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「なあ、なまえは今年こそ春高応援行くやんな?」
「え?なんで?」

 私の貸したノートを必死に書き写していたクラスの友人の手が止まる。つい最近中間考査が終わったばかりだというのに、あっという間に冬休み前の期末考査が迫っていた。
 友人の右手にはシャーペン、左手にはスルメと「息抜きと勉強同時にできひんやろか」と呟いていたこの友人は、今まさにその言葉を実現させているようだった。「さすがにスルメは臭いからやめて」と一応言葉では止めたけれど、「スルメを噛めば噛むほど集中できる気がする」とまるでガムを噛んでいる時のようなことを言うものだから、それ以上を言うのは早々に諦めている。

「なんでって。去年はめんどい〜言うて来んかったやん」
「そうだっけ?」
「てか、角名から誘われてへんの?」
「うん」

 というより、お互い部活の部員の話はすることはあっても、部活自体の話はしないので、そういった話になった事がない。倫太郎は吹奏楽のことは詳しくないので、あまり話すぎてもつまらないと思うし。
 そういえば、倫太郎はどうして部活の話をしてこないのだろう。私が昔バレーが好きだったという話はよく聞くものの、それ以上の話はしてこない。

「なまえさ、角名と仲ええわりには部活見学行ったりせえへんよな」
「まあ、私も部活あるし」
「今はおっきな大会もないんやろ?そんなん適当な時間見つけて見に行けばええやん」

 ぐっと言葉を詰まらせた私にきづいていないのか、友人は「侑とか治見に来るファンも多いんやろ?」と言葉を続ける。あの双子、なんだかんだいって下級生や上級生からはアイドル扱いをされているらしい。「あんなん見かけだけ」とナイナイと手を振っているのは同学年だけだったというわけか。

「なら一緒に見学行ってくれる?」
「は?嫌や」

 多分この友人、断るだろうなと思っていれば、想像していた通りの言葉が返ってきて思わず「なんでやねん」と額めがけて指を弾く。友人は痛っ!?と食べかけのスルメ片手に額を抑えながら「だって興味あらへんし」と理由を述べた。

「でも去年春高の応援は行ってたよね?」
「高校生やで?ハメ外せるところで外してなんぼやろ」
 
 友人らしい回答に、私は呆れるでもなく納得してしまった。この友人はそういうところがある。そこが面白いのだけど。大して大きな反応もせずに「ふうん」と相槌を打ちながら、そろそろグリスが底をつきそうだったなとスマホを弄る。

「てなわけでなまえの名前も書いといたわ」
「ん?何に?」
「春高応援の参加者名簿」

 はあ!?と声を荒げて友人へと視線を戻せば、友人はしてやった顔でケラケラと笑っている。そもそも、いつの間にそんな名簿が出回っていたんだ。私が呆然としていれば、友人は「ほんまに楽器以外に興味なさすぎやろ」とまたも笑う。
 文句の一つでも言ってやろうと口を開いた私に、この話は終わりだといわんばかりに友人が視線をノートへと落とす。事後報告ということは、どうせもう名簿は回収された後なのだろう。もとより毎年その日は学校自体が閉鎖されるので、その日の予定は自宅近くの河原で楽器を吹くくらいだ。

 バレーの話になると、昔にバレーのクラブチームに入ろうと思っていたことを思い出す。今はもうバレーへの熱は冷めてしまっているけれど、当時の私はバレーが本当に好きだったらしい。そして、そんなことを考える度、私にバレーを教えてくれた存在も思い出すのだ。

ーーなまえ、バレーを見るのは楽しいか?

 そんな優しい声を持つ誰か。顔は思い出せないけれど、まだ小学生だった私に向けてこの言葉をずっと言っていたのは、きっと祖父だった。この言葉に、私はなんと答えていたのだろう。その問いに対する答えを、今の私は持っていない。

 季節は冬。もう顔も思い出せない祖父が死んだ季節が、やってきた。

 
△▼△


「お願いやみょうじさん!テスト準備期間中だけでええから俺に勉強を教えてくれ!」

 とある昼休み。いつものように七組にやってきた倫太郎は、珍しく一人ではなかった。そこには数IIの教科書片手に手を合わせる男が二人。宮侑と宮治である。とはいえ、頼み込んできたのは治くんだけであって、理由を聞けば「1学期の数学、評価2やってん」と彼は言いづらそうに口の中で呟いた。
 恐らく彼の進路が進学であるからだろう。「テストだけじゃ2は3にならないと思うよ」と少しだけ厳しめの言葉を向ければ、治くんはぐっと言葉を詰まらせたものの「せやけど、まずはテストだけでも平均点取りたい」らしい。平均点でいいんだ…。そして隣にいる侑くんはどうしてついてきたんだ?と首を傾げていれば、侑くん曰く「サムだけ抜け駆けは許さんぞ!」ということらしい。ええ…。

「てなわけで、マックで勉強会しようと思うんだけど、俺だけじゃこのバカ二人の相手は無理」
「バカ言うなや」
「マックやなくてマクドやろがい」
「うるせえよお前ら。二人して別々の反応寄越すな」

 普段よりも少し辛辣気味に言葉を返す倫太郎を見るに、恐らく彼らの中ではすでに一悶着あった後なのだろう。「みょうじさん理系やん。数学得意やろ?」と治くんはキラキラした眼差しでこちらを見つめている。
 まあ、数学ならこっちも同じ科目を履修しているけれど。これが生物とかじゃなくてよかったなと思う。生物は文系クラスの履修科目であって、理系クラスは物理選択だし。

