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夏休みが明けた教室では、会えなかった時間を埋めるかのように夏の思い出話が飛び交う。前の席の男子生徒が真っ黒に焼けているのは夏休み中にサーフィンにハマってしまったからだとか、後ろの席の女子が髪をバッサリ切ったのは彼氏と別れたからだとか。
かくいう私も、8月下旬の関西大会を経て、全国大会への切符を手に入れた。その結果は、あっという間に学校内で周知され「みょうじ、関西大会おめでとぉ」と夏休み明け早々クラスメイトから沢山のお菓子を頂いてしまった。おかげで夏休み明け初日から私の机の上はお菓子の山ができてしまい、その日の昼休みは他クラスの部活仲間や後輩にお菓子を配り歩いて終えてしまったほどだ。
そんな夏休みの延長のような気の抜けた日々も、二週間もすれば薄れていく。日焼けして真っ黒だった男子は少しずつ焦茶へと肌の色を変えているし、クラスメイトの女子の短くなった髪の毛も、前髪が少し伸びたらしく「目にかかるようになってしもた」と不満を垂れていた。
「なまえ〜」
「ん?あ、倫太郎」
倫太郎はといえば、夏休みが明けてから7組へと顔を出す機会が増えた。最初こそ「なまえ、角名くんとどう言う関係!?」「まさか一夏の恋ってやつか!?」なんて騒ぎ立てていたクラスメイトも、今では当たり前のように彼の来訪を受け入れている。
倫太郎に声をかけられていた廊下側のクラスメイトも、何度も仲介役を頼まれるのが疲れたらしく、ある時「いやもうめんどいわ。自分で呼んだらええやん」と倫太郎に言い放ち、それ以降はこうして彼自身に呼ばれることが増えた。その頃には私自身も角名くんに名前を呼ばれることも、彼を倫太郎と呼ぶのにも慣れ、名前を呼ばれる度に緊張することもなくなっていた。
「これ、母さんからなまえに。関西大会突破のお祝いだって」
「わ、いいの?ありがとう」
「あとこれ、こんなに俺いらないからお裾分けね」
呼ばれて廊下へと向かえば、そこにはスポーツ用品店の袋をぶら下げた倫太郎が立っていた。スポーツ用品店の袋はロゴが形を成さないほどギチギチで、きっとこれ以外いれる袋がなかったんだろうなと思いながら袋を受け取る。どうやら愛知の実家から仕送りが大量に届いたらしい。「すごい量だね」と笑えば、倫太郎は「育ち盛りなんだからって言って何でもいれすぎなんだよな」と呆れていた。
「あ、今日昼休み空いてる?」
「空いてるけど、なんで?」
「母さんが昔のアルバム送ってきたんだよ。せっかくだから一緒に見ようと思って」
倫太郎と私が再会したことを倫太郎のお母さんは涙ぐんで喜んでいたと教えてくれたのは、夏休みも終わる頃だった。どうやら母親同士年齢も同じだったことから相当心配してくれていたらしい。
倫太郎から彼のお母さんの連絡先が書かれた紙を渡された時は、正直母に渡すか悩んだけれど、母親に渡した時に私の母親も大粒の涙を流していたのを見て、杞憂だったなと思った。その夜、楽しそうに話す声が微かに聞こえてきて安堵したのを覚えている。
そうして繋がりを再び得た私たちは、こうしてたまに昔の話をすることが増えた。
あの時、自分だけが覚えていればいいと言ってくれた言葉は、確かに私の中の考え方を変えている。どうやらあの言葉には、私の中にある錘を壊すだけの威力があったようだ。
ずっと相手だけが覚えているという罪悪感のようなものを感じていた私にとって、あの言葉は自分が前向きになるきっかけにもなったらしい。今だって、「見るの楽しみ」なんて心の底から言えるくらいには、過去の思い出を受け入れるだけの覚悟ができている。
「じゃあまた昼休みに」
「了解〜」
ヒラヒラと手を振って、去っていく倫太郎の後ろ姿をじっと見つめる。はあ、とため息をついたのは、決して彼に対してのマイナスな意味ではない。私の中に芽生えた小さな蕾のような感情に、気づいてしまったからだった。
