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「ねえ待って、どこまで進むの?」
「えー?」
「ちょっと!面白がってるでしょ!?」

 ガサガサと草を掻き分けること数分。足元はもはや道とはいえない場所を通っている。「さすがに何年も経てば道は残ってないか」と纏わりつく草を払うように進む倫太郎について行くだけで精一杯だ。あたりは陽が落ちてきていて、少し薄暗い。

「ついたよ」

 不気味な暗さが広がる先に進もうとしている己の足が恐怖で酷く重たくなった頃、倫太郎はおもむろに立ち止まり、先を指差した。倫太郎の伸ばされた腕を追うように視線を向ければ、そこには子供が数人入れるかどうかくらいの小さく開けた場所が広がっている。

「あれ、ここ、まさか…」
「あ、知ってる?俺らの秘密基地があった場所なんだけど」

 私は一つ頷いて「昔聞いたことある」と言葉を返す。私が怖いものが苦手になった理由でもある場所がこの場所、らしい。迷子になるような秘密基地ってどんな場所なんだろうと思っていたけれど、先ほどまで通ってきた道を思い出せば納得だった。

「ここで遊んでたら迷子になって、それはもうなまえがギャン泣きしてさ」
「えっ」
「自分に噛み付く犬にも臆さないなまえがはじめて弱みを見せるものだから、俺まで不安になってさあ」

 当時を思い出しているのか、倫太郎は秘密基地を見つめながら、困ったように眉を下げている。「まあなまえの泣き声が大きかったおかげで大人に見つけてもらえたんだけど」そう言っておかしそうに笑う倫太郎に、頬が赤くなる。結構な距離だったのに、届くってどんだけ大きな声で泣いてたんだろう。

「その時に一番に見つけてくれたのは、なまえのおじいさんだよ」

 唐突に出た名前に、私の体がピシリと固まる。倫太郎はわかっているのか否か「あの時のなまえのおじいさんめちゃくちゃ怖かった」と舌を出す。

「この日のことがあって、俺ら暫く外出禁止になったんだけど。そこからおじいさんにバレーボールすすめられて、なまえは見事にバレーにどハマりしたんだよな」

 もう顔も覚えていない祖父は、私が小学4年生に上がる前に亡くなっている。兵庫の家では一緒に暮らさず、愛知に住んでいた母親の妹の家に移り住んだらしいので、最後に顔を合わせたのは兵庫から引っ越すその日だ。
 
「なまえがバレーを見るのが怖いのは、おじいさん絡みかなって思ったんだけど」
「…え?」
「…もしかして、気づいてなかった?」

 どうやら倫太郎は、部活の見学を誘わなかったのではなくその話題を避けてくれていたらしい。「見学とかの話になるとあからさまに話題変えるから何かあるんだろうなと思ってた」と、倫太郎は私の手を引く。
 秘密基地に足を踏み入れれば、二人では狭く、背中に草が当たった。どうやら倫太郎も同じだったようで「やっぱり狭いな」と鬱陶しそうに草を押しのけていた。

「わ、たし、バレー見るの怖いのかな」

 顔も思い出せなくなった頃に行われた祖父のお葬式は、まるで自分だけが他人のようだと思った。母親は泣いているし、親戚も泣いている。歳の近いいとこだって泣いていたのに、私は泣けない。他人のお葬式に参加しているようだった私の耳に入った親戚の言葉が嫌でも思い出される。

 ――あの事故がなければ、もっと長生きできたかもしれないわね。
 ――そもそも、どうして事故が起きたのかしら。
 ――あの日、なまえちゃんがバレーの試合を見に行きたがったんですって。
 ――ああ、そうなの。

 事故がなければ、なんてそんなのたらればの話だ。親戚だって私を責めようと発した言葉ではないことも分かっている。
 ただ、あの事故で私の脳が傷ついたように、祖父の足腰も悪くなってしまったらしいと知ったあの日の衝撃はいつまでも忘れられない。その上で、転倒して頭を打って亡くなったというのだから、親戚がいうのも尤もだと思ったのだ。

「さあね。けど、俺らが会えなくなる直前、なまえはおじいさんとすごく楽しそうにしてたよ」

 俺もこの前思い出したんだけど、と倫太郎はそこで言葉を止める。思い出すように遠くを見つめてから、再び口を開いた。

「あの日、なまえはもうすぐおじいさんとバレーボールを見に行くんだって楽しそうに話してた。時期的に愛知の春高予選を見に行こうとしてたんじゃない?」

 なまえのおじいさん、高校バレー好きだったから。私よりも祖父に詳しい倫太郎の言葉に、目を見開いた。もう顔も思い出せないし、バレーの何が楽しかったか思い出せないけれど。私はきっと祖父と見るバレーが好きだったのだろう。だからきっと、バレーをこの目で見ることを、無意識に避けていたのか。