「ごめん、ほんと、数学だけでいいから助けてくんない?」

 倫太郎にそう言われてしまえば、私は頷く他ないわけで。嬉しそうに「献上品や」とお菓子を置いていった双子を見ていた友人が「なまえ本当そういうとこやで」と呆れたように呟いた言葉は、私の耳に入ることはなかった。

 程なくして、校内は一気にテスト準備期間へと入る。この期間は部活動も禁止なので、私たちは約束通り勉強会を開くべく集まっていた。彼らの宣言通りに数学の教科書が出てきて私は少しほっとする。肩を撫で下ろしたところを侑くんに目敏く見られていらしく「失礼なやつやな」とお小言をいただいた。
 
「多分、ここはグラフの問題が多く出されるハズだからここの練習問題やっておくといいよ」
「グラフ…?グラフなんてやったか?」
「やったんとちゃう?俺は寝てたけど」

 開始30分。既に雲行きが怪しくなってきたので、私は思わず「aの値が1よりも大きい場合は、グラフの見た目は右肩上がり、とかって…習ったよね…?」と教科書のページを指差す。確認のため、と絞り出した声は「習ってへん」と即答で言い切った双子に、否定される。え、習ってないの…?私は倫太郎へと思い切り視線を向けた。
 え、文系クラスの範囲間違ってる?数IIは一組も二組もこっちと同じ先生だよね?私の言いたいことが伝わったのか、倫太郎は一つ頷いてからやれやれと首を振る。その仕草がどことなく「諦めろ」と言われている気がして、私は開始早々気が遠くなった。
 既にシャーペンを投げ出している侑くんの隣では、やる気だけはあるのか治くんが腕を組んで教科書を睨みつけている。
 その姿からは、どことなく記憶を探っている様子が見えた。多分、治くんは本気で頑張ろうと思っているのだろう。治くんを見ていた視線を教科書へと落とす。

「…侑くんはともかく、治くんは平均取りたいんだよね?」
「おん」
「おい、俺はともかくって何やねん」
「今回の試験範囲は、指数関数と平均変化率。ここからここまでね。指数関数がメインで出されるはずだから、平均変化率は公式だけ覚えておいて最悪捨てていいと思う」

 治くんの教科書をぱらぱらとめくりながら、でそうなページの練習問題を指差した。あの先生は、授業の様子を見るにグラフ問題が好きなはずだから、そこにも丸をつけていく。治くんははおそらく詰め込みも出来ないタイプなので、絞って勉強をさせたほうがいいだろう。
 本来何十ページもあったものが減ったからか、治くんは「おお…!」と感動しながら教科書を頭上に掲げている。その近くでちゃっかり自分の教科書に折り目をつけている倫太郎を見て、私は少し笑ってしまった。なんだかんだ言って倫太郎も数学が不安だったらしい。

「ならしまいやな。俺、バーガー追加で買うてくるわ」
「あ、俺のも」
「ふざけんなや自分で行け」

 さっさと教科書をしまい込んだ侑くんに、倫太郎が「侑、まじでついてきただけじゃん」と頬杖をつく。侑くん、本当にただ着いてきただけだったんだ。はたして試験は大丈夫なんだろうか。侑くんを心配していれば、その侑くんに便乗する形で教科書をそそくさとしまった治くんが、侑くんとぎゃあぎゃあ喧嘩しながら席を立ち去っていく。

「…二人とも、あれで大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫なんじゃない?治は今回は何か本気っぽいし」
「ああ、うん…何となく分かるけど」
「それに今回は赤点とっても春高行けなくなるわけじゃないから。練習時間は減るけど」

 期末考査の赤点補習は、冬休みの最初の一週間だ。そういえば、去年は友人が補習になりクリスマスが潰れたと嘆いていたっけ。彼らはおそらくクリスマスも部活なのだろうが、果たして倫太郎のそれは大丈夫といえるのだろうか。

「そういえば、倫太郎は年明け実家に帰るの?」
「部活休みだし、一応そのつもり」
「そっか」
「なまえって兵庫引っ越してからこっち帰ってきたことあるの?」
「ああ、うん。あるよ。親戚みんな愛知だし、じいちゃんの墓参りとかで」

 シャーペンでノートを突きながら、倫太郎に言葉を返す。倫太郎は「そっか」と頬杖をついたままこちらをじっと見つめていた。祖父が亡くなっているのは倫太郎には話してあるので、大きな反応は返ってこない。そういえば、倫太郎はどこかじいちゃんの話をすると嬉しそうにしていた気がする。もしかして、彼は祖父に懐いていたりしたのだろうか。

「ねえ、そのお墓参り、俺も行きたいんだけど」

 その疑問に正解を寄越すかのように、倫太郎がそう言った。アルバムにはよく祖父の自宅でもあった我が家でバレー観戦をする写真が残っていたりしたので、倫太郎にも思うことがあるのだろう。「あ、うん大丈夫だと思うよ」次に祖父のお墓に行くのは来年のお盆。母親には帰ってから聞いても遅くないだろうと頷けば、倫太郎は「じゃなくて」と首を横に振る。

「年末年始、一緒に愛知帰らない?」

20230508



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