「もし私が魔法使いだとするじゃん」

 じゃり。キンキンに冷えたチューペットに歯を立てて名前が空を見上げる。真夏の太陽の熱が集まったベンチに躊躇なく座り込む名前の足はだらしなく伸びていた。

「何それ。頭沸いた?」
「角名くん失礼すぎじゃない?」
 
 何でもいいけど明日焼けただのなんだの騒ぐなよ、と投げ出された足を見て忠告すれば、名前は「へんたーい」と間延びした声を出し、日焼けなど気にしていない様子で再びチューペットに齧り付いた。いや、これは気にしていないというより、気づいていないと言うべきだろうか。
 暑い暑いと嘆くくせに暑いからと開けることはない彼女の胸元はきっちりと閉められたままだった。けれど、それを指摘したことはない。「暑いなら足を晒すんじゃなくて少し胸元開けたら?」なんて言おうものなら、本当に名前から「愛知一の変態」の称号を頂いてしまいそうだったからだ。

「魔法が使えたら、私は引っ張りだこだと思うんだよね」
「あ、まだ続いてるのその話」
「世界各地に魔法学校があるなら、私は色んなところから推薦がもらえただろうし、妖精がいたなら、世界を救えるのはあなたしかいない!とか言われそう」
「聞けよ」

 口元に力を入れれば、咥えていたチューペットから氷の砕ける音がする。その音に反応した名前が振り返り「お行儀悪いな」と肩をすくめた。誰のせいだと思ってんの。

 中学三年生の夏ともなれば、周りは進路の話で持ちきりになる。ここに行きたい、あそこに行きたいと同級生たちが話す中、真っ先にバレーで推薦をもらった俺はひと足先にその輪から外れている。
 推薦をもらった高校は、市内でも県内でもなく、隣県でもない。それを目の前の彼女に告げた時、彼女はさして興味もなさそうな顔で「ふーん」と言っただけだった。「おめでとう」と周りが俺を祝う中、彼女が祝いの言葉をくれたことはない。

「兵庫…兵庫県?だっけ?」
「え?あー、うん。そう、兵庫」
「兵庫県に行くのだって魔法を使えばひとっ飛びだよね」

 じわりと彼女の額に汗が滲む。雲ひとつない青空の下、屋根もないベンチで真夏の直射日光を浴び続けているのは正直しんどい。帰りたいの意を込めて「名前、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」と彼女に言う。名前はううんとうわ言のような言葉を発した後、黙り込んだ。彼女なりの「まだ帰らない」の意思表示だ。いや、そこは帰るでいいじゃん。このままじゃ二人まとめて仲良く熱中症まっしぐらなんだけど。
 彼女は青空を見ていた顔を正面へと戻し、手元にあるチューペットをじっと見つめている。ああ、なるほど。チューペットが食べ終わらないからまだ帰れないってことね。はいはい、じゃあ早く食べちゃおうね。自分の腕を彼女の手元へと伸ばし、手首を掴んで彼女の口元へチューペットを運ぶ。「んぐ」と口元に触れたチューペットを確認するようにちろりと舌で舐めてから、がぶり。そのまま噛み続けること数十秒。あっという間にチューペットの半分がなくなった。

「魔法で角名に呪いとかかけちゃうかも」
「物騒なこと言うなって」

 あと食べながら喋るなよ。注意した俺に詫びれもない様子で名前が「ごめん」と笑う。名前の体が揺れたことにより、手元にあるチューペットの水滴がぽたりとブラウスへと落ち、その色を変えた。その一点をじっと見つめて、俺は色の変わった胸元に指をさす。
 
「俺が魔法使いだったら。その胸元のボタン、開けられるようにしてあげる」

 かり、と胸元のボタンを爪で引っ掻く。彼女の胸元には一本傷がある、らしい。昔に手術をした際に残った傷跡だそうだ。彼女を蝕む病気はまだ完治していないし、そのせいで進学どころか卒業も危ういという。全て彼女から聞いたことだった。
 彼女は数回瞬きをしてから「愛知一の変態ここに現る」とケラケラ笑った。ほらな、そう言われるから言いたくなかったんだよ。チッと舌打ちをすれば「ついでに愛知一のヤンキーも」と付け加えた。舌打ちする奴がヤンキーなら、世の中はヤンキーで溢れかえってるだろうね。

「まあでも、角名くんは魔法使いではないわけです」

 折角話を合わせたのに、「なぜなら、条件を満たしていないので」と名前はバッサリと俺の魔法使い説を否定する。なんだよその条件って。

「でも私は魔法使いなので、最後の力を振り絞って、角名くんを呪います」
「最悪すぎだろ。悪の魔法使いになってるじゃん」
「呪いはまじないでもあるんだよ、知ってる?」
「知るか」
「はい、じゃあかけるよ。さーん、にーい、いち」
「……」
「……」
「…え?まじでかけたの?」
「かけた」

 中身のなくなったチューペットを片手に、ようやく名前が重い腰をあげる。思わず自分の体をペタペタと体を触ってみるが、特に変わった様子はなかった。まあ、当たり前か。魔法使いなんてこの世に存在しないのだから。

「で?俺にはなんの呪いがかけられたの?」
「…えーと」
「いや、考えてないのかよ」

 右に左にと視線を泳がせる名前に、呆れた顔を向ければ、癪に触ったらしく「考えてあるし!ほら、あの、あれだよ!」としどろもどろに繰り返す。
 チューペットの残りを全て口に入れ、よっこいせと立ち上がりエナメルバッグを肩にかけた。うわ、ここも熱くなってんじゃん。エナメルバックについた砂埃を払っていると、突然「そう!それ!」と名前が指をさす。

「角名くんがチューペットを食べる度、私を思い出す呪い!」

 名前の指の先には、俺がついさっき食べ終えたチューペット。今考えましたと言わんばかりの回答に、俺はゆっくりと目を細めてから「10点」と答えた。「10点中10点でしょ!?」と食い下がる彼女に、「10000点中10点」と容赦なく叩きつければ、名前は「ミジンコ並の10点!」とショックを受けた顔をする。当たり前だ。そんな呪いをかけなくったって、とっくに俺は名前のことを忘れられない呪いにかかっているのだから。



真夏の魔法使い