03
「おいこれ、7組のノートやん!」

 そんなことを叫んだクラスメイトの声に、クラスでは困惑した視線が飛び交う。クラスメイトが指差しで指し示すノートは、先ほど英語担当の先生がやってきて置いて行ったばかりのノートの束だった。
 昼休みを過ごすクラスメイトたちは、互いに探るような視線を向け合っている。とはいえ、残り少ない昼休みを無駄にしたくないと気づいていないふりをしているものが大半だ。かくいう俺も、我関せずとスマホから視線は逸らさない。

「角名、行ったれや」
「はぁ?」
「ちょうど7組に用事あるやろ」

 そんなことを唐突に言ったのは治だった。じとりと治に視線を向ける。いや、7組に用事があったことなんてないんだけど。治はそんな俺の反応に見向きもせずに3個目のおにぎりへと視線を向けている。
 そんな治のかわりに反応を返したのは銀だった。「角名7組に用事あったん?」という銀の声に、クラスメイトの視線がちらちらと集まった。本当に勘弁してほしい。
 けれどさすがクラスメイトといったところか、頼んだところでどうせ面倒くさがって行ってくれないだろうという視線がひしひしと伝わってきて、こちらに話しかけようとする者はいない。

 はぁ、と大袈裟に息を吐いて、ガタリと椅子を引く。目の前では侑が珍しいなと言いたげにこちらへ視線を寄越した。元凶である治を睨みつけてやろうと視線を向けると、予想と違って治はこちらをじっと見つめていた。ああ、成る程。なんとなく治の意図を感じ取って、俺は息を吐いた。いや、余計なお世話なんだけど。

「それ、俺が持ってく」 

 名乗りをあげた俺に、クラスメイトは困惑しながら「お、おん…」とノートを差し出した。
 別に、治に言われたから行くのではない。どうせ教室にいても双子の面倒を見させられるだけだと思ったからだ。「ごゆっくり〜」とおにぎり片手にのんきに手を振る治を恨めしく思いながら、ちゃっちゃと用事を済ましてしまおうと歩き出した。





 さすが7組、教室がとても離れている。
 ノートを持って歩くのが面倒臭くなった頃、ようやく7組の教室へと辿り着いた。そっと教室を覗いてみたものの、教室の中にバレー部などの見知った顔はいない。
 適当な人を捕まえてノートを押し付けて終わり、ならまだ話は早い。けれど、おそらく7組の教卓の上に置かれたノートは自分たちのクラスのものだ。となると、そのノートを回収する旨を伝えなければならない。
 クラスを見渡すと、つい先日見かけた顔を見つけた。まあこうなるよな、とひとりごちる。まあ、他に知り合いいないし。仕方ないだろうと口を開く。

「…あー、みょうじさん、呼んでくれる?」

 扉のすぐそばで談笑していた女子グループに声をかけると、一瞬誰だという顔を向けられた。けれど、俺の持つノートを見て用事があるらしいと察した女子生徒が、椅子から立ち上がることなく「なまえ〜」と声を張り上げた。
 その声に、みょうじさんは友達にむけていた視線を女子生徒へと向け、「なに〜?」と同じように声を張り上げる。「お客さ〜ん」とさらにその場で会話し、こちらに指差しまでする女子生徒たちの雰囲気は、どこか自分のクラスの女子たちとは違う気がした。なんというか、サバサバしている。
 みょうじさんは、女子生徒の指の先を追うようにして、こちらへと視線を向ける。はじめて視線が交わった。ドッと突然音を鳴らした自分の心臓に、思わず眉を寄せる。
 みょうじさんは、じっとこちらを見つめて、少ししてからガタリと立ち上がりこちらへと歩み寄る。
 ド、ドと心臓の音が少しずつ早くなっていく。みょうじさんが俺の目の前で足を止める頃には、心臓はバクバクと忙しなく動いていて、隠すようにして顔が強張る。背丈に随分と差がある故か、彼女が見上げるような形で再度視線が交わった。

「あ!それ、うちのクラスのノート?」
「…あ、うん」

 わざわざ持ってきてくれたの?と首を傾げた彼女に、肯定の言葉を返す。彼女は、にこりと笑って、「違うクラスだよね?わざわざありがとう」とこちらを見て申し訳なさそうに言った。

「英語の先生が、うちのクラスにそっちのノート持ってきたんだよね」
「そうだったんだ。何組?」
「1組」

 いちくみ!?と驚いているみょうじさんに、「そのノート、うちのかなと思ったんだけど」と視線でノートを指し示す。視線を追った先のノートに気づいたみょうじさんは「え、そうなの?」と慌てて教卓へと走っていく。どうやらノートを確認してくれているらしい。

