顔面蒼白。今の私の顔を見れば、誰もがそう思うだろう。実際、私の後ろで友人は同情したように「ドンマイ」と肩に手を置いている。

 数ヶ月に一度、担任の気まぐれで行われる席替えが今日だと知らされたのは、朝のホームルームの時間だった。
 手作りのくじが入った箱片手に担任がやってきて「時間ないんやからはよくじ引けー」と、廊下側の1番前の女の子に箱を手渡したのをぼうと見つめながら、この席気に入ってたんだけどなあと思う。「センセー心の準備は!?」と嘆く生徒を無視して黒板に座席表を書き始めた先生に、何を言っても無駄だと早々に諦めた生徒たちは、そのままあれよあれよとくじの入った箱を順番に回していく。例に漏れず私もくじを箱から一枚取り出してくじの番号を確認した。
 19番。数字順に席が割り当てられるわけじゃないので隣が誰かは分からないが、黒板を見た限りでは窓際の後ろから2番目。中々いい席だった。
 全員が引き終えたころ、ホームルーム終了のチャイムが鳴る。「次の授業までに席移動しとけよー」と間延びした担任の声を合図に、慌ただしくガタガタと机を動かす音が鳴る。前の席からそこまで離れた場所ではなかった私は、ゆっくりと机を動かし、後ろに仲のいい友人がいたことに喜び、今回の席替えは当たりだと喜んだ。と、いうのに。

「嘘やろ、侑この席なん!?」
「なんやねん、俺の後ろに不満あるんか!」
「えー、俺寝れへんやん!」
「んなもん知るか!」

 仲のいい友人の隣になった男子が、前の席にいる男に文句を垂れている。その男子の前の席、ということは、つまり。その男子は私の隣の席になるというわけで。
 あ、私、宮の隣なんや。
 終わった、と天井を見つめた私に、私の心中を察した友人が「ドンマイ」と肩を叩いたのだった。

 
△▼△


「お?なんや席替えしたん?」
「…まあ」
「名字、ツムの隣やん。ウケる」
「はあ…」

 私は別にウケへんけど、と心の中で返事をしながら、頬杖を突く。目の前に現れたのは、隣のクラスの宮治と角名だった。

「で、その隣の侑に用事なんだけど、侑は?」
「宮ならさっき教室出てったで」

 角名の質問に、廊下を指差して答えれば、角名は「はあ?俺の辞書は?」と怒りを露わにした。どうやら宮侑に貸した辞書を返してもらいにきたらしい。角名はやがて諦めたように息を吐くと、眉を顰めながらクラスの中を見回している。きっとこのクラスのもう一人のバレー部員である銀島くんを探しているのだろう。

「…宮ですって」
「…なに」
「べつに」

 ポケットに手を突っ込んだまま立っていた宮治は、「久々に名字の顔見たなぁ」と前の席の椅子を引き腰掛けた。「ちょっと」と片眉を上げて睨みつければ別にええやん、と私の机の上に放置されていたグミの袋を持ち上げる。「どうせツムが帰ってくるまでここ動けへんし」と袋を開けて食べ出した宮治に、私は突っ込むことをやめて机に顔を伏せた。
 
 私と宮兄弟は、家が隣同士である。
 といっても、道路を挟んで隣、というだけなので、あまり隣という感覚はない。どちらかといえばご近所さんの方が正しいだろう。
 私たちは同い年だから、と最初のうちはよくお互いの家を行き来していたと思う。私の家の親は夜遅くなることも多く、たまに宮家の食卓にお邪魔していたりもした。
 お互いの家を行き来していたと言っても、私たちは特別仲が良かったわけではなかった。会えばくだらないことですぐに言い合いをしていたし、それが喧嘩に発展するなんていつものこと。低学年の頃はお互いに手が出ることだってあった。いつの間にか宮治とは落ち着いていたけれど、宮侑と私はとにかく相性が悪かった。
 そんな宮侑との喧嘩の日々に終止符を打ったのは、中学2年生が終わる頃。いつも通り侑と些細なことで喧嘩した私は、侑に「お前とは絶交や!金輪際俺はお前の名前を呼ばんし、お前も名前で呼んでくんな!」と、絶縁を言い渡された。残念ながら喧嘩の原因は覚えていないので、本当に大したことない喧嘩だったのだと思う。
 それからは、異性ということもあり所属するコミュニティの違う私たちが関わることは一切なくなった。いつの間にか宮治とも「宮」「名字」と呼び合う仲になり、お互いの家に行くことも無くなった。今じゃ私たちが幼馴染だと知る人の方が少ないだろう。
 進学先が同じ稲荷崎だったことには正直驚いたけれど、マンモス校なので関わりもなく今日まで過ごしてきた。…というのに。

