※×kmtなお話(知らなくても読めます)


「月島、名字探して来てくれないか」

 スマン、と手を合わせた菅原さんになんで僕がと眉を寄せ、「名字を探すなら山口でもいいじゃないですか」とつい文句が出た。菅原さんはそんな反応もお見通しだったのか「月島、名字と仲良いだろ〜」と俺の腰を容赦なく叩く。別に、仲良くなんてないんだけど。ふらついた僕の体は、体育館の扉へと一歩を踏み出したままピタリと止まる。「よろしくな〜」と有無を言わさない圧に僕は「はああ」と大きなため息をつくと、人の熱でもわりとした空気の体育館から抜け出した。


 
 名字は案外すぐに見つかった。彼女は高校の敷地内でも一番大きい木の側に座り込み、その小さな体を丸めていた。こんなに早く見つけられるのだから、山口でも日向でもすぐに見つけられるだろうにと思うけれど、数日前に「名字見つからないんだけど!?」と日向が喚いていたことを思い出す。「あの子、大体どこかしらの木の近くにいるでしょ」と言ったら、他の先輩たちも驚いていたっけ。近くで話を聞いていたらしく「名字を見つけられるのはお前しかいない」と僕の肩を叩いた田中さんの顔が、とても腹立たしい顔をしていたことはよく覚えている。

「ええ?そうなの?ーーが?」
 
 クスクスと笑う彼女に体調の悪い様子は見られない。そのことにひとまず安堵して、彼女のすぐ近くに一羽のカラスが平然と名字のそばで羽を休めていることに気付いた僕は「ああ、またか」とゲンナリした。

 名字名前とは、クラスメイトであり僕の所属する男子バレーボール部のマネージャーだった。とはいっても、最初に仲良くなったのは山口で、彼女は烏野高校に同じ中学校の友達はいないのだという。なんでも名字は高校から自転車で1時間ほどの山奥に住んでいるらしい。地名を聞いて「え、あそこって人住んでるの?というか、住めるの?」と純粋に驚いてしまったが、彼女はムッとした顔で「ちゃんと小学校も中学校もあるんだからね!」と怒っていた。曰く、同級生は1クラスのみの10人程度だったらしい。出身中学の名前も聞いたけれど、正直聞いたことがなかった。ちなみに、同じ山を越えて通学する仲間である日向とは方向が違うらしく、お互いの山道について語り合っていたけれど僕や山口には到底理解できないような話だった。
 そんな彼女の第一印象は「軽そうな女」だった。これを言うと山口に「ツッキー、それは流石に女子に失礼じゃ…」といまだに言われるのだが、これは決して悪口ではない。性格がチャラいとか、素行不良だとかそういう意味ではなく、たまたま彼女を知るきっかけになった体力テストで、彼女がまるで重力を無視したかのように高く跳び風を切るように早く走るものだから、軽やかに体を動かす人だなと印象に残ったのだ。
 そんな彼女は、山口に誘われて、男子バレーボール部のマネージャーになった。なんでも中学校では部活はやっていなかったらしい。「その人数じゃ部活じゃないでしょ」と言ったら「部活はなかったけど、同好会的なのはあったよ。猟師同好会」と返事が返ってきた時は思わず「はあ?」と怪訝な顔を向けてしまったけれど。猟師同好会って何。というか猟師って免許必要なんじゃないの。

 ここまででも十分規格外な彼女は、体育館にさらなる驚愕を持ってきた。「遅くなりました〜」と体育館のドアを開けた先にいた名字の肩に乗っていたのは、一羽のカラス。「何でカラス?」「烏野だけに…?」「というかカラスって肩に乗るの?」「あれ野生のカラスだよな?」と、ヒソヒソと囁かれているのを気にも止めず、あろうことか彼女は入り口で「じゃあまたね」とカラスに話しかけたのだ。カラスは彼女の言葉を理解したかのように小さく首を縦に動かしたかと思うと、その羽を広げ飛び立って行った。これには主将たちも「え、今カラス頷いた…?」「会話できんの?」とびっくりしていたし、僕や山口も呆然としていたと思う。
 そんなこんなで晴れて部活まで同じになった僕たちが連むようになるのは時間の問題で、気づけば僕は「名字を見つけるスペシャリスト」という不名誉な称号を頂くまでになったというわけだ。

