず殴りかかりそうになる。マキマさんのお気に入りだからって調子に乗るな。私より年下なのにタメ口聞いてくるし、生意気だし最悪。マキマさんには仲良くやりなさいと言われてるけど無理。なんで寝起きでアンタの顔見ないといけないのよ。ため息つきたいのはこっちなんだけど。

「なぁー行こうぜ」
「はいはい」

一気に怠くなった体を無理やり起こしてデンジの横に並ぶ。私はこの怠そうな目をしているチンピラみたいな男が嫌いだ。あと、早川アキも嫌い。なんでかというとこいつらはマキマさんのことが好きだから。マキマさんを見ると、顔を赤くしてへこへこしてるからこいつらが嫌い。恋愛対象として好きなのか、上司として好きなのかなんてわかってる。こいつらは私と同じ「好き」の部類なんだって。だから嫌い。マキマさんのことが好きなのは私だけでいいのに。私の方がデンジより、早川アキよりも前にマキマさんが好きだった。マウントなんてかっこ悪いけど、マキマさんを前から知っていたのは私なのに。本当に嫌になる。呑気に私の隣を歩くデンジを見ると、ちょうどデンジも私のことを見ていたらしくバチッと目が合った。

「なに?」
「なぁ、キスしたことある?」
「はぁ?」

思わず気が抜けた声を出してしまった。なに言ってんのこいつ。

「マキマさんとキスしてみたいって思う?」
「ねぇ、なに?本当なんなの?私を試してるの?」

デンジは「だってお前マキマさんのこと好きじゃん」と口を尖らせて言う。好きだけど。お前の好きとは比べ物にならないくらい好きですけど。

「デンジは?」
「あぇ?」
「デンジはマキマさんとキスしたいの?」
「したい!」
「うざい!」
「っ、いってぇ!なんでぇ!」

興奮しているデンジの頬を思い切りビンタした。マキマさんとキスしたいなんて百年早いわ。調子に乗りやがって。デンジは腫れ上がった頬を摩りながら私を睨んだ。

「なんだよ!キスしたくないのかよ!」
「したいに決まってんじゃん!…マキマさんとキスなんてするなよ。その時は殺してやる」

私はデンジの頬を引っ張りながら言ってやった。デンジは「女こわ…」と縮こまったまま、とぼとぼと歩き出した。
早川アキは頬がひどく腫れ上がったデンジと私を交互に見ると、「ほどほどにしろよ」と。お前がマキマさんに手を出さなかったらな。


あれからマキマさんとは会えなかった。顔を合わせるのはデンジ、早川アキ、パワーちゃんくらい。本部に行ってもいないし、あの時の夢を思い出せば仕事が頑張れると最初の方は思っていたが、しばらく会えないとその効果も薄れてきて、結局本人に会えないと意味がなくなってきた。癒されたい。可愛がってもらいたい。名前を呼んでもらいたい。かわいいって言って撫でてもらいたい。膝枕もしてもらいたい。
そんな煩悩の塊だから「銃の悪魔」にやられるのだ。


目を覚ますと真っ白な天井が見えた。あまりの眩しさに目を細める。あれ、私、なんでここにいるんだっけ。ていうか今日って何月何日だっけ。身体を動かそうすると、全身に激痛が走り、声にならない悲鳴が出た。足は多分折れてる。腕も折れてるし、肋骨もバキバキだと思う。息をするだけでも苦しいから。仰向けにしかできないこの不自由な身体になったのは自分のせいだし、まだ体のどこも失っていないことが救いだ。私があの夢に酔いすぎたんだ。マキマさんは私とキスなんてしてくれないのに。マキマさんのこと考えていたせいで大怪我した馬鹿女のことなんて嫌いになるに決まってる。身体も思うように動かせないし、これじゃあマキマさんに会いに行けない。もう嫌だ。悔しくて、痛くて、鼻がツンとなって涙も出てきた。マキマさんに捨てられたらどうしよう。いらない子だって言われたらどうしよう。

いろんな感情が頭を支配して、ぐちゃぐちゃになってしまった私はわんわんと子供のように泣いた。


また眠ってしまったらしい。私はまるで泣きつかれた子供のようだった。目を覚ますと朝になっていた。丸一日寝ていたらしい。目を開けると隣に人がいる気配がする。

「おはよう」
マキマさんだ。
「だいぶひどい怪我だね」
マキマさんがいる。
「大丈夫?」

マキマさん。今一番会いたくて一番会いたくなかった人。でもこうやって私のために時間を割いて来てくれたの本当に嬉しいの。マキマさんの顔を見た瞬間から涙が止まらなかった。

「マキマさん、お願い、嫌いにならないで」

掠れた喉でやっと言葉にできたのはこの一言だけだった。あとは布団にくるまって嗚咽を殺して泣いていた。マキマさんがいるのにこんな顔見せたくない。すると、くるまっていた布団をマキマさんによって剥ぎ取られた。

「嫌いになんかならないよ」

だって、ナマエちゃんかわいいでしょ。

マキマさんは、そう言うと、私の頬に手を添えた。私の目とマキマさんの不思議で綺麗な目がかち合う。

「ねぇ、キスしたことある?」
「マキマさんとしか、したくない、です」

するとマキマさんの顔が近づいて、私たちは交わった。角度を変えて何度も交わった。マキマさんのくちびるはあの夢みたいに甘かった。
甘いくちびるが離れると、頭の中の靄がカラッと一気に晴れた。そして。

あれ?私にとってマキマさんってなんだったんだろう?

呆然としているとコートを羽織ったマキマさんが目の前に立っていた。

「じゃあ私は行くから。元気になったらまた会いましょう」

それに対して私はなんて返事したか覚えていない。「はい」だっけ?「いいえ」だっけ?
マキマさん相手に「いいえ」なんて返事は、いつもの私だったら、しないはず。絶対しないはず、なのに。
なんで「いいえ」なんて言っちゃったんだろう。

私が好きだった人はどんな人だったっけ? 

早川アキを銃の悪魔にした人。とてもひどい人。残酷な人。いつの間にかぽたぽたと、シーツに滲みができていた。あはは。馬鹿みたい私。
でも、どんなに残酷でひどい人でも、人なのかもわからないけど、私は、マキマさんが好きだった。



マキマさんは元気になった私を殺しにくると思う。
マキマさんのことは好きだけど、それは私が好きなマキマさんじゃない。
私のことをかわいいって言って頭を撫でてくれる、膝枕をしてくれる、嫌いになんかならないって言ってくれたマキマさんが好きなの。大好きなの。愛してるの。私の好きなマキマさんだけを想っていたいから、綺麗な思い出に蓋をしてまた眠ることにした。

「ばいばい、マキマさん。だいすきでした」













□月□日□時□分 ××病院で女性が飛び降り自殺
名前、年齢、住所、職業は非公開





「残念。ナマエちゃん。生きていたらずっと一緒にいられたのに」