「なんで隣の席なん…」
「別にええやろ、隣の席くらい」
「……」

 モグモグ、と人のグミを勝手に食べ進める宮治の声を聞きながら項垂れる。そもそも、私は宮治とも久々に話すはずなんだけど。当たり前のように話しかけてくる宮治に、何も変わってないなとため息を吐く。
 というか、宮治の保護者はどこにいった。チラリと目線だけを横に向ければ、角名は銀島の席で何やら話し込んでいるようだった。いや置いてくなし。
 何を不貞腐れてんねん、と不思議そうにする宮治に、どうしたもんかと身じろぎをする。すると、後ろの席から「あんま名前虐めんといてや」と優しい声がした。

「このクラスって日直が隣とペアなんよ」

 侑がちゃんとやるとは思えへんもんなあ、と友人は項垂れる私の頭を優しく撫でる。
 宮侑と日直、ってだけで同情の目を向けてくる人は多い。宮侑の生活でバレーボールが第一なのは有名な話で、クラスの仕事をしているところを見たことがないからだ。実際、この数ヶ月で宮侑とペアになった生徒が一人で日直の仕事をしている姿を何度か見かけたことがある。
 宮治は友人の話を聞くと、心当たりがあるような声で「あー…」と歯切れの悪い声を出した。これが宮治ならば違ったのだろうが、彼は残念ながら隣のクラス。「ドンマイ」と、友人と全く同じ反応をする宮治に、私は返事を返すことはなかった。
 一人で日直。たしかにそれも理由なのだが、私からしてみれば絶縁した相手と席が隣になった挙句、二人で日直をしなければならないのだ。今日1日で地獄のダブルコンボを喰らったわけである。

「ツムの日直いつ?」
「この列からスタートやから、早速来週やで」
「…朝、アイツに声はかけといたるわ」

 ま、頑張りや。頭上から降ってきた宮治の声から不思議と「諦めろ」という副音声が聞こえる。知ってる。昔から宮侑は朝が弱いし、このクラスになってからも何度か寝坊で滑り込んできているのをみるに、今も変わらず朝が弱いのだろう。返事の代わりにむくりと起き上がれば、宮治は「ブッサイクな顔してんな」と笑った。

△▼△


 そんな地獄の席替えから1週間。とうとう日直の日を迎えた。朝、教室に向かえば、教室は当たり前のように施錠されている。宮侑は朝練で既に学校に来ているはずなのだが、教室を開けてから朝練に行くという選択肢はなかったらしい。まあ、そうやろうな。踵をを返し、鍵を受け取るついでに担任の机に放置された日誌を手に取って教室へと向かった。
 朝にやることはこれだけなので、今日の授業の予習をしていれば、ちらほらとクラスメイトが登校してくる。私の姿を確認するなり、状況を察したクラスメイトの何人かからは同情の視線をいただいてしまった。中には「日直?手伝おうか?」と声をかけてくる男子もいたが、それに大丈夫と返事を返す。
 それから暫くして、朝練終わりの友人と話していると、隣の席で乱暴に荷物が置かれる音がした。その音が思ったよりも大きく、クラスに一瞬沈黙が流れる。私も友人も驚いて顔をそちらに向ければ、ぶすりと顔を歪めた宮侑が立っていた。どうやら宮侑が荷物を置いた音だったらしい。
 しかし、次の瞬間には「侑、今日早ない?」とクラスの男子が宮侑に話しかけ、あっという間にクラスに喧騒が戻ってきた。「北さんに日直やってバレて体育館追い出された」と拗ねたように話す宮侑は、どうやら部員よりもひと足先に体育館を追い出されたらしい。

「…何すればええんや」
「は?」
「…だから!俺は何すればええんやって聞いてんねん!」

 机に置いたスポーツバッグを見ながら呟いた宮侑は、どうやら私に話しかけていたらしい。それを理解できずにポカンとしていると、宮侑はぐっと険しい顔をこちらに向けた。

「…黒板」
「は?」
「お前、背ェ小さいからどうせ上届かんやん。黒板消せばええんか」

 いやなんで黒板?と首を傾げていると、宮侑は私の返事を待たずに乱暴に自分の席の椅子を引く。「え、今侑黒板消すって言った…?」とおどろいている友人や周りのクラスメイトを無視して、宮侑はぶすっとした顔のまま席に着き頬杖をついた。

