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 学校側が用意したスクールバスに乗り揺られること数時間。愛知に向かうよりも長い道のりを座っていたせいか、腰が痛い。腰を揉みながら降りていると「なまえおばあちゃんみたい」と友人に笑われた。
 春高本戦は、東京で行われるらしいと知った時、慌てて両親に承諾を貰いに走ったのは記憶に新しい。勝手に申し込まれていたこともあり、今まで応援に行ったことのない私は、まさか本戦が東京だなんて思ってもみなかったのだ。
 
 バスを降り、ぞろぞろと会場に向かう中、少し離れたバスに乗っていた吹奏楽部員が何やら慌てているのが見え、私は一言友人に断りを入れて吹奏楽のバスへと近づく。どうやら搬入の連携がうまく取れていないらしい。吹奏楽部は新体制になったばかりなので、応援も新体制になって初めてだった。なるほど、と応援団の部員に混じり、搬入を手伝うことにした。

「すまんなあ、みょうじ」
「いーよいーよ。大丈夫」
 
 ペコペコと頭を下げている目の前の男子生徒は、今年から学生指揮を任されている同級生だった。この男子生徒も新体制になってから初の本番だ。「侑のサーブの時上手く止められるやろか…」と不安そうにしている彼の背中を励ますように叩き、私はロビーへと一人戻る。

「あれ、みょうじじゃん!」

 初めて降りた東京の地で呼ばれた自分の苗字に、キョロキョロとあたりを見渡せば、白いジャージが視界に入る。誰だっけ、と考え込んでいるうちに、私の名を呼んだ男は「おーい!」と手を挙げてすぐそばまで近寄ってきていた。
 あ、思い出した。夏に会った他校の。

「あ!木兎さん!」
 
 えーと、と脳をフル回転させてようやく思い出した名前を呼べば、木兎さんは「おう!」と腰に手を当ててニカリと笑う。何でここに?と首を傾げれば「春高出るからに決まってるだろー!」と笑われる。そういえば、夏に会った時、彼は自分の学校を強いと言っていたっけ。あれ本当だったんだ、と少しだけ疑っていたことを心の中で謝りつつ「そうなんですね」と当たり障りない返事を返した。

「みょうじは何でここにいんの?」
「あ、うちの学校も今日試合があるので…」
「え!みょうじ応援行ったことないって言ってたじゃん!?」

 稲荷崎のやつらずりー!と、木兎さんは悔しそうにギリギリと歯を鳴らす。いや、ずるいも何も母校が出るのだから母校を応援するのは当たり前なのでは。木兎さんはそんなの知らないと言わんばかりに「俺らの試合も見るよな?な!?」と詰め寄る。どうやら前回試合見学を断ったことをまだ根に持っているらしい。

「というか、木兎さん一人ですか?他の部員たちは?」
「迷った!」

 いつだかに聞いた言葉を堂々と告げられ、聞けばトイレから出たらみんなが消えていたのだという。いやそれは木兎さんが勝手にトイレに走って行ったのでは。夏の出会いを辿るように同じことをしている木兎さんに、思わず「ええ…」と脱力する。この人、もしかしていつもこうなのだろうか。

「そういうみょうじはなんでここにいるんだよ?稲荷崎の応援団、さっきあっちで見たぞ」
「私は吹奏楽部の手伝いをしていただけなので迷子じゃないですよ」

 私の反応が気に食わなかったのか、木兎さんは頬を膨らませて「なんだよもー」と拗ねている。
 さて、拗ねた木兎さんをどこに預けていくべきか。そんなことを考えていると、こちらへ近づいてくる白色のジャージを見つけて、私は「あ!」と声を上げた。それにびっくりした木兎さんが「エッ、何!?」と声を荒げたことで、その人物がこちらに気づいたらしく、慌ててこちらへと駆け寄ってくる。

「木兎さん!」
「ん?おー!赤葦!」

 お前どこ行ってたんだよ、と不貞腐れる木兎さんに、赤葦と呼ばれた男は「はあ…」と何か言いたげな表情で木兎さんを見る。そう言いたいのは彼の方だったのだろう。チラリと私に視線を向けると、「何他校の女子ナンパしてるんですか」と呆れたように腰に手を当てた。
 「こいつ稲荷崎のみょうじ!」指をさした木兎さんに、彼は稲荷崎?と首を傾げる。少し考えるそぶりをみせてから、心当たりがあったのかああと頷いてペコリとお辞儀をされたので、慌ててお辞儀を返した。
 彼らも時間が迫っていたのか、彼は「行きますよ」と木兎さんの首根っこを掴んで引きずっていった。「じゃあなみょうじ!」そのまま引きづられるようにして去っていった木兎さんに手を振る。嵐のようだな、と笑って、あれ?と手が止まる。
 私、今、木兎さんのこと覚えてた?
 そんな小さな違和感に小さく首を傾げていれば、「なまえいた!」と帰りの遅い私を迎えにきたらしい友人の声がして、慌てて稲荷崎応援団の元へと走り出した。

 
△▼△


 高く長い笛の音が、試合終了を告げる。
 長い長い試合が終わる。整列した選手たちへの喝采の拍手は、暫く鳴り止まなかった。優勝候補と謳われた稲荷崎高校の、二回戦敗退は会場に激震を走らせたようで、取材班が驚いたように彼らを取り囲んだ。

