※百合描写注意

「これあげる」

 はじめて名字名前を認識したのは、梅雨が明けたばかりの曇り一つない快晴の日だった。

 その日は、暑さからかなんとなくバレー部のメンツと話している気分になれなくて、昼飯場所でもある部室から一人抜け、中庭でダラリと過ごしていた。
 梅雨が終わったからって暑すぎひん?と、ベンチにどかりと腰掛けて、背もたれに背をつけ快晴の空を睨みつける。太陽はジリジリと肌を焼き、額に汗が滲んでいた。
 
 空、青すぎるやろ。なんやラムネが飲みたいな。アイスでもええけど、アイスならシャーベット系に限るわ。
 
 そんなことを考えていたからか、食べたばかりだというのにぐう、と情けない音が鳴る。あー、なんや、腹減ってきたわ。

「びっくりした、なんの音かと思った」
 
 突然聞こえてきた声に顔を向ける。逆さまに映ったその女は、快晴を背に涼しげな瞳でこちらを見つめていた。
 首には大きなカメラ、手元にはお菓子。まじまじと見つめていたら、欲しいと勘違いされたのか「どうぞ」とお菓子が目の前に差し出される。
 差し出されたお菓子は、チョコレートだった。どうやら夏季限定らしい。なんやチョコかいな。というか、この女子誰やっけ。けれど、貰えるものはもらう主義なので、「ありがとぉ」と差し出された箱を受け取りながら、ベンチの背もたれから背を離した。

 こうしてお菓子をもらうことは珍しくない。大抵の場合は女子から貰うのだが、食べる様子を眺めて「ほんま美味しそうに食べるなぁ」と隣で笑うまでがセットだ。
 きっとこの女子もそうなんやろな、なんてもらったチョコレートを口に含む。すると、俺の考えとは裏腹に彼女は「ごゆっくり」と手を振ってその場を去っていってしまった。

 なんや変な女やな、と去っていく彼女を視線だけで追っていると、突如カリッと噛んだチョコレートの中から、何かが弾け飛んだ。予想しない出来事に思わずパッケージをまじまじと見つめれば、そこには「しゅわしゅわ!」の文字。

「…ラムネや」

 つい先ほどまで俺の頭の中で描いていた食べ物と同じもの。もしかして、彼女には俺がラムネを欲していることが分かっていたのだろうか?
 
 彼女からもらった初めてのお菓子は、口の中に爽やかさと甘さを残した。

 
△▼△


 彼女の名前を知るのには、そんなに苦労しなかった。首にぶら下げたカメラはきっと写真部の人間で、身長は座ってたから確かではないが、多分高め。髪の毛はポニーテール。太陽に照らされていたからか、色素は薄めだったように思う。

「それ、多分名字でしょ」

 興味がなさそうにスマホをいじりながら、角名がそう言った。さすがバレー部イチの情報塔。名字はどうやら侑と同じクラスなようで、銀に用事があった時にそれとなく姿を確認したら、あの日会った彼女がそこにいた。

「え、なん。治、名字と知り合いなん?」
「知り合いっちゅーか。んー、知り合いなんか?」

 首を傾げる俺に、銀の「いや俺が聞いてんねんけど」とツッコミが入る。知り合い、ではない。クラスメイトでもない。なら自分たちの関係は何という言葉が最適なのだろうと考えるも、明確な言葉は出てこない。
 絞り出した返事は、「この前、お菓子貰た」という関係に関する言葉ではなく、彼女を知るきっかけとなった出来事としての回答だった。

「ほぉん。珍しいな、治がお菓子貰た相手覚えてるなんて」
「…これは知り合いなんやろか?」
「うーん。いや、ちゃうやろな」

 知り合いではない。その言葉を聞いた俺の心に陰りができた気がした。知り合いではないという事実がなんだか面白くない。口を尖らせた俺に、銀は物珍しそうな視線を向ける。
 
「ほな、どうやったら知り合いになれる?」

 口を尖らせたまま呟いた言葉に、銀は驚いたように目を開いて「知り合いになりたいん?」と問う。いや、聞いてるのは俺なんやけど。先ほど銀に言われた言葉と全く同じ言葉を吐きそうになりながらも何とか思いとどまって、銀の言葉に対する答えを考えた。
 知り合いになりたい、というのは少し違う気がした。なら、自分は彼女とどんな関係になりたいのだろう。クラスメイト、友達、親友。思いつく限りの言葉を浮かべては首を捻る。
 突如、「あはは」と笑い声が鼓膜を響かせる。思わずそちらに目を向ければ、名字さんが友達となにやら話している様子だった。笑った顔は、窓の青空を背景にして、キラキラと輝いている。