「あっ本当だ!ごめん、これ1組のノート!」

 そう言って手招きをしたみょうじさんに導かれるがままクラスへと足を踏み入れる。他クラスだからか、そこら中から視線を感じてしまって居心地が悪い。先ほど彼女を呼んでくれたクラスメイトからは「どんな関係なんだ」といった視線がひしひしと伝わってくる。そんなの俺が1番知りたい。幼馴染に似たその顔から視線を逸らさないように、俺は彼女のそばへと歩み寄る。

「はい、これ。1組のノートね」
「うん、ありがとう。助かった」

 こちらこそわざわざごめんね、と笑うみょうじさんは、1組のノートを抱えた俺を、扉まで見送った。「じゃあね」と手を振るみょうじさんはそれ以上の言葉を発することなく、くるりとそのスカートを翻す。
 もしかしたら、みょうじさんから昔の話題が出てくるかも、と勝手に期待していた俺は、向けられた背を見て少しだけ落胆した。
 ――やっぱり人違いだったのだ。彼女はなまえではなく、全く知らない赤の他人。そう思い込もうとした脳の裏では、「倫太郎!」とどこか幼さの残る声でなまえが手を振っている。

「あの、さ」

 気づけば彼女を呼び止めていた。
 どこか幼馴染に似たその顔が、再びこちらを向いて、思わず顔が強張った。けれど、このまま確認せずに終わりにしたくない。違うならハッキリと言葉で否定してほしかった。
 そんな俺の様子には全く気づかずに、みょうじさんは「どうしたの?」と首を傾げている。

「みょうじさんって、昔愛知に住んでたことなかった?」

 我ながら、遠回しな言い方だと思った。自信がないからか、思ったよりハッキリと伝えることすらできず、下手したら教室の笑い声や物音にかき消されてしまったかもしれない。
 みょうじさんはきょとんとした顔をこちらに向ける。その少しの間にすら焦ってしまい、俺は畳み掛けるように「なまえ、だよね?小2まで住んでたでしょ」と言葉を続けた。これで人違いとかだったらまじで黒歴史確定なんだけど、と軽く絶望にも似た気持ちになった。
 固唾を飲んで彼女を見つめていると、彼女はきょとんとした顔を一変させ、驚いた様子で「あ、ああ〜!」と声を上げる。待ち望んでいた反応のはずなのに、その表情にどこか引っ掛かりを覚えて、俺は彼女の言葉を待った。

「う、うん!覚えてるよ!××小学校だよね!」
「…うん」
「わああ!懐かしいなぁ!元気だった?」

 「というか、愛知からこっちの高校に来たの?てことは寮だよね?」と早口で話し始めたみょうじさんに、俺は数秒ののち小さく頷きだけ返す。みょうじさんは「そっかそっか〜!いや〜、懐かしいなぁ!」と笑った。
 突然早口で話し始めたみょうじさんは、どこか焦っている様子だった。まるで、こちらから口を挟まれるのを恐れているような口ぶりに、まさかと嫌な予感が頭をよぎる。
 「あのさ、」と彼女の言葉を無理やり遮る。それまで早口で口を動かしていた彼女の表情が強張ったことで、その疑問は確信へと変わる。俺と彼女の間には、一瞬の沈黙が広がった。

 予鈴のチャイムが鳴る。先に我に帰ったのは、彼女の方だった。

「あ、ごめん、予鈴チャイムなっちゃったね。懐かしくて、つい。引き止めてごめんね!」
「…いや、」
「また機会があったら気軽にうちのクラス遊びに来てよ!」

 そう言ったみょうじさんの目は「もう来ないでくれ」と訴えていた。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだろう。「あ、でもこっちまで来るのちょっと遠いか」なんて彼女は笑う。
 そんな彼女の心情に気づかないふりをして、わざとらしく「うん、行かせてもらうね」と笑って言えば、みょうじさんは少しだけ目を見開いて、気まずそうに視線を泳がせた。

「じゃあね、みょうじさん」
「あ、うん」

 みょうじさんに別れを告げて、俺は自分のクラスへ戻るべく足を動かした。スタスタと歩いていた歩幅は、少しずつ大きく開いていく。

 彼女は最後の最後まで俺の名前を呼ぶことはなかった。
 かつての幼馴染であるはずの彼女は、俺のことなど1ミリも覚えていなかったのだ。

20230303



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