「ツム、熱でもあるんか?」

 どうせ言うだけ言ってやらないのだろう。そう思っていたけれど、予想を反して宮侑は毎時間きちんと黒板を消している。これには移動教室だったらしい宮治までもが片割れが黒板を消している状況にびっくりした様子で声をかけていた。片割れの言葉に、黒板消し片手にぴきりと青筋を立てた宮侑が「お前が朝北さんに告げ口したからやろうが!」とブチギレてしまい、危うく乱闘になりかけたのだが、移動教室に遅れてしまうと角名と銀島が必死に引き剥がしていた。
 
 その日、私の予想を裏切って宮侑は最後まで黒板係をやり切った。そうして今、役目を終えたはずの宮侑はなぜか日誌を書く私の隣で朝のように頬杖をついている。

「…あのさ、宮」
「…」
「あと日誌だけやし、もう部活行ってええで」

 視線は日誌に落としたままそう言えば、宮侑は数秒してから「はあ?」と低い声を出してこちらを向いた。刺激しないようにと言葉を選んだつもりだったが、どうやら逆効果だったらしい。次飛んでくるのは暴言だろう、と身構えていると、私を睨みつけた宮侑がチッと小さく舌打ちをする。

「…バレー部の主将がそういうのちゃんとしろってうるさいねん。今行ってもどうせ体育館追い出されるのがオチやわ」
「…あ、そう…」

 宮侑はそれきり再び黙りを決め込み、その口から暴言が飛んでくることはなかった。昔ならこのままきっと口論になっただろうに。少しは宮侑も大人になったということなんだろうか。
 静かな教室に、シャーペンを動かす音だけが響く。居心地の悪さはいつのまにかどこかへ消えていて、ほっと息を吐いた。

「なあ、なんで黒板消ししてくれたん?」
「…いつもお前、上届いてへんかったやん」

 今なら少し話せるかも、と今日一日不思議に思っていた事を聞けば、宮侑は懐かしい話題を持ちださた。小学校の頃、宮侑と日直が同じになると、宮侑は背の小さい私の代わりに黒板係をしてくれていたっけ。とはいえ、私もあれから背が伸びているし、黒板の上だって届くのだけど。
 懐かしさにふ、と口元を緩めていると、宮侑はチラチラと私の顔を見て、口をパクパクと開けたり閉めたりを繰り返す。何か言いたいことがあるのだろうか、と視線を宮侑に向ければ、彼は一度きゅっと口を結んでから、ゆっくりと開いた。

「…名前こそ、部活はええんか」

 ぽつりと呟かれた言葉に、シャーペンを動かしていた手を止め、宮侑を見る。口を尖らせた宮侑に、思わず口を開いた。

「…なに?」
「は?」
「だから。名前。なに?」

 聞き間違えでなければ、宮侑は今、私の事を名前で呼んだ。それに眉を寄せて宮侑を見れば、私の質問の意味がわかったのか、宮侑がこちらに視線を向けた。

「何って、名字名前。お前の名前やろ」
「そうやけど。…いや、そう、なんやけど」

 まさか名前を呼ばれるとは思っていなかった私は目を瞬かせる。宮侑は口を開けたままの私を、「はあ?」と怪訝そうな顔で見ていた。

「なんで名前呼ぶん」
「なんでって何やねん。呼んだらあかんのか」
「いやだって…アンタが言ったんやろ」

 あの日確かに宮侑は、お互い名前で呼ぶのはやめるのだと言ったはずだ。しいていうならこんな可愛い言い方ではなかったけれど。
 それとも、宮侑の中であの話はとっくに時効を迎えていたのだろうか。訳がわからず、だんだんと自分の顔が強張っていく。
 そんな私を見て、宮侑は深いため息を吐くと「何を勘違いしてんねん」と呆れたように言った。

「言うとくけどな。あの日、名前で呼びたないって言い始めたのはお前の方やからな」
「…そうやっけ?」
「そうやろが!クラスメイトにバカにされたから呼び方変えるって、お前が言うたんやぞ!」

 宮侑の言葉に、当時の記憶を呼び起こす。そういえば、そうだったような…いや、あんまり覚えていない。
 首を傾げた私に、宮侑は半ギレで「記憶ねじ曲げんな!」と立ち上がる。宮侑の威圧感に「ウワッ」と背中を後ろに傾け上を見上げると、宮侑の顔は記憶よりも遥か頭上にあり、思わず目を見開いた。