「知り合いちゃう。それよりももっともっと仲良うなりたい」
 
 名字さんを見つめていた俺を見た銀は、何やら意味深になるほどなあと一つ頷く。仲良く、がどのくらい仲良くなのかは自分でも分からないのに、銀にはその答えが分かっているようだった。何だかそれはそれで面白くない。どうしたらええんやろ、と項垂れた俺に、銀が「そんなの簡単やん」とニカッと笑った。

「おーい、名字」
「ハッ!?おい銀!」

 慌てる俺を気にもせず、銀は名字さんを大声で呼ぶ。呼ばれた本人はといえば、「なに?」と不思議そうにこちらを見つめていた。
 銀がちょいちょいと手招きをすれば、名字さんは首をこてんと傾げながらも席を立ちこちらへと歩いてくる。
 え、待って、今のこてんって何。かわええ。いや、かわええって何!?てか、名字さんが目の前におる。
 俺の脳内はプチパニックだった。それに気づかず銀と名字さんは「どうしたの?」「名字と話したいんやって」と話している。というか、銀、普通に名字さんと仲良しやん。早よ言えや。

「ほれ、治」
「ン!?オ、オォウ…」

 バン、と背中を叩かれ、前のめりに倒れそうになるのを何とか堪える。そろりと見上げると、名字さんはきょとんとした顔で俺の言葉を待っていた。

「あ、エ…ット。この間はお菓子ありがとぉ」
 
 ペコリと頭だけ下げるようにしてお礼を言えば、彼女は思い出したのか「ああ!」とぽつりと呟いてから「どういたしまして」と笑った。

「あれ、元々別の子にあげる予定だったんだけど、予定がなくなったから貰ってくれて助かったよ。こちらこそありがとう」

 そう言って笑った名字さんは、少しだけ寂しそうに見えた。きっととても仲のいい友達なのだろう。特に気にすることなく「ほぉーん」と言葉を返す。

「治くんってお菓子好きなの?」
「好きやで。食べもんは何でも好き」
「そっか」

 なんで?と首を傾げると、名字さんはお菓子を渡している時を思い出しているのか、クスクスと笑っている。

「だって、凄くいい笑顔だったから」

 向けられた笑顔に、俺はピシリと固まった。少しの沈黙の後、用事が終わったのだろうと名字さんは「またね」と言って友達の輪へと戻っていく。
 
 なんや、なんや今の笑顔。バクバクと心臓が忙しない。可愛い。キラキラしてた。なんや、なんやこれ。

「落ちたな」

 一部始終を見ていた銀は、俺と名字さんを交互に見てそう言った。何に、なんて言われなくてもわかる。「協力したるわ」と笑う銀は本当にいい奴だ。この場にいたのが侑ではなく銀だったことにただただ安堵した。

 
△▼△


「名字さん、奇遇やなぁ」
「あ、治くん」

「名字は昼休みになるとカメラ持って校内歩き回っとるで」という銀の情報のもと、俺は昼休みになるとあっという間に飯を胃の中に収めて、名字さん探しへと繰り出していた。
 校内を歩き回っている、と銀が言うだけあって、彼女とは会える日もあれば会えない日もあった。けれど、徐々に会える日が増えていき、こうして普通に会話できる仲まで漕ぎつけたのだ。
 彼女は俺のことを「治くん」と呼ぶ。出会った時からそうだったけれど、他の誰に呼ばれるより、彼女に治くんと呼ばれると、まるで最高の条件で最上級の飯を食べたかのような幸福感に満たされる。名字さんはきっと、俺がそんなことを感じているとは一切気づいていないのだろう。今日もその眩しい笑顔で俺の名前を呼ぶ。

 そんな彼女は、昼休みに写真部の活動をしているらしい。その相棒である名字さんのカメラは、この時間になるといつも首からぶら下がっている。どうやら自分のカメラらしい。
 一度、何を撮っているのかと聞いたことがあるが「特にテーマは決まっていない」と言われてしまってからは、何となく聞くのをやめた。
 
「名字さん、これ友達?」
 
 撮った写真を見せてもらっていると、操作を間違えたのか1番古い写真へと画面が飛ぶ。そこに写っていたのは、可愛らしい顔立ちの女だった。なんとなく次の写真、次の写真と指を押し進めるも、写っているのは必ずその女。
 もしかしたらこの子が前に言ってたお菓子あげられんかった女の子なんやろか。「仲ええんやな」と素直な感想を彼女に向ける。
 名字さんは画面に写る女を視界に入れると、「ああ、うん」と頷いた。その表情は、友達とは言い難い表情をしていて、俺の胸の中に黒い渦を巻く。なんなん、その表情。まるで、名字さん、その子ん事ーー

「あ、予鈴なった。そろそろ戻らなきゃね」

 よっこいせ、と立ち上がった名字さんは、カメラを首に下げ直す。「行こ、治くん」と笑う彼女になんとか「おん」とだけ返事を返して、二人で歩き出した。俺の数歩前には想い人である名字さんが歩いているというのに、俺の頭の中を写真の女が支配する。可愛らしい顔立ちで笑う、アッシュグレーの髪の女だった。
 
