見せておくれよ、その景色
 スパイクの音。レシーブの音。どれも練習でこの数ヶ月聞いていた音だったはずなのに、目の前で行われているそれは、全く別物のようだった。二セット目終盤、思わず両手を膝の腕で握りしめた私に、猫又監督は満足そうに笑っていたのを覚えている。コートにボールが落ちる瞬間が、とても長く長く感じた。

 音駒バレー部は、二日目で敗退。ベスト8という結果で幕を下ろした。悔しそうにする部員に、私は声もかけられず、ただ黙って後ろをついて歩いた。
 バスの中は、とても静かなのに、寝ている部員はいない。窓の外をじっと眺めていたり、真正面を向いて何かを考えている様子だったり、スマホを見つめ黙っていたりと様々だ。
 揺れるバスの中、『お疲れ様』と送られてきたメッセージは東北で一足先に試合を終えた潔子からのものだ。それをただじっと見つめながら、私は先ほど見たはじめての景色を思い出す。
 スパイクの音、レシーブの音、高揚を隠さない叫び声。私はまだまだバレーのことは初心者だけど、昂ったこの気持ちは本物のはず。夜久や、黒尾今まで見ていた景色の一部を、私も少しは見られたような気がした。それと同時に、自分の気持ちが黒尾たちのそれと同じ場所までいけていないことに酷く焦りを感じた。
 潔子の話では、バレー部には春高と呼ばれる大会も残されている。烏野高校の三年生たちは、全員その大会まで残ることを決めたようだ。なら、黒尾たちはどうなのだろう。黒尾たちがどうするのかは分からない。分からないけれど、もし残るのなら。私は今のままではダメだろう。「見習い」だなんて言って、逃げ道を作っている自分では、ダメだ。

「あー、一年がしんみりしてるところ悪いが。三年は春高まで残るからな」
「本当ですか!?」

 高校についてすぐに始まったミーティングでそういった黒尾に、一年生や二年生は嬉しそうに声をあげる。孤爪だけは知っていたのか、それとも当たり前に残ると思っていたのか、そのお祭り騒ぎともとれる声に顔を歪ませていた。

「じゃあみょうじさんも残ってくれるんですね!」
「え」

 勢いよく名指しされた私は、思わずぴしりとその場で固まった。自分が残るかどうかなんて考えたこともなかった。そもそも、黒尾たちが残るってことも今知ったばかりなのに。
 おろおろと視線を彷徨わせていると、パチリと夜久と視線が合う。夜久は、私を見て、ニカリと笑って肩を叩いた。うん、まあ、答えは一つしかないよね。あんな美味しい料理を味見だけさせておいて、取り上げられるなんてまっぴらごめんだ。

「…そうだね。残る、かな」

 私の言葉に、ぱああ!と顔を明るくした後輩たちは、「ヤッター!」と声を張り上げている。灰羽が嬉しさを有り余せて突撃してくるから、全力で避けた。それとこれとは話が違う。そんな私たちをやれやれと見つめる夜久と黒尾と海の表情は柔らかい。
「じゃあ練習するか!」の声に、ブーイングが広がる。けれど、体は正直なようで、パタパタと体育館倉庫へと吸い込まれるようにして駆け出していった。…孤爪以外は。

「私、見習いやめようと思う」
「え?」
「ちゃんと、マネージャーになる。私も、一緒に頑張りたいって、思ったから」

 ぽつりと呟いた言葉は、思ったよりもはっきりと声に出た。三年生はもちろん、その近くにいた孤爪にもはっきりと聞こえていたようで、各々がポカンとした表情を私に向けている。慣れないことはするもんじゃないなあ。赤くなる頬を押さえ込んで、「それだけ言いたかっただけだから」と早口で告げると、ボトルのカゴを乱雑に抱えて体育館の外へと走り出した。

わたしだって、みんなと春高とやらに行ってみたい、なんてね。

 
△▼△


 
 三年生といえば、進路もおそろかにはしていられない。とくに、残ると決めたからには、部活と受験を両立しなければいけないし、私はつい最近入部したマネージャー。てっきり三者面談で何かしら言われるかと思っていたが、どうやらその心配も杞憂で終わったようだ。親はもともと歌い手活動をしていることを知っている上で放任主義だし、担任も私が音楽の専門学校に行く上での部活動継続は、特に問題視していないようだった。むしろ「成長したなあ」と半泣きで言われ、こちらが戸惑ってしまった。

「みょうじー、これ一年に配っておいて」
「え…」
「まだ一年に人見知りしてんのかよ」
 
 いい加減慣れてやれよ、と黒尾から渡されたプリントは、部活のものらしい。渡された紙束の一枚を手に取り内容を見てみると、そこには「夏合宿のお知らせ」とでかでかと書かれていた。夏、合宿…?思わず首を傾げていると、黒尾が「これはお前の分な」と私に二枚のプリントを差し出した。スケジュールが書かれた紙と、承諾書。
 合宿は2日間と7日間に分けて行うようで、場所は梟谷学園ともう一つの高校名。聞いたことがないということは、東京の高校ではないのだろう。つまり、知らない人がいる場所にわざわざ出向かなければならないし、音駒高校でもない場所で寝泊まりを強いられるということ…?いや、音駒高校だからといって是非に!となるわけではないけれど。

「合宿…」
「そ。この時期に毎年やってんだよなー」
「ふーん。不参加で」
「いや早。もうちょい悩めよ」
「無理…知らない人いっぱいじゃん…無理…」

 絶望の表情で首を横に振った私を見て、黒尾はゲラゲラと笑う。おいふざけんな、こっちは死活問題なんだよ。プリント片手に遠くを見つめていれば、黒尾は何を思ったのか「研磨も参加するぞ?」と人差し指を立てる。いや、だから何。いつも思うけど私と孤爪を一括りにするのなんなの。「別に孤爪がいてもいなくても私は行きたくない」とスパッと言い切ると、黒尾は「ふーん?」と、食えない顔でこちらを見つめていた。

「まあ俺はみょうじが不参加でも構いませんケドね」
「…何が言いたいの?」
「今年の合宿は、なんと、あの烏野も来る!」
 
 キリッとキメ顔で言い放った黒尾に、私の中でピシャーン!と雷が落ちる。烏野…?つまり、潔子もとい師匠が来る…!?
 潔子とは連絡を取り合うようになってからずいぶんとお世話になっている。SNS上の繋がりだからか、気づけば人見知りもしなくなって、潔子に会ってみたいななんて思うこともしばしばあった。けれど、実際に会うとなると別だ。私はオフ会には参加しないタイプの人間です。とはいえ、会ってみたいのも事実。ううん、と葛藤していると、黒尾が「烏野マネ、お前と会うの楽しみにしてるらしいけどなー」ととどめの一撃を喰らわせた。

「参加…シマス」
「はいよー。じゃ、そのプリントよろしく」

 じゃあなとヒラヒラと自分の席に戻っていく黒尾を、せめてもの反抗心で睨みつける。なんだか黒尾の手のひらで転がされている気分だ。夜久はそんな私たちをみて、「仲いいなー」と笑った。仲良くなんてない!

 20230407
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