「ねえなまえ。春高、応援に来てほしい」
「え」

 倫太郎の真剣な表情に、私は少しだけ視線を逸らして考える。バレーを一人で見るのは、まだ、多分怖い。テスト期間中に友人に見学に付き合ってくれと言ったのは半分冗談、けれど無意識の本気だったのだろう。その証拠に、肯定の言葉を口にしようとしているのにも関わらず、開いた口は乾いたようにカラカラだ。

「一人で見るのが怖いなら、俺のことだけ見てて」
「…倫太郎を?」
「そう。というより、俺しか見れないくらいいいプレーすると思うよ、俺」

 倫太郎はそう言ってから少し間を開けて「…多分」と言葉を濁す。あ、そこは言い切らないんだ。それがなんだか倫太郎らしくて、私はふはっと吹き出した。なんだかんだ倫太郎にこうして誘われるのは、はじめてだ。それが恐怖を上回って嬉しさに変わる。「分かった、絶対見に行く」頷いた私に、倫太郎は満足気に笑った。
 そういえば友人が私の分まで応援参加に丸したこと、倫太郎に言ってなかったけ?と思い出したのは、倫太郎の家に着いてからだった。

 
△▼△


「あれ、角名じゃん!」
「げ」
「げってなんだよ酷いな」

 倫太郎の家までの帰り道を歩いていると、向かいから同い年くらいの男の子が倫太郎を見て駆け寄ってくる。知り合い、だろうか。思わず倫太郎の顔を盗み見ていると、倫太郎の隣にいた私の存在に気づいたらしく「彼女連れかよ」と笑う。なんか、このノリ居心地が悪いなあ。きゅ、と身を縮こませて様子を伺っていれば、倫太郎は観念した様子で「違う。なまえ」とそれだけを呟いた。

「え、なまえ…って、急に転校したあのなまえ!?」

 目の前の男は、「なになに!?久しぶりじゃん!」と目を見開いてバシバシと私の肩を叩く。この感じからして、相当仲が良かったのだろう。「あー、うん、久しぶり」と当たり障りない返事を返せば、男は「んな他人行儀じゃなくていいって!寂しいじゃん!」と一層力を強くする。

「角名もなまえも、こっち帰ってきてたなら言えよなー!」
「え、ああ…」
「あ、てかなまえ今スマホ持ってる?再会記念に連絡先教えて!」

 同級生らしい男は、先ほどまで話していた倫太郎が見えていないかのように私との距離をグイグイと詰めてくる。思わず一歩後ずされば「はいはい近すぎ」と倫太郎が私と男の間に入り込んだ。

「お前、再会早々ぐいぐい行き過ぎ。なまえ引いてんじゃん」
「なんだよ、いいじゃん。俺らの仲だろ」
「どんな仲だよ。お前がなまえに喧嘩吹っかけてことごとく打ち負かされた仲?」
「ちっげーよ!てかそれ以外にも思い出あんだろ!」

 男の意識はなんだっけ、と首を傾げる倫太郎へと向かったらしい。それに内心ほっとしていると、少しして倫太郎が自然に私の手を握り、「じゃあ俺らはここで」と男に手を振った。男は引き止めるでもなく「おー、じゃあな」と手を振りその場を去っていく。
 沈黙が痛い。チラリと倫太郎の顔を伺い見るも、倫太郎の顔はまっすぐ正面を見つめていてその表情は伺えない。

「…俺は、なまえの彼氏になりたいと思ってるけどね」
 
 私の手を引いたまま、唐突に倫太郎はぽつりと呟いた。彼氏…彼氏?なんの話だ、と頭をフル回転させて、先ほどの男との会話を思い出す。
 同時に言われた言葉の意味に気づいて、だんだんと顔に熱が集まっていく。バッと顔を上げた頃には、倫太郎は私の手を離して、私と向かい合っていた。

「でも、まだ言わない。春高が終わったら告白するから、それまで待ってて」

 いつにも増して真剣な倫太郎の表情に、私はやっとのことで頷いた。倫太郎は私が頷いたのを確認すると、ふうと息を吐き「帰ろうか」と私に手を差し出す。それにおずおずと手を差し出せば、倫太郎はしっかりと私の手を握り歩き出した。
 え、何これ。夢?繋がれた手と倫太郎の顔を交互に見ようとして、はたと気づく。――あ、倫太郎の耳、少し赤い。
 勢い良く逸らした瞳に、それはよく写りこんでいて、ドクドクと心臓がうるさい。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。
 私たちはお互い何も喋らなかった。静かな住宅街を歩く私の心臓の音は、倫太郎に聞こえていなかっただろうか。

 空を見上げる。真っ暗な空に光る月は一日の終わりだけでなくこの一年が終わることを告げていた。吐く息は白く、風は冷たい。冬の寒さを感じ、マフラーに顔を埋めた。
 もうすぐ、新しい年がはじまろうとしていた。

20230509



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