 
△▼△


「名字さんって、女の子が好きなん?」

 俺の言葉に、名字さんは目を丸くする。角名に「侑も人でなしだけど、治も大概人でなしだからね」と言われたことをなぜだか今思い出した。
 
 きっかけは、侑と角名がファミレスで名字さんを見かけたことだった。
 俺や銀が合流した時にはすでに名字さんはそのファミレスにはおらず、見事なすれ違いに心の中で落胆した。そんな俺に、侑がポテトを一本取って「名字って、女と付き合うてたんやな」と言い放ったのだ。
 それにどういうことだと食いついた俺に調子を良くした侑が「名字とアッシュグレーの髪の女がおって、言い合いしとった」と得意気に話し出す。加えて「修羅場だった」と角名の追加情報が入った。
 「名字はもう別れた言うてたけど、女の方が復縁迫ってた感じやったな」と侑は大きな口でポテトを食らう。「相手めっちゃ泣いてた」「名前しかおらん言うてたな」「名字さんめっちゃ困ってたよね」「名字押され気味やったもんな」世間話のように話す二人に、俺の心臓が嫌なくらいに音を立てる。
 チラリと銀が心配そうにこちらを見つめるのにも答えられないほどだった。そんなとんでもない話を持ち出した当の二人はといえば、全て話し終えると飽きたのか、今日の練習でのセットアップの話になっていた。

「何それ。どういう意味?」
「え、いや、どう…っていうか」

 名字さんの言葉に、はじめて自分の言葉足らずに気がついた。えっと、と言葉を探していると、名字さんは、はあと明らかに軽蔑したような声で息を吐く。

「…誰に聞いたのか知らないけど。私は女の子だから好きなんじゃない。あの子だから好きだったんだよ」

 そう言った名字さんの顔には、見覚えがあった。写真を眺めていた時の名字さんは、今のような表情をしていた。
 きっと、あの時にはもう別れていたのだろう。もしかしたら、最初にお菓子をくれた時が、別れたその時だったのかもしれない。
 「それに、」と続けた名字さんは、何かを諦めたような顔で、中途半端に口を閉じる。話はそれだけならもう行くよ、と名字さんは一方的に話を切って踵を返してしまった。
 ここで名字さんが言ってしまったら、何もかも終わってしまうことはこんな俺でも理解している。焦りで体が前のめりになり、一歩出た足が土を踏む。
 
 嫌や、待ってほしい。俺、まだ何も言うてへんやん。女が好きだったのかと聞きたかったわけやない、とも、傷つけてごめん、とも、何も。

「お、俺、名字さんが好きやねん!」
「…へっ?」

 俺の口から出たのは、謝罪でも弁明でもなく、好きという言葉だった。言うつもりのなかった言葉に自分で驚いて、名字さん共々ポカンと口を開ける。
 俺、今、告ったんか?ムードもへったくれもないこの状況で?
 状況を頭が理解し終えた瞬間、ブワワと首から徐々に体温が上がっていく。きっとあっという間に顔まで真っ赤だろう。

 名字さんは、真っ赤になった俺につられるようにして、頬をほんのりと赤く染めた。今度は慌てたように踵を返した名字さんの腕を、慌てて掴んで引き止める。「な、なん、え、え?」と困惑している名字さんが、可愛くて思わずぐっと腕を掴む手に力を込めた。

「俺、名字さんが好き。ほんまは名字さんが女の子が好きとか関係あらへんねん。名字さんだから好き。だから付き合うて」

今度は自分の意思ではっきりと言葉にする。その真剣さが名字さんにも伝わったのか、名字さんは向かい合うように体を向けると、じっと俺の顔を見つめた。

「…私ね、確かについ最近まで女の子と付き合ってたし、復縁しないかとも言われたよ。でも、断ったの。好きな人がいるからって」

 名字さんの言葉を一言一句咀嚼していく。好きな人、に思わず緊張が走ったけれど、その言葉を話す彼女の表情を見ていたら、自然と心が和らいでいった。これは、自惚れてもええやつやろか。はやく、はやくその続きを聞きたい。

「私も、治くんが好きです。付き合ってくれませんか」

 その言葉に、俺はこくこくと頷く。耐えきれずにその体をぎゅっと抱きしめれば、名字さんは控えめではあるけれど、そっと俺の背中へと腕を伸ばす。
 その全てが嬉しくて、俺はバッと顔を上にあげて、湧き上がる感情を吐き出すように「よっしゃあ!」と快晴の青空に向かって叫んだ。

 その一部始終を、角名に動画に撮られていたと知るのは、まだもう少しだけ先の話だ。
 


君だからと青は云う