06
 侑の殺伐とした雰囲気に顔を真っ青にして震え上がっている彼女の後輩とは裏腹に、みょうじさんは凛とした佇まいで侑をじっと見る。治は、そんなみょうじさんを見つめて「なんか、北さんに似てるわ…」と別の意味で震え上がっている。

「たしかに宮くんのいう通り、私の権限ではないよ。私も先輩に言われただけだし。でも、それは宮くんにも言えるよね?」
「…ア?」
「宮くんに言われる筋合いもないよね?だって宮くんも部長じゃないでしょ?」

 にこりと笑ったみょうじさんに、侑は我慢ならないほど不快だと言わんばかりの表情を向けている。自分たちは間違っていないと一歩も動こうとしない彼女たちに、侑の怒りはとうとう頂点に達したらしかった。

「ぎゃーぎゃーうるさいねん。人の名前も覚えられへんやつがいばるなや」

 低く唸るように言い放った侑に、みょうじさんは黙り込む。銀は手に負えないと「北さん呼んでくるわ」とその場を去っていった。

「そんなん、アンタには関係ないやん!」

 何も言わない彼女の代わりに声を荒げたのは、彼女の後輩だった。その行動はまるで怒らないみょうじさんのかわりに怒っているようにも見える。「は、後輩に庇われてダサい奴やな」と侑は鼻で笑う。

「せや、アンタ、角名のことも知らんゆうたんやって?」
「…!」
「アンタら元は幼馴染らしいやん。幼馴染を忘れるなんて薄情なやつやなぁ?」
「…、……」
「それともわざと忘れたフリして実は角名狙ってるん?なんや、ほんまは構ってちゃんなんか?」

 つらつらと明確な悪意を持って言葉を吐き出す侑に、みょうじさんは表情を一変させた。「そんなわけないやろ!」と叫ぶ後輩の隣で、青白い顔で唇を噛み、早く終われと言わんばかりにじっと静かにそこに立っている。

「頭ニワトリ以下のくせして、俺のバレー邪魔してんちゃうぞ」

 さっさとどっかいけや、と侑は顎で彼女たちの背を指し示す。「やりすぎやぞ侑」と治がため息交じりに声をかけるが、侑の視線はみょうじさんから逸れることはない。

「…謝ってください」
「あ?」
「なまえ先輩に謝ってください!」

 またも先に声を荒げた後輩の横で、みょうじさんは黙ったままだった。しかし、その足は動くことはない。
 侑の顔には不機嫌さが滲み出ている。後輩も侑に対する恐怖が己のキャパを越えたのか、「アンタが全部悪い!」と指差しで何度も言い続けた。
 それにキレた侑が、「うるさいねん、黙れや!」と反射的に後輩の手を払いのける。役目を終え戻ろうとした侑の手は、運悪く後輩の持っていた楽器の長い管のようなものに引っかかり――ガシャン、と音を立てて長い管が地面へと落ちた。

 シン、と静寂が広がる。
 まさか侑もそこが取れるとは思っていなかったのだろう。不機嫌に当たり散らしていた表情を一変させ、さっと顔を青くした。
 吹奏楽を知らない俺たちでもさすがに分かる。今落ちたものは、きっと、この楽器にとって大切な部品だ。
 ツウ、と嫌な汗を背中に流す俺たちなど知らず、彼女の後輩は「あーーっ!ジョセフが!!」とよく分からない言葉を吐いて慌てて拾い上げる。
 みょうじさんも、それまで黙っていたとは思えないくらいに慌てた様子で管を拾い上げ、管を左右に傾けている。どうやら傷の有無を確認していたらしい。ひとまず無傷なのを確認したみょうじさんは、「念のため結城先生にも確認してもらって。ほら、急ぐ!」と後輩の背を押す。

 彼女たちが確認を終えてから、後輩が去るまでの間、俺たちは石のように動くことができなかった。頭の中では、北さんが仁王立ちでじっとこちらを見つめている。これ、確実に北さんにどやされるやつ。おそらく、ここにいた俺と治も。

「い、今のはたまたまちょびっと手が当たってしもただけやん。事故や、なあ治?」
「ハッ!?ここにきて俺に振んなや!」

 ここにきてさらに人でなしを発揮する侑の言葉に、ピシリと空気が固まる。後輩を見送ってこちらを振り返ったみょうじさんの顔からは、ごっそりと表情が消えている。
 そうだった、なまえは昔から、怒ると表情をなくして、そして――

みょうじさんの振り上げた拳が、過去の彼女と重なった。


△▼△



 結果、みょうじさんの拳は珍しく慌てた様子で間に体を滑らした北さんの手によって止められた。
 北さんはどうやら銀から全てを聞いたようで「すまんなぁ」とみょうじさんに頭を下げた。「けど、女の子が殴ったらいかん。吹奏楽部だって大会迫っとるんやし、ここで手を出したらアンタが後悔してまうよ」といつものように淡々と告げる。冷や水を被ったように冷静になった侑は、自分に非があると分かっているようで、北さんに何ともいえない表情を向けていた。
 みょうじさんも北さんの言葉に我に返ったようで、慌てて腕を引っ込めて「すっ、すみません!」と頭を下げる。そうしているうちに、先程見送った後輩が、さらに上の先輩であろう女子を連れてこちらへと戻ってくる。女子生徒は北さんといくつか言葉を交わし「なまえ、行くで」とみょうじさんの腕を引いて去っていった。侑とみょうじさんは、最後まで言葉を交わさないままその場は解散となった。

 そして説教か、と身構えていたのに呆気なく再開した部活を終えた現在。侑は北さんの目の前で正座をしている。もちろん治と俺もその隣で正座をして北さんと向かい合う。

「侑」
「…はい」
「ここは学校や。公共施設や。誰かのもんじゃない。吹奏楽部はこっちのモチベーションやら考慮して練習場所選んでくれとるけど、それは当たり前のことやない。今回のお前の行動は、全部お前のわがままや。お前のわがままを、他人に押し付けんな」
「……ハイ」
「それに、モノは大切にしぃや。人のモノを壊してしもたかもしれない時は、言い訳せんときちんと謝れ。」


 「下手したら弁償もんやで」と言った北さんの言葉に、侑は反論しようと口を開こうとする。しかし、「あの長い管…スライド管っちゅうらしいねんけど。ひどく曲がったりへこみでもして壊れてしもたら、直すまで演奏できへんらしいわ」と続けた北さんに、侑はぐっと押し黙る。つい先程、みょうじさんを回収に来た女子生徒がこちらに来ていたので、北さんはその時にでも聞いたのだろう。

「吹奏楽部員は、みんな自分の楽器持っとるらしいからな。バレーボールみたく替えがきかへんらしいわ」

 自分の楽器、と告げた北さんの言葉に、侑はさっと顔を青ざめる。見た目からして、楽器を買うのには相当な金額がかかるはずだ。それこそ、バレーボールの比じゃないほどに。思わず「……すいま、せんでした」と溢した侑を、北さんはじっと見つめる。

「謝る相手は俺やないやろ」
「……」

「きちんとあの2人に謝罪せえ。分かったな」と有無を言わせない圧で言った北さんに「ハィイ!」と侑が肩を跳ねさせ返事をする。その横では、なぜだか俺と治もこくこくとブリキのように何度も首を縦に動かした。


20230306



back