「名字」
「あ、月島くん」
「何マネージャーが堂々とサボってるワケ?戻るよ」
「あ、待って。すぐ済むから」

 そう言って、彼女は再び目の前のカラスに向き合う。この光景はもはやバレー部では見慣れたもので、部員が通りかかったとしても「あ、またか」くらいにしか思わないだろう。ちなみに、「カラスに名前はあるの?」と山口が興味本意で聞いた時に、はじめて名字が話しているカラスが一羽でないことを知った。なんでも彼らは全国各地からやってくるらしい。「この子は関西弁を喋るし、この前の子は沖縄の言葉を話すよ」と平然と言ったときはさすがに何言ってるんだこいつと思った。一度、雀と話しているのを見た時は、正直鳥類をコンプリートするつもりなのかと目を疑ったものだ。

「…うん、そう。そっちも皆元気なの?よかった」

 じゃあまたね、と彼女が手を振ると、カラスは両足で数回跳ねてからその羽を羽ばたかせた。どうやら今日の密会はこれで終了らしい。飛び立った方角をじっと眺めた名字は、どこか懐かしむように目元を緩く細めていた。その横顔を見て、僕の心臓がまるでランニングを終えた時のようにどくどくと波打つ。ああ、もうホント、調子狂う。
 
「お待たせ、月島くん。探しに来てくれてありがとう」
「…別に。探してたのは菅原さんたちで、僕は風に当たるついで」
「それでも迎えに来てくれたんでしょ?ありがとう」
「…そう思うならいい加減早く立って」

 にぱっと笑みを向けた名字にくすぐったいような気持ちになって思わず顔を背けた。よっこいせ、と立ち上がった彼女が不思議そうに視線を向けてくる。その視線に居た堪れなくなった僕は何となしに「何の話してたの」と口を開いた。特にききたいとは思わなかったけれど、聞かれた本人である彼女はニコニコと笑って「思い出話だよ」と言った。

「そうだ。今日の子はね、これくれたの」

 そういって彼女が差し出した手には、小さな袋が握られていた。カラスが器用に彼女のもとまで運んできてくれたらしい。スン、と鼻を鳴らせば微かに花の匂いがして、僕は「あれ」と呟いた。この匂い、体育館で何度か嗅いだことがあるような。その呟きは名字の耳に届いていたようで、「あ、気づいた?」と照れ臭そうに笑った。

「これ、藤の匂い袋なんだ。あの子たちがたまにこうやって届けてくれてるの」

 もう良いって言ったんだけどね、と彼女は困ったように眉を下げる。そういえば、彼女の通学鞄から似たような匂いを嗅いだことがあるような気がする。

「藤、好きなの?」
「うん、まあ、好きかな。鬼除けにもなるし」
「鬼除け?」
「あれ、月島くん聞いたことない?大正時代くらいに全国各地に鬼がいたって話」

 名字の言葉に、僕は瞬きを繰り返す。え、鬼?鬼って、御伽草子とかに出てくるあの鬼?と聞けば、名字はくすりと笑って「月島くんらしい回答だね」と笑った。

「でもそっかあ。月島くん知らないのか」
「…てことは、君はその鬼とやらに詳しいワケ?」
「まあ、詳しい方だと思うよ。家の蔵に当時の書物とか残ってるし」

 予想と違う返答に、僕は小さく目を見開いた。名字の言い方はまるで、本当に鬼がいたのだと確信しているようだった。まさか、と鼻で笑いそうになって、そういえばこの子自身も規格外だったなと思い出す。現代でカラスと話せる人がいるのだから、昔に鬼の一匹や二匹存在していてもおかしくないのかもしれない。
 
「私、部活で帰り夜遅いでしょ。だからカラスたちが心配してお守り代わりに届けてくれるの」

 名字曰く、その鬼たちはどうやら夜に襲ってくる生き物らしい。中でも珍しい血を持つ人間を狙うことが多く、名字もその血の持ち主なんだとか。それが分かるカラスすごくない?というかその鬼って吸血鬼なの?と思ったけれど、どうやら吸血鬼とはまた違うらしい。「その鬼が嫌いな匂いが、藤なんだよ」と名字は手元の匂い袋を見つめる。

「でももういないんでしょ?その匂い袋無駄じゃない?」
「まあ、そうなんだけどね」

 名字は苦笑いしながら手のひらで匂い袋を転がした。藤の匂いが鼻をくすぐる。

「まあ、今でも私を仲間だと思ってくれてるってことかな」

 そう言って名字は照れくさそうに笑った。


君の匂いを知る