「俺もサムも、最初から名前で呼べって言うてた!名前で呼ばんのやったら絶交するぞって言うたのに、お前が名前で呼ぶんは嫌やって拒否ったんやろうが!」
「え…?」

 勢いのまま私の胸ぐらを掴んだ宮侑に、揺さぶられるようにして当時の記憶が蘇る。そういえば、そうだったかもしれない。
 あの時、私たちも周りも思春期を迎え、男女で区別をしたがった。それを言葉で指摘された私が「宮くんって呼ぶ」と言ったことが、あの日の喧嘩のきっかけだった。

「…ごめん。私、てっきり宮が私に名前を呼ばれるのが嫌になったんやとばかり…」
「なんやそれ。別に俺は…ッ」

 宮侑はくわっと口を開いたかと思えば、中途半端に言葉を止め、モゴモゴと口を動かした。「あ、侑で、ええし」とどこか歯切れ悪く言った宮侑は、恥ずかしいのかふと視線を逸らす。

「そ、それに!サムが名前呼ばれへんって泣いてたからな!」
「…お、おん」
「だから…っ!な、名前で呼んでや…」

 宮侑はそう言うと、私の胸ぐらからようやく手を離す。おろした腕が机の上のシャーペンを掠めたのか、カシャンとシャーペンの落ちる音がした。

「…侑?」

 ぽつりと名前を呟いた私に、宮侑はばっと勢いよく顔をこちらに向ける。分かりやすく表情を変えた宮侑に、私はポカンとその顔を見つめ、ふはっと笑った。

「何それ。そんなに呼んで欲しかったの?」
「は!?ちゃ、ちゃうわ!何言うてんねん!」

 仕方ないから名前で呼んだるわ、と笑った私に、宮侑は「勝手にせえ」と顔を逸らす。そのまま腰を折った宮侑は、床に落ちたシャーペンを拾うとそっと私の机の上に置いた。
 
「なぁ、侑」
「なんやねん」
「私があんたのこと名前で呼べば、絶交も無効ってことでええの?」

 ようやく自分の席に腰を下ろした宮侑は、「仕方ないから取り消したるわ」と腕を組み、ふふんと笑う。

「復縁や復縁」
「その言い方なんか嫌やからやめて」
「なんでや!ええやろが!」
 
 ええ…と嫌な顔をした私にさっそく噛みついた侑に言い返してやろうと口を開こうとした瞬間、ガラリと教室のドアが開かれる。そこには宮治がいて、私と宮侑を交互に見つめると、呆れたように口を開いた。

「なんや、仲直りしたんか」

 えらい長い喧嘩やったなあ、と言いながら、宮治はこちらへと近づき、宮侑の頭を容赦なく叩く。「あだっ!?」と頭を下げた宮侑は、勢いよく頭を上げ「何すんねん!」と宮治を睨みつける。

「お前いつまで部活来やんつもりやねん」
「はぁ!?」
「はぁ?やないねん。中々来ないお前を呼びにきてやったんやろが」

 宮侑を睨みつけた宮治に、宮侑がチラリと時計を見て「アッ!?」と慌てて立ち上がる。そういえば、随分と話し込んでしまった。きっと治は主将に言われてきたのだろう。「ごめん、治」と手を合わせると、宮治は目を見開いてから、フッフと笑った。

「なあ、名前。どうせお前んちのかーちゃん今日も遅いんやろ?」
「え?ああ、まあ…」
「なら久々に俺んちで飯食おや」

 オカンに連絡しとくわ、と宮治は未だガタガタと机を揺らしスポーツバッグを肩にかけている宮侑を置いて教室を出ようと歩き出す。

「急に大丈夫やろか」
「…大丈夫やろ」

 それに、と宮侑は言葉を続ける。

「お前、どうせいまも一人で泣きながら飯食うてるんやろ。なら、俺んちで楽しく食おうや」

 そう言った宮侑は、フッフと笑うと「部活終わる頃校門集合な」と手を振った。いや、泣きながら食べてたのは小学生の頃だけれど、と言いたかったけれど、まあいいかと口を閉じて彼らを見送る。それは、今日の食卓で訂正すればいい。そうして、私たちの知らない数年間を肴にあたたかな食卓を囲もうか。



おとなりさん