いつもより少しだけ濃いめのメイク。普段はストレートに下ろしてる長い髪は丁寧に巻いてハーフアップにした。鏡の前で袴をくるりと一周させて、にんまりとする頬を両手で押さえた。

 今日の私、可愛すぎでは?

 今日は、大学の卒業式だ。高校を卒業して色々あったけれど、大学に通ってやりたいことも決まったし、充実した4年間だったように思う。

「蛍ー?私そろそろ出るよ」
「ああ、うん」

 高校1年からずっと付き合っている蛍とは、つい半年前に同棲を開始した。お互い就職先が決まっているのもあったし、どうせいつか一緒に住むのだから、もういいかとノリとタイミングで決めた。
 蛍と私は大学は違うので、今日の卒業式に向かうのは私一人だけだというのに、なぜかスーツを着て車の鍵を掴んでいる。

「え、送ってくれるの?」
「…その格好じゃバスも電車も乗れないでしょ」

 そんなことないけど、と言いかけて口を閉じる。蛍がこんなことを言ってくれるのは珍しいので、お言葉に甘えることにした。

「この前20歳になったのに、あっという間に社会人だね」
「ちょっと、オバさん臭いよそれ」
「これからもよろしくねぇ、お爺さん」
「メンドクサ」

 悪ノリしてにしし、と笑えば、蛍は心底面倒臭そうに眉を寄せている。運転している蛍とは目線が合うことはなかったけれど、口角が上がっているから不機嫌ってわけではなさそうだ。
 運転している蛍をチラリと盗み見て、にやけそうになる口元を両手で押さえる。スーツの蛍、カッコ良すぎる。待って、この蛍を大学の人たちは見るの?こんなの、みんなが惚れてしまうのでは?

「ちょっと、顔がうるさい」
「エッ!」

 顔がうるさいとは。勢いよく蛍を見ると、前を向いたまま表情は変わらない。今日の私は可愛いというのに、顔がうるさいとは酷い言い様である。口を尖らせて私が黙れば、自然と沈黙が流れる。けれど、その沈黙は嫌いじゃない。
 車内では、私と蛍が大好きなアーティストの曲が流れていて、蛍がハンドルを握った指先で小さくリズムをとっている。実を言えば、私は蛍のこの手が大好きだ。大きくて、ゴツゴツしてて、でも優しい手。

「…可愛いんじゃない」
「え?なに?」
「だから、今日の名前……まあ、いいんじゃない」
「いいって何!?さっきは可愛いって言ってくれたじゃん!」
「ちょっと。聞こえてるじゃん」

 チラリと視線だけを一瞬コチラに向けて、蛍はぶっきらぼうに言う。その視線はすぐ前を向いてしまったけれど、蛍の耳がほんのりと赤くなっていた。可愛いやつめ。
 けれど、それを揶揄うことはしない。これでも長く蛍といるのだ。私はあえて気づかないふりをして「ありがと、蛍のスーツもかっこいいね」と脇腹を突く。「ちょっと、運転の邪魔しないで」と言われたけれど、満更でもなさそうだ。漏れそうになる笑いを飲み込んで、私は車内のBGMに耳を傾けた。


△▼△



 大学に着いてすぐ、蛍は「終わったら連絡して」と言い、車を走らせて行ってしまった。スーツだったし式も一緒に出るのかと思ったけど、どうやら違ったらしい。蛍はバレーのチームへの加入も決まっているし、もしかしたらそれ関係の集まりでもあったのかも。不思議に思いつつ見送ると、遠くから友人たちが呼ぶ声がしたので合流することにした。「やば、かわいい!」「かわいい!」「私ら世界一可愛い!」なんてやりとりをしていたら、いつの間にか蛍のことは綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

「名前、写真撮ろ写真!」
「いいね!撮ろう!」
「いや式典前も撮ったじゃん。何枚とるの?」

 呆れる友人に、何枚でも!とスマホを構えたところで、メッセージアプリに大量の通知が来ていることに気づいて慌てて立ち上げる。Wチーム烏野Wと表示された画面を開いて、文字を追った。

