02
 その女の子は、2軒先の家に住んでいた。
 名前をなまえといい、祖父母と共に暮らしていた。後から引っ越してきたのは俺の家の方だったのだが、母親同士が同い年だったこともありすぐ仲良くなったと聞いている。ただ、なまえの名字はみょうじではなかった。全く違う名字だったはずだ。

 なまえは、一言でいえばとても明るく元気な女の子だった。同い年の女の子たちとままごとをして遊ぶこともあれば、男子に混ざって虫取りカゴと網を片手に林を探検するような女の子。だからこそなまえの周りには男女問わず人が集まった。
 そんななまえと保育園の頃からよく一緒にいたのが俺ということもあって、小学校に上がる頃には、男子からは「羨ましい」と肩を叩かれた。「なまえちゃんを取らないで!」と女子に泣かれた事だってある。俺はそれが凄くめんどくさかったし、嫌だと思うこともあったけど、それでもなまえは必ず俺を優先してくれていたので、優越感の方が勝っていたように思う。それほどまでに、当時の俺は、なまえのことが好きだった。

 けれど、バレーボールの試合を見ているなまえだけは、どうしても好きになれなかった。いつも俺を優先してくれるくせに、バレーの試合の日だけは、一直線に家に帰りたがるなまえが、嫌いだった。
 そんな俺が、はじめてバレーボールの試合をテレビで見たのも、なまえの家だった。なまえの祖父がバレーボールが好きで、バレーの試合がテレビで中継される時は、チャンネル権が祖父にあるのだと、なまえは頬を丸くして怒っていた。とはいえ、バレーボールに魅了されるのも時間の問題で、気づけばなまえは中継を食い入るように見つめ、俺はそれが気に食わなかった。

「男のひとのバレーってさ、すごいね!ズドンッ!て!床に穴あかないのかなあ?」
「ボールで穴はあかないと思う」
「そっかあ。あ、でもさ!ズドンッ!っていうボールをひろう選手もさ、すごいよね!」
「…ふーん」

 バレーの試合を見た次の日のなまえは、特に煩くて嫌いだった。何を言っているのか分からないし、そもそも俺はバレーなんて興味もない。それよりも俺はなまえと遊びたかったし話したかったのに、なまえから出る言葉は全て俺の知らないことばかり。まるでなまえに見向きもされずに置いていかれているようだった。
 ツーンとする俺に気付きもせずに、なまえはバレーの話を繰り返す。つまらないな、と視線が下がる俺に、なまえは気づかない。

「あっ、でもさでもさ!一番好きなのはズドン!ってボールをドシャットする選手!」
「…ドシャット?」
「そう!ドシャット!」

 いちばん、すき。
 その単語にフーン、と相槌を打ち、口を尖らせる。俺にはいちばんなんてつけてくれないくせに、なんて子供ながらに拗ねる俺に気づかずに、なまえは閃いた!とばかりにパッと顔を明るくしてこちらに顔を向けた。

「倫太郎がさ、こう、ドシャットしたら、かっこいいと思う!」
「ハ?」
「だって倫太郎、背が高いし」
「ええ…」
「どんなボールでもとめる倫太郎!むてきの倫太郎!かっこいい!」
「むてきって何」
「誰にも負けない人ってじいちゃん言ってた!」

 フーン、と相槌を打ちながら、考える。
 そうか、なまえの"一番好きなもの"を、俺が出来るようになればなまえの"1番好きなもの"になれるのか。そうすれば、なまえはバレーより俺をかっこいいと言ってくれるかもしれないし、バレーの話をしている時間が俺と遊ぶ時間になるかもしれない。
 当時の俺は笑えるくらいとても単純だった。なまえがそれでバレーより俺の方が好きになってくれるなら。「倫太郎!こんどバレーやってみてよ!」なんてテンションが上がるなまえに、「いいよ」と返事を返せば、驚いたように大きな目をさらに見開いて、それからなまえは嬉しそうに笑った。

「じゃあね、倫太郎!また明日!」
「うん、また明日」

 ――そんななまえとの思い出は、彼女の転校をきっかけに、小学2年生の秋で止まってしまっている。


▼△▼



「クッソ!ふざけんなや角名ァ!」

 飛んできたボールが手に当たる感触を受け、俺はネット越しに噛み付く侑を鼻で笑う。ボールは勢いを無くし、相手コートの真下へと落ちた。
 「角名、今日は朝からガンガン飛ばすなぁ」「珍しいわ」北さん達も驚いたように口々に言っているのが聞こえたが、聞こえないふりをした。ただ、あの時隣にいた治だけは心当たりがあるのか、じっと俺を見つめていて面倒くさい。

 バレーを始めたのはなまえとの思い出があったからじゃない。けど、確かにきっかけを作ったのは、なまえだった。本当に我ながら単純だと思う。たまたま横顔が似ていただけで、なまえとの思い出を思い出すなんて。

 あの瞬間、結局声はかけなかった。というのも、口を開くよりも先に驚きの方が勝ってしまって、呆然としている間にみょうじさんは困ったように息を吐いて校舎の中へと戻ってしまったからだ。
 かわりに、その日の夜久しぶりに母親に連絡を入れた。母親は「どうしたの?」なんて驚いていたが、俺がなまえの名前を出せば、納得したように「懐かしい名前ね」と電話越しに笑った。
 母親に聞いたところ、やはり今どうしているかは母親も知らないようだった。ただ、引越し先が兵庫だったことを教えてくれた。
 ついでに、「名字が変わったか知っているか」と聞いたところ、「元々あれは母方の名字よ」と返事が返ってきて、ああそういえばと思い出す。
 確かに、いつも会うのはなまえのおじいさんか母親で、父親らしい人はいなかったように思う。「再婚したのかもね」なんて母親は笑っていたが、父親がいなかったことを思い出せないほどになまえとの思い出がちぐはぐなことに酷く落胆した。

 もしみょうじなまえが、かつての幼馴染であるなまえなら、聞きたいことはいくらでもある。
 どうして名字が違うのか、引っ越してから新しい友達ができたのか、バレーではなくどうして吹奏楽を始めたのか、――バレーボールは飽きてしまったのか。
 なんて、仮に本人だったとして、もうずっと昔に遊んだだけの関係のやつに聞かれたって気味が悪いだけか。そっと目を閉じて、心の中に全てを仕舞い込んだ。

20230301



back