「負けてしもたなあ」

 隣で見ていた友人が、ぽつりと呟いた。それに頷きだけをようやく返し、私はじっと倫太郎を見つめる。
 試合中、彼に言われた通り、ずっと倫太郎だけを追いかけていた。彼のプレースタイルは、素人目で見てもセンスの塊なのだと思う。そして、試合が終わってようやく、彼のおかげで試合を最後まで見ることができていることに気がついた。
 確かに彼女の言う通り、ここで稲荷崎高校は負けたのだろう。けれど、彼らの目はまだ死んでいなかった。来年負けてたまるかと目が物語っている。Wもっと上を目指したい。もっと練習しなきゃWーー全国大会を終えた時の気持ちを思い出させて、目頭が熱くなるのが分かった。

「かっこよかったね」

 頭を下げる彼らをみながら、ぽつりと呟く。友人が驚いたようにこちらを見たけれど、それに気づかないくらい、私はずっと彼らを見つめていた。いつのまにか溢れた涙は、だらんと力の入らない手に落ちる。
 友人は「せやなあ。カッコええわ」と呟いて、より一層大きい拍手を彼らに向けた。
 

 稲荷崎応援団が解散した後も、私は一人会場へと残っていた。友人が「先ホテル戻ってるで」と一足先にホテルへと向かったのも随分前。そろそろ今日の試合も全部終わる頃だろうかと正面入り口でぼうと立っていると、ドタドタとこちらに向かって荒々しい足音が近づいてくる。視線を上げようとした矢先、腕を引かれて私の体は前のめりになり、反射で目を瞑った。

「ほんっと、何してんの…!」

 ぽす、と柔らかな衝撃に目を開けると、どうやら私は倫太郎の腕の中にいるらしい。「なんで一人でいるんだよ」と頭上から声がしたので、「会えるとは思わなかった」と、待っていたくせに可愛げのない言葉を向けた。
 倫太郎ははあ、と深く息を吐いてから「ミーティング終わってからスマホ見てマジビビった」と大きなその手で私の髪を撫でる。
 どうやら倫太郎は、体育館でミーティングを終えて帰ろうとしたところを引き返してきたらしい。どおりで体育館の外から倫太郎がやってくるわけだ。ふふと倫太郎の胸元に顔を埋めて笑えば、倫太郎の耳に声が届いていたらしく「笑い事じゃないんだけど」と怒られてしまった。
 倫太郎の腕の中は、制汗剤の匂いに混ざり、少しだけ汗の匂いがした。この匂いは、彼が先ほどまで頑張っていた証だ。「お疲れ様」と声に出して伝えれば、少し間を開けて倫太郎から「うん」と小さく返事が返ってくる。それからお互いが口を閉ざしたことで、沈黙が広がり、私たちの耳には体育館の喧騒が聞こえてきた。
 
「今日の試合、見れてよかった」

 本当は、じいちゃんと見たかったけれど。伝えたかった言葉を告げれば、倫太郎は驚いたように私の体を引き離す。

「なんで?俺めっちゃかっこ悪かったじゃん」
「そう?相手のスパイクをドシャットした倫太郎、かっこよかったよ」
「…え、」
「誰が何と言おうと、一番倫太郎がかっこよかったよ」
 
 いちばん。口の中で転がすように、倫太郎が呟いた。そうだよ、一番だよ。速攻を決める双子も銀島くんも、他の人たちも凄かったけど、一番凄かったのは倫太郎だよ。

「私、倫太郎のおかげで最後までバレー見れたよ」

 にかりと笑えば、倫太郎は目を瞬かせてから「何それ大袈裟」と眉を下げる。大袈裟なんかじゃないんだけどな。そう言うと、とうとう倫太郎は目元を手で覆い隠してしまう。いつぞやのように耳は赤くて、隠すの下手くそだなあと笑った。「そうそれでね」倫太郎は私の言葉に、声のかわりに頷きで返事を返す。

「私を、倫太郎の彼女にして欲しいんだけど」

 ダメかな、と続くはずだった言葉は、「はっ!?」と倫太郎の驚愕した声に掻き消されてしまう。周りは何事かとこちらをチラチラと伺っていたけれど、特に争っている様子がないことを確認し視線が逸れていった。
 倫太郎はその場で固まってから、ズルズルとその場にしゃがみ込む。「ほんと、昔からそういうところがさあ…」かろうじて聞き取れた言葉は、何を言っているのかよく分からなかったけれど、ぶつぶつと呟いていた倫太郎が、突然勢いよく立ち上がる。

「なまえが好き。俺と、付き合ってください」

 倫太郎が私の体を優しく包み込む。トクトクと聞こえる心臓の音が心地よい。まどろみそうになった思考を慌てて戻し、倫太郎の背に腕を回す。「私の方がすき」と張り合えば、頭上から倫太郎の笑い声が聞こえた。
 このぬくもりを、忘れたくない。
 倫太郎の背に回した腕に力を込めれば、倫太郎は返事を返すかのように腕に力を入れる。お互いに何回か繰り返したところでなんだか可笑しくなって、私たちはどちらからともなく笑い合った。

20230510



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