師走が近づき、今年の寒気も本領を発揮し出した。私はマフラーをぐるぐるに巻き付けて、はーっと両手に白い息を吐きかけた。そろそろ手袋も用意しなきゃいけないな、とカサついた手の甲を擦る。野球部マネージャーとして水仕事をたくさんしているからか、か弱い女の子って感じの手には到底仕上がりそうにない。ハンドクリームの量を増やすべきかもしれない。
まだ生徒もまばらな早い時間の学校を、寒さに凍えながら門から下駄箱へとことこと歩いていると、数メートル先に見慣れたピンク色の頭を見つけた。小湊くんだ。寮から校舎へと向かう途中なのだろう。いつもなら傍には耳が痛いほど元気な挨拶を繰り出す沢村くんと背丈が頭一つ飛び抜けた降谷くんがいるのに、今日は一人だけだ。風は冷たいし空は鉛色。こんな日の朝でも、小湊くんの姿を見つけるだけでふふ、と口角が上がる。
そろりそろりと気が付かれないように、小湊くんの背後に迫る。私の目線より少しだけ低い位置にサラサラで、撫でたら心地よさそうなピンク色の頭がある。ぱち、と後ろから手を回して彼の目を塞ぐ。
「だーれだっ!」
「・・・・・・苗字さんでしょ」
呆れたように溜息をついて言うから、なんだかムッとして目を塞いでいた手でそのまま小湊くんのほっぺたをむにむにと触る。柔らかい・・・これがマシュマロ肌か!
「ちょっとぐらい悩んでくれたっていいのにー」
そう言って拗ねると小湊くんはもう、と体温の高い手でぺちっと私の手を叩く。こんなに寒いのに、小湊くんは子供みたいに体温が高い。選手の皆はやっぱり代謝がいいのだろうか。湯たんぽみたいに暖かい。
「小湊くんほかほかだね〜! 」と後ろからぎゅと抱きついて暖をとる。顔に当たる小湊くんの髪が擽ったかったけど、なんだか安心する。私このにおい、好きだ。ちらりと覗くと小湊くんの耳はいつものように真っ赤に染まっている。なんて可愛らしいんだろう。ぎゅううっと胸が掴まれて、この子をお嫁に欲しいなと思った。
「ちょっと! 」
焦ったように言う小湊くんにべりりと引っペがされて、あれよあれよと向き合う体勢になる。がしりと両腕を掴まれた。かわいい顔をして意外と力があるところも、なんていうかすごく堪らなくって、心がほくほくする。
「なあに?小湊くん」
さっきまで凍えてたなんて嘘みたいに、体も心もポカポカしている。首を傾げて尋ねると、長い前髪から透明度の高い吸い込まれそうな瞳が珍しく姿を現していた。その瞳で真っ直ぐに見つめられると釘付けにされて動けなくなってしまう。その真剣な眼差しは秋のあのバッターボックスを思い出させた。小湊くんの、本気の目。
「苗字さん、いい加減にしてよ?」
いつもかわいいかわいいと言っているけれど、いざ一対一で向き合ってみると、小湊くんにもやはり男の子の迫力みたいなものがあった。びくっと肩が震える。
「え、なんで・・・? 」
怒らせてしまった理由をぐるぐると頭で考えて、反対に心臓は鼓動を打つのに忙しかった。ベタベタ触ったのが嫌だったかな?行き過ぎた愛情表現だと金丸くんにいつも指摘されていたっけ、と今更思い出した。金丸くんごめん。
「苗字さんは女の子なんだから、もっと自分のこと大切にしなきゃだめだよ! 」
え、と声が漏れた。小湊くんの言葉が耳に引っかかって気持ち悪い。耐え切れない違和感だ。
「ちゃんと大切してるよ、言われなくても! 」
ちがう! とお腹の底から訴えてくる感情に逆らわずに応答した。自分のことを大切に、ってよく分からないけど、疎かにしてるつもりなんてない。最近少しだけ手が荒れているのには目を瞑ってほしい。
「してないよ! 好きでもない男にこうやってくっついたりするんだから! 」
勢いよく、でも悲しそうな瞳でそういった小湊くんを見て、私はぱちくりと瞬きをした。
ん?これってもしかして。
「小湊くんは、私が好きでもない男の子にこんなふうにすると思う・・・の? 」
ちがうよ! ってはっきり伝えたい。私は小湊くんが好きだからこうしてるんだよ、って分かってほしい。気づいてないなんて、思いもしなかった。
小湊くんは自分以外には聡いのに、自分のことにはめっぽう鈍いみたいだ。
さすがの小湊くんもここまで言ってしまえば私の言いたいことを悟ったようで、再び真っ赤に染まっている。
今度は私が、小湊くんを逃がさないようにがしりと、でも怪我をしない程度に気をつけて掴んで、しっかりと瞳を見据えた。
「私は小湊くんのことが好きなんだよ」
思わず飛び出た想い人への告白は、僅かに震えた声だった。気持ちを伝えるのは怖いけど、でも、私は嘘をつきたくない。逃げたくない。恥ずかしくって脳みそが溶けそうなぐらいに顔が火照る。
言ってしまえば一瞬で、そのあとに続く沈黙がジリジリと私の心臓をえぐる。小湊くんは口をぱくぱくさせて少し下を向いていた。私が屈んで覗き込むと、やっと声を出してたった一言。
「ずるい」
イエスかノーかの答えを待ってたのに、いきなりその他の言葉が飛び込んできたので、処理が追いつかない。ずるいってなんで、誰が。
「僕が先に言うはずだったのに。僕の方が君よりずっとずっと好きなのに。苗字さんのことずっと見てたし」
「え、私の方が小湊くんのこと大好きだから! 小湊くんのことはこの命にかえても守るよ! 」
「だから、そういうとこ! 君は女の子なんだから、守るのは僕でしょ! 何いってるの」
ぷんすかという効果音が付きそうな言い合いになって、とても告白直後とは思えない雰囲気になってきた。
ちがう!マネージャーなんだから私が小湊くんを守らなきゃいけないんだ、と負けじと言い返した。けど、言い終わらないうちに「もう黙って! 」と小湊くんの声で掻き消されてしまった。
黙らない!と返答しようとしたけれど私の唇は何か柔らかいもので塞がれてしまって、だむっと変な音になった。
ぴとっと、触れるだけのキス。意外と手が早い小湊くんに驚いて、あわあわとその場に蹲った。
「今度するときは大人しくしててね」
見上げた小湊くんのお顔はお兄さんそっくりで、ものすごくいぢわるだ。両手で顔を覆う。
「・・・こみなとくんのいぢわる・・・」
そう言うと小湊くんは、今のは君が悪いでしょと口を尖らせて怒った。でも、きちんと私が立てるように手を差し伸べてくれるのがとても優しくて、掌の上で転がされているような気持ちになった。
あんなに寒かったのに、熱気やら自分の顔の火照りやらでぽかぽかと暖かい。
私を立たせた後、小湊くんがぱっと顔を隠すように回した。その頭から小湊くんの髪のにおいがふわりと漂う。私は春のおひさまみたいに幸せな匂いだと思った。
title.icy
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