野良猫と梟
 烏野高校の清水さんとは、それなりに連絡を取り合っていたように思う。気づけば「潔子」「なまえ」と呼ぶ仲になっていたし、顔を合わせていないにしろ、私たちはなかなかいい関係を築けているのではないだろうか。今日も今日とて練習試合の録画を見ながら付けたスコアシートを添削してもらい、アドバイスをもらったばかりだった。

「みょうじー、テーピング頂戴。茶色い方ね」
「はいはい」

 言われた通りにテープを渡せば、黒尾はきょとんとした顔をしてこちらを見る。なんだかその視線が居心地悪くて「なに」と小さく声をかければ、黒尾はいや、と呟いた。
 
「なんか…慣れるの早くね?」
「…私には素晴らしい師匠がいるからね」
「師匠ぅ?…ああ、烏野マネか」

 指を固定するテープにも種類があると知ったのも、潔子のおかげだった。最初は備品の箱を開けて大量に出てきたテープに、どれがどれだか分からなくて首を傾げていたものだ。やっぱり持つべきものは師匠である。ドヤ顔でふふんと鼻を鳴らすと、黒尾はおかしそうに「現金なやつ」と笑った。

「インターハイ予選が近づくとやっぱ気合い入るなー」
「…ずっと聞きたかったんだけど、音駒って強いの?」
「あ?旧校舎で散々話しただろ。音駒はここしばらく全国には行ってねえよ」
「そうだっけ」
「さてはお前、俺らの話ちゃんと聞いてないな?」

 以前夜久にも言われた言葉を黒尾にも言われ、私はうっと言葉を詰まらせる。べ、別に、聞いてないわけじゃないし。楽しそうだなあとは思ってたよ。ただ、専門用語みたいなのが飛び交って何を言ってるのか分からなかっただけで。そう告げれば、黒尾は「ならその時に質問しろよ」と呆れたように言った。いや、その時はそこまで興味がなかったものですから。

「ま、でも今年は全国行けるんでない?ゴミ捨て場の決戦もしたいしな」
「ああ、烏野との公式試合ね。潔子もそんなこと言ってた」
「なんだ、すっかり仲良しじゃねーか」

 妬けるねえ、なんて思ってもいないことを言って黒尾は指にテープを巻いていく。そのまま指をぐーぱーと数回開いて閉じると、満足いく仕上がりだったのか、そのまま練習へと戻っていった。ふわり、と強い風が体育館に入り込み、思わず目を閉じてからドアへと視線を向ける。ドアの先では綺麗な青空が広がっていて、夏の訪れを待ち侘びているようだった。

 
▽▲▽


「無理。人ごみ無理。帰る」
「おい夜久、みょうじの腕引っ張って連れていけ。離すなよー」
「おう、任せろ」

 6月、インターハイ予選会場についた私はすでに帰りたい気持ちと戦っていた。試合をしていないのに、すでに負けそう。周りを見渡せば人、人、人。視線を感じた気がして、思わず被っていたキャップ帽を深く被り直す。「やっぱりジャージにキャップ帽は目立ってますって」と笑う灰羽の声が聞こえないくらい、私は人混みの緊張で死にそうだった。
 黒尾は、受付を済ませるべくさっさとどこかへと向かい、私は夜久に引かれるがまま待機場へと腰を下ろす。体育座りでキャップ帽を被った頭を下にさげれば、視界に人は映らなくなる。ほっとした私に、夜久は「重症だな」と呟いた。

「一回戦は40分後。そのあとの二回戦は、午後からだな」

 戻ってきた黒尾が、淡々とスケジュールを確認していく。予選一日目は、どうやら二試合やるらしい。トーナメント表を見て、黒尾たちは何とも言えない表情を浮かべている。私は伏せていた顔をすこしだけあげて、トーナメント表に目を向けた。
 勝ち進んだ先に書かれている名前は、私にとっては高校名の一つでしかなかったが、黒尾曰く「去年の優勝校」らしい。このままいけば、私たちはその優勝校と二日目に戦うことになる。つまり、優勝校に勝たなければ、私たちは全国へと進むことができない。早くも不安な表情をした一年を見て、夜久が「勝負してみなきゃ分からないだろ」と灰羽の腰を思い切り叩く。「イッダァ!?」と声を荒げた灰羽に私はふ、と笑う。他の一年生も、いつも通りの風景に緊張が少し解れたようだった。

「あ!黒尾じゃん!おーい!黒尾ー!」
「…うわー」

 遠くから呼ぶ声に、明らかに黒尾は嫌な顔をした。そんな黒尾のそばに、真っ白のジャージを羽織った軍団がやってくる。慌てて顔を伏せると、どうやら黒尾や夜久だけでなく、孤爪も海も知り合いだったようで「元気してるかー!?」「お前ほどは元気じゃねーよ」と軽口を叩き合っている。

「孤爪も久しぶり」
「…うん」

 孤爪が返事をしている、だと。思わず顔を上げると、先ほど声をかけてきたうるさい声の人ではない落ち着いた雰囲気の人がそこに立っていた。孤爪の雰囲気からして同学年だろうか。まじまじと見つめていると、おもむろにその男がこちらを見る。がっちりとあった視線に固まっていると、男はぺこりと一礼して孤爪へと視線を戻した。

「マネージャー?」
「そう。入ったばかり」
「なるほど」

 淡々と繰り広げられる会話に、落ち着いた人だなあと印象付ける。ただ、何となくその会話に居た堪れなくなった私は、そっと立ち上がると、孤爪と男のそばへとそっと近寄った。男にはそんな私が突然現れたように見えたのか、「あの」と声をかけるとびっくりしたようにこちらに視線を向けていた。

「…えっと、みょうじなまえです。孤爪がお世話になってます」
「ああ、どうも。赤葦京治です」

 それきり、赤葦はじっと私を見つめたまま黙り込んでしまった。え、どうして。困った私は、孤爪へと視線を向けるが、孤爪は私が言った言葉が気に食わなかったのか、なんともいえない表情でこちらを見つめている。

「…あの、俺たちどっかで会ったことあります?」
「…はあ?」

 前言撤回。とんでもねえやつだった。
 「ないと思いますけど…」と視線を斜め下に固定してそう告げれば、赤葦は少し間をあけてから、「まあ、そうですよね」とどこか納得したように頷いた。いや、なら何で聞いた。新手のナンパか何かですか。こんな隠キャ引っかけて楽しいですか。

「ちょっと赤葦クン?うちのマネージャー引っかけないでくださる?」
「う、わ」

 もうやだ会話に混ざるんじゃなかった、と背中が丸まったところで、黒尾が後ろから私の頭に肘を乗せた。おい、やめろ。振り払おうと頭を動かせば、今度は頭ごと肩を組まれる始末。黒尾がのしかかっているせいで首が変に曲がってしまい、正直とても辛いんだが。
 当の本人である赤葦は、すんとした表情で「すみません」とペコリと謝ると、その内容は「そういえば」とバレーの話題へと変わっていく。黒尾は、私の肩を抱いたまま、相槌を打ったり、返事を返したりと会話を楽しんでいた。

「え!まって、マネージャー増えてる!」
「木兎さん、時間です。行きましょう」
「エッ!」
 
 何でだよ、俺もマネと喋りたい!とごねる木兎と呼ばれた男を、赤葦が言いくるめると御一行は「じゃあな」と言って去っていく。まるで嵐のような軍団だった。…それよりも。

「…黒尾、そろそろ離れて。首が限界」
「あ、ワリ」

 20230406
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