09
「バレー部の応援疲れたわあ」
「次は野球部やなあ。今年は甲子園行けるやろか」

 テスト期間も終わり、夏休み目前の暑い夏の日。そんな会話が聞こえてきたのは、放課後の部活が始まってすぐのことだった。階段を降りていた足を止め、手すりから身を乗り出すように覗き込めば、私のさらに下を歩いていた部員が目に留まる。
 そうか、バレー部はインターハイ終わったのか。なんだか自分の大会じゃないのに寂しさが込み上げてきて、胸がぎゅっと詰まる。

「てか、宮双子えらい活躍やったなあ」
「それを言ったら尾白先輩もやん」
「せやけど。侑のサーブえぐかったわ。なんや使い分け?みたいなんしてて」
「あ〜、せやったなあ。去年はそんなんやってへんかったよな」

 最近よく耳にする名前に、私は思わず耳を立てる。宮双子、最近何かと私に絡んでくる双子だ。
 後輩と宮侑が揉めた一件があってからというもの、宮侑は私と顔を合わせる度に「俺の名前覚えてるか」と聞いてくるようになった。人の顔と名前が一致しないとはいえ、そんなすぐに人の名前を忘れるほど薄情ではないつもりだ。ただ、宮治と一緒にいる時だけは、どっちがどっちかいまだに分からず「お前いい加減にせえよ」とキレられている。

「あ、先輩ここにおった!先生急に会議入った言うて、先パー練に変更やそうです!」
「そうなの?分かった」
「私、先に教室行って準備してきます!」

 私の頭上から聞こえた声に振り返ると、そこには宮侑と揉めた後輩――ひとつ下の幼馴染が笑みを浮かべてそこに立っていた。「ありがとね」と声をかけると、彼女は任せてや!と拳を見せてパタパタと去っていく。普段なら廊下は走らないと注意をする所だけど、まあいいか。

 この子の人懐こい笑みを見る度、私は安堵する。ああ、私はまだ、この子との思い出をちゃんと覚えていられているのだと。


△▼△



「もう嫌やぁ〜!無理、無理やって!」

 だはぁー!と椅子の背もたれにもたれかかった状態で項垂れている後輩に、どうしたものかなあと考える。この子は、調子がいい時は本当に調子がいいのだけど、今日はどうやらそのスイッチが入らない日らしい。そんな彼女の様子を見て、3年生の先輩が「15分休憩するで」とよっこらせと席を立つ。
 やった!と後輩が喜んだのも束の間、「15分でその腑抜けた音なんとかせえ」とピシャリと言い放った先輩に、後輩はピシリと体を固まらせていた。
 余談だが、この先輩、バレー部の件でも大変お世話になった我が部の部長である。他人に厳しく自分にも厳しくがモットーの先輩は、やはり容赦がない。「やれるな?」「はぃい!」先輩の言葉に、圧を感じた後輩はとっさにこくこくと頷いている。

「先輩、私飲み物買ってきていいですか?」
「おん。ええよ」
「あ、なまえ先輩!私の水も〜!」
「分かった」
「天然のやつやで!」
「はいはい」

 先輩から余分に甘やかすな、と視線を感じるが、背を向けて知らんぷりをする。先輩が鞭なら、私は飴。後輩のモチベーション管理も、先輩の役目なのだ。


 後輩のリクエストである天然の水は、少し離れた自販機にしか置いていない。水を無事ゲットしたところで「角名ナイスフォロー!」と叫ぶ声が、体育館の方から聞こえてきた。
 どうやら、バレー部はインターハイを終えたばかりだというのにもう練習を再開しているらしい。いつも思うけれど、運動部は体力オバケなのだろうか。私だったら1週間は休みをくれって言うだろうな。

 何となく最近聞く名前や声が聞こえてきたからか中の様子が気になって、そっと体育館の扉から中の様子を覗き見る。
 どうやら3対3の練習をしているようで、ちょうどスパイカーが打ち込んだ瞬間だった。ボールが床にのめり込むかのように落ちていく。自分に当てられたわけじゃないのに体が固まった。こ、こわ…ボールの当たる音がえげつない。今打ち込んだのは3年生だろうか。

「角名、治。今のはブロック入れたやろ。サボんな」
「…はい」
「すんません」

 落ちる汗をシャツで拭い、宮くんと角名くんはコート外で試合を見ていた部員に返事を返している。今怒られたのはどっちの宮くんだろう。相変わらずどっちがどっちか見分けがつかない。
 練習の邪魔になってもいけないし、と踵を返そうとしたところで、大きな風が吹き、遠くでふわりと何かが揺れた。体育館の2階で揺れていたのは、どうやら横断幕のようだ。なんだかんだきちんと見るのははじめてだ。真っ黒な横断幕に、ハッキリと書かれた言葉を見ようと目を凝らす。

「思い出なんか、」
 
 W思い出なんかいらんW。気づけば、息を吐くようにポロリと口から言葉が出ていた。

「あれ、みょうじさんやん」

 突然降ってきた声に、はっとして上を見上げる。そこにはボトル片手に汗を流す宮くんが立っていた。

「あ、宮くん」
「宮?」
「宮…治くん?」
「ん、正解や」

 ニッと笑って、宮くんはガーっと勢いよくボトルのドリンクを口に流し込む。多分、私がまぐれで当てたことは彼にはバレていると思う。

「ここで何してんの?」
「ああ、休憩。そこの自販機に水買いにきたの」
「ほおん」

 見てけば?と顎で中を指し示す宮くんに「もう戻るから」と首を振る。

「あの横断幕、」
「横断幕?」
「W思い出なんかいらんWてやつ」

 横断幕に視線を向けてそう言えば、宮くんは「ああ」と納得したような声を出す。

「あれなあ。おもろいやろ」
「…?」
「まあ、あのままの意味ちゃうけど。パッと見変やろ」

 横断幕へと視線を向けたまま言った宮くんに、私は返事を返すことなく「そろそろ練習戻らないと」と声をかける。宮くんは特に何を言うこともなく「ほなまたな」と軽く手を振って見送った。

 あの横断幕を見て、なんだか関西らしいユニークな表現だなと思った。過去は過去、今の勝利のために何をするのか。過去の思い出をこえて、今、自分たちは何をするのか。純粋に、なんてカッコいいんだろうと思う。――けど。

――君の脳は、思い出を残すことができません。

 W思い出なんかいらないWと、そんな風に言える彼らが心底羨ましいと、そう思った。

20230312



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