11
 ガラリと教室のドアを開ける。人一人いない教室は、つい数週間前までクラスメイトの騒ぎ声で溢れていたというのに、その影すら感じないほどに物音ひとつなく静かだ。うだる暑さの中、グラウンドからかすかに聞こえてくる運動部の掛け声に耳を傾けながら、ガタガタと机を前方へと動かしていく。外の騒がしさすら少し物足りないと感じるのは、普段聞こえていた帰宅する生徒の声が混ざっていないからだろうか。

 あっという間に夏休みが始まり、8月も10日ほど過ぎた。
 世間ではもうすぐお盆休み、だなんて言われている時期で、通学途中の道にある、少し古びた掲示板にはこの近くの夏祭りのポスターが掲示されていた。
 吹奏楽部は、無事県大会を突破し、翌週には関西大会を控えている。当然夏祭り、と掲示されたポスターの日付は練習どころか合宿と日程も被っていて、行く予定はなかったものの少し落胆した。というより、高校生になって一度も夏の行事というものに参加したことはない。

「今年はついてるわあ」
「ほんまにな。合宿様様やわ」

 あはは、あはは。
 そんな声が廊下から聞こえ、思わず顔に力が入る。吹奏楽部では、今日から1週間、高校に併設されている合宿所で強化合宿が行われる。稲荷崎高校は、部活に力を入れているからか、こういった施設などの設備も充実していた。男子棟と女子棟に分かれている宿泊施設や、普段生徒でごった返している食堂も、夏休みなら休みたいだろうに申請すれば是非と空けてくれる。おかげで、55人のコンクールメンバーの参加はもちろんのこと、コンクールメンバーでないサポートメンバーも参加が出来る。ちなみに、このサポートメンバーというのは、運動部の応援団メンバーのことであったりもする。
 ただ、やはり貴重な夏休み。サポートメンバーは、いくら参加が必須とはいえ、不満がでない訳ではない。一応、名誉のために言っておくと、吹奏楽部員同士特に仲が悪いわけではない。ない、のだが。やはり熱量というか、コンクールに出る者と出ない者で温度差が出てしまうのは仕方のないことだと思う。「合宿いややわ」「彼氏とおりたい」そんなことを言っている部員の声に、そりゃそうだろうなと思うし、その台詞がコンクールメンバーの前で言われたからといって否定するつもりも非難するつもりもない。

 なら、なぜそんな彼女たちから楽しそうな声が聞こえてきたかというと。

 夏休み直前の全体ミーティングで、顧問から「今年の合宿なんやけどな。男子棟をバレー部が使用するからくれぐれも問題を起こさないように」と告げられたことを思い出す。どうやら本来男子バレー部は練習試合もあることから校外の宿舎を使用する予定が、トラブルがあったそうで、急遽校内の合宿所を使用することになったらしい。これは今までなかったことのようで、先輩たちも驚いていたし、サポートメンバーはサポートそっちのけで黄色い悲鳴を隠せていなかった。
 そして、極めつけに掲示板に貼ってあった夏祭りの日程が、合宿中ということもあり、「もしかしたら、もしかするかも」と色めき立つ部員たち。もともとそういった行事に興味のない私のような部員は「へえ」くらいにしか思っていなかったが、皆思った以上に「素敵な夏の思い出を作ろう」と意気込んでいるようだった。

「あいてる時間に、バレー部の試合観に行こうや」
「ええな、それ!」

 きゃっきゃと騒ぐ女子の声は高く、すでに教室から離れた場所を駆け抜けているというのに、教室まで聞こえてくる。せめて聞こえないように言ってくれ、と思うが、すでにお祭り騒ぎの部員には響かないだろう。同パートである部長はともかく、せめて規律に厳しい副部長にこの声が聞こえてなきゃいいんだけどな、と願うばかりだ。


△▼△


「迷ったー!」

 そんな声が聞こえてきたのは、パート練習の休憩中だった。先輩も後輩も、各々の用事を済ませるために教室におらず、私は一人楽譜を睨みつけていた。突然聞こえてきた大声に、びくりと体を震わせ、窓を見る。
 つい先ほどまで聞こえていたグラウンドの声に混ざって、誰かの叫ぶ声。
 迷った、って言ったよね。外部生だろうか。
 思わず窓から身を乗り出すと、エナメルバックを地面に放り出し、項垂れる男が一人。顔は俯いているからからか、どんな表情をしているのか分からないけれど、身なりからして運動部。紺色の運動着は見慣れない者だから、やはり外部生だろう。
 声をかけるかどうか迷ったけれど、道に迷っているというなら困っているのだろうし、なにより稲荷崎高校は無駄に敷地が広い。なぜかどうしてもあの人が自力で目的地に着けるとは思えなくて、思わず窓の縁に両手を乗せて叫んでいた。