まだ、その蕾に花を咲かせるほどの覚悟はできていない。そして今、私が取るべき行動は、彼にその蕾の存在を悟らせないこと。パチン、と両頬を叩いて、よし!と振り返った先にいたクラスメイトの呆れた視線には、気づかないふりをした。
△▼△
「そういえば、この前病院に言ったらね、大分良くなりましたねって言われたよ」
「へえ」
パンを齧りながら、つい先日話したばかりの主治医との会話を思い出す。外傷性の記憶障害は、認知症とは違い、あらかた回復が見込まれる。リハビリも順調なこともあって、「もう薬もだいぶ減ったし、通院もさらに間隔あけて行こうって話になったよ」と伝えれば、倫太郎はほっとしたような表情で「よかったじゃん」と笑った。
「あと、侑くんと治くんの話をしたら、なんか二人のこと褒めてた」
「え、何で?」
「二人を見分けるための会話も、私の脳には立派なリハビリになってたみたい」
主治医は、兵庫に来てからの仲なのでもはや親戚のような存在だった。学校の話だってするし、悩みだって楽しかったことだって何でも話す。そんな主治医は、奥さんと娘さんが関西大会を見にきてくれていたらしく、娘さんに「トランペットを買ってくれ」と強請られたのだとおかしそうに笑っていた。
倫太郎や宮兄弟の話をした時にも自分のことのように喜んでくれた。「で、その倫太郎くんとはどうなの?」とまるで面白いオモチャを見つけたような反応をされた時はつい呆れた視線を向けてしまったけれど。
「…侑のおかげっていうのはなんか癪に触るな」
「え、何か言った?」
ボソリと呟いた倫太郎の言葉が聞き取れずに聞き返せば、倫太郎は「何でもない」と口を尖らせた。特に大した事ではなかったのかな、と頬を撫でる風に目を細める。風、少し冷たくなってきたなあ。9月だもんなあ。チラリと彼に視線を向けると、倫太郎は何やら眉間に皺を寄せながら手元のサンドイッチをじっと見つめている。それがおかしくて笑えば、「何笑ってんの」とじとりと睨まれてしまった。
んん、と両手を前にめいいっぱい伸ばして深呼吸をしていれば、突如隣からカシャリと無機質な音が鳴る。驚いて音の出先を見つめれば、倫太郎がスマホをこちらに構えてニヤリと笑っていた。え、何!?と狼狽えていると、手元のスマホがピロンと音を立ててメッセージの受信を知らせる。
さすがにここでわからないほど私は鈍感ではない。ロックを外しメッセージ画面を見れば、やはりメッセージは倫太郎からで、そこには阿呆な顔して体を伸ばしている私がいる。
「さっき笑ったから、仕返し」
ニヤニヤと笑う倫太郎に、ワナワナと羞恥心が湧き上がる。こういう子供っぽい一面があることは会話を重ねていくうちになんとなく分かっていた。こうして写真を撮られるのだって一度や二度じゃない。「こうして写真に残るっていいじゃん」と彼は言っていたけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「そういえば、昨日の双子の面白い動画あるよ。見る?」
「え、何それ見る」
面白い、という単語に食いついた私を、倫太郎は可笑しそうに見る。「なんだかんだなまえも関西人だよね」と大きな体をさらに縮こませてスマホをこちらに向ける倫太郎に少しだけ近づけば、ふわりと倫太郎の匂いがした。それに驚いて、バッと距離を取ると、倫太郎が不思議そうな顔で「どうしたの?」と首を傾げる。
普段ならあまり匂いなんて鼻につかないのに、何でだろう。バクバクとうるさい心臓を落ち着かせるように「なんでもない」と首を横に振って、今度はその距離をジリジリと詰めていく。そんな私の背を押すように吹いた風は、なんだか心地よく感じた。
20230419
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