W名字、卒業おめでとう!W
Wえ!名字今日卒業式なの!?オメデトウ!W
WおめでとうW
W名前ちゃん、おめでとう!W

 山口から始まり、日向、影山、仁花と続くメッセージに、ふるふると震える口元を抑える。メッセージを見ただけで誰がどんなふうに言っているか想像できてしまうのがより面白くて、ふはっと笑った。ありがとう、と返せば、日向からのおめでとうスタンプの連打が来た。
 こんなに通知が鳴り止まないのに、蛍はグループトークに現れないなあ、と自分の送ったメッセージを見てみると、既読は人数分ついていたので一応見てはいるようだ。
 そういえば式が終わったら連絡しろって言われてたっけ、と思い出して慌てて連絡を入れた。すると、数秒もしないうちに既読になって「駐車場にいる」と返事が返ってくる。

「ごめん!彼氏来たから行くわ!」
「オッケー!また連絡する!」
「ありがと!」

 未だパシャパシャと撮り続けている友人たちに手を振って、小走りで駐車場へと向かう。そういえば、駐車場のそばの桜、少し咲いてたな。蛍もお願いしたら写真を撮ってくれるだろうか。せっかく蛍もスーツなのだから、写真に残しておきたい。

 駐車場に近づくにつれて、大きな桜の木が目に入る。それから、長身の人の姿も。あれ、もしかして蛍では?と目を凝らして見れば、蛍の手元に見えたものに、目を見開いた。

「えっ、けっ、えっ!?」
「ちょっと!そんな格好で走らないでよ!」

 はあ、と息を整える私の頭上で、蛍が「信じられないんだけど!」と怒ったように声を荒げる。心配してくれてるんだ、とキュンとした気持ちをそこそこに、いや、だって、と蛍の手元を指差す。蛍は、そんな私の反応を見て、なぜか気まずそうに目を逸らしていた。その蛍の反応に突っ込んでいられないくらい、私は驚きで目を見開く。
 蛍の手元には、朝にはなかった花束が抱えられていた。蛍の後ろで咲く桜と相まって、蛍が天使かと思った。いや、天使は言い過ぎたが、それくらい綺麗で驚いた。

「名前」
「はっ、ハイ!?」
「卒業おめでとう」

 蛍は照れくさそうに、でも目を逸らさずに私を見て、花束をずいっとこちらに差し出した。まって、嘘でしょ。これ、私にだったの。もしかして、スーツできたのも、着いてすぐどこかに行ったのも、このためだったのかな。
 普段の蛍からは想像できない言動に、衝動のまま抱きついた。笑って喜びたいのに、嬉しすぎて視界がぼやけてしまう。蛍はそんな私を見てギョッとしていたけれど、溢れた涙はボロボロと溢れていった。

「う、嬉しい…!ありがとう、蛍」

 ボロボロと泣く私に、蛍は「汚い顔」と言いながらもこちらにティッシュを差し出す。何なんだ、カッコ良すぎかよ。惚れてしまうでしょ。いつも惚れっぱなしだけど。
 花束を抱えてえぐえぐと喉を鳴らす私を、蛍はじっと見つめてからふ、と笑う。

「それ、似合ってる」
「えっ」
「だから、似合ってる。可愛いよ」

 今度は誤魔化すことなくはっきりと告げた蛍に、止まりかけていた涙が再び溢れそうになる。
 蛍の貴重なデレだ、なんて冗談言ってられないくらい、私の心は幸せで死んでしまいそうだった。今この瞬間、時が止まってくれたらいいのに。きっとこんなことを言ったら蛍はまた呆れるんだろうけど。

「蛍、プリクラ撮りたい、最新のやつで」
「勘弁してよ」

 せめてもの提案は、蛍にバッサリと切られてしまった。だよね、知ってる。蛍はそんな私を見て、呆れた顔でスマホのカメラを起動させ、私が目を瞬かせている間にパシャリと一枚。「プリクラじゃなくてもいいでしょ」と画面を見つめ、どこか満足げに口角を上げた。

 ああ、ほんとに、もう。

「蛍!好きだよ!」
「大声で叫んでバカじゃないの?」

 二人で撮った写真は、こっそりとバレー部のグループトークに送った。
 後日、「サプライズ成功してよかったねツッキー!」と送られてきたメッセージを見て、これでもかと顔を歪ませた蛍を見て、変わらないなあと笑った。
 


ラナンキュラスを君に