「あのー!」
「!?」
「大丈夫ですかー?ここの生徒じゃないですよね?」

 できるだけ声をはったつもりだけれど、私のいる教室は校舎の三階。聞こえているかどうか不安になったが、その心配も杞憂に終わったようで、弾かれたように顔が上がる。

「そ、そう!お前、この学校の人!?」
「は、はい!」
「お願い!俺をバレー部のとこまで連れてって!」

 頼む!と両手をあげたり手を合わせたりと忙しなく動くその人に、少し迷ってから「そこにいてください!」と声をかける。慌ててメモ帳に書き置きを残し、教室を飛び出した。

 私がそこに辿り着くと、先ほどまで叫んでいた男は、「遅かったな!」と叫んだ口で木兎光太郎と名乗った。東京の高校から遠路はるばるやってきた三年生らしい。こっちがわざわざ練習を中断してまで来てあげたというのに酷い言いようである。

「ところでスマホは?連絡取れる人いなかったんですか?」
「昨日充電し忘れてさー、スマホの電池切れた!」
「……」

 俺がトイレ行ってる間に置いてくなんて酷い奴らだよなー、と頬を膨らませる木兎さんは、不貞腐れながら体を丸めるようにしてトボトボと隣を歩いている。最初こそ「はやく!」と手を引かれ走らされていたのだが、知りもしない木兎さんが主導でいろんな道を曲がろうとするものだから、慌てて「道分からないのに走らないでください!」と慌てて止めたのだ。きっと普段から騒がしい人なのだろうな、と思ったら、チームメイトの人たちに少しだけ同情してしまう。

「木兎さんたちの学校って、強いんですか?」
「強い!てかみょうじは俺らの試合見たことねぇの!?稲荷崎って生徒も応援来てるよな?」
「ああ、私、応援行ったことないので…」

 え!?とまるで応援に来ないのがおかしいかのような驚きでこちらを見る木兎さんに、なぜか既視感を覚える。このやりとり、前もどこかでしたような。思い当たる金髪に苦笑いをしつつ、「部活で忙しいし、生徒の応援は一応任意なんですよ」と当たり障りない回答を返しておく。

「あ!なら今日試合見てけば?」
「いや、私今合宿中なので無理です」

 ノーと答えた私に、木兎さんは「そうか…」と残念そうにこちらを見る。そこからは木兎さんのチームメイトの話だったり、木兎さんのスパイクがいかにすごいかという話を熱弁されたりもしたのだが、正直私にはよく分からなかった。
 そうこうしているうちに、見慣れた体育館が見えてきて、木兎さんは「あ!」と声を上げて走り出す。体育館前では、木兎さんと同じジャージを着た生徒たちが慌てた様子で立っていて、木兎さんの顔を見るなり「木兎お前ぇぇえ!」と叫んでいた。どうやら木兎さんの失踪は少し騒ぎになっていたらしい。

「どこほっつき歩いてたんだよ!」
「トイレ!」
「なら行くって言ってから行け!」

 赤葦探しに行っちゃっただろうが!と叫んだ木兎さんのチームメイトは、慌ててスマホを操作し、誰かに連絡を取っている様子だった。そんなチームメイトをよそに、木兎さんは「それより早く試合しよーぜ!」と両手を上げて飛び跳ねている。
 とりあえず、送り届けたし私はここで去っても大丈夫だろうか。そろりと様子を伺った視線は、かちりと木兎さんと噛み合ってしまい「みょうじ〜!」と木兎さんが小走りでこちらへとやってくる。

「ありがとな!」
「いえ。合流できて良かったです」
「今日は無理って言ってたけど、今度試合観にこいよ!俺ら、春高出るからさ!」

 ドドン!と効果音が聞こえそうなくらいに自信満々に言い放つ木兎さんに、凄いなと感心しつつ、「行けたら行きますね」と当たり障りない返事を返して踵を返す。
 絶対だぞ!と叫んだ木兎さんの声。「他校の女子ナンパしてんじゃねえ!」というチームメイトの声をバックに、私は早足でその場を去った。

20230328



back