広がる世界
 合宿先は、都内ということもあり、最寄り駅での集合となっている。つい最近まで肌寒かった朝も、いつの間にか夏を迎えてじめじめとしていて、私は家を出て早々に帰りたくなっていた。
 夜久とは同じ中学だが家が近所なわけではないので、「迎えにいく」と言った夜久の申し出を丁寧に、かつ必死にお断りして、私は一人集合場所の最寄り駅まで走る電車に乗り込んでいた。ちなみに夜久からは「ちゃんと来いよ」と寝る前と寝起きに連絡をいただいている。人が多い時間に乗るのは嫌だと大分早い時間に乗り込んだからか、夏休みということも相まって人はまばらにしかおらず、冷房の心地よさに揺られながら最寄り駅へとたどり着く。
 そんな私が最初に会ったのは、二年生の山本だった。向こうもまさか私が一番に来るとは思わなかったのか、「お、おはようございまふ!」と上擦った声で挨拶をされた。無視するわけには行かなくて、「…オハヨウゴザイマス」と返した私の視線は斜め下を見つめている。お互いきちんと話したことない上に、向こうも何故だか寄ってこないので完全に気まずい空間であったのだが、これ以上の話は割愛しようと思う。

「お、みょうじちゃんと来たんだなー」
「黒尾は私をなんだと思ってるの…?」

 そんなこんなで無事全員が駅で合流し、辿り着いた梟谷学園。今回の合宿では、音駒と烏野、梟谷学園の他に、神奈川の生川高校と埼玉の森然高校が参加するらしい。音駒高校が着いた時にはすでに他の高校も揃っていて、あとは烏野高校の到着を待とうという話になっている。

「おーい、みょうじ。ちょっとこっちこい」
「な、に……」

 門についてすぐ、梃子でも動かなくなってしまった孤爪に便乗して日陰で風を浴びていると、黒尾の他に、三人の影がさす。黒に導かれるように上を向いて固まった私に、黒尾はサプライズが成功したと言わんばかりの嬉しそうな顔で「こちら、梟谷学園と生川高校のマネさんたちです」と彼女たちを指し示した。
「よろしく〜」と笑う彼女たちに戸惑いながら立ち上がり、おずおずと近寄る。一歩、二歩…と近寄った足は、だいぶ距離をあけた状態で歩みが止まり、その場でぺこりとお辞儀をする。許してほしい、これが私の精一杯です。
 きょとんとするマネさんたちに、私はさっと視線を外す。すると、センター分けの女の子がふらふらとこちらに歩いてきたかと思うと、突然両手で私の片手をがしりと掴み、「うんうん、よろしくね〜」とぶんぶん振り回した。え。突然近くなった距離に驚いて、私は思わず飛び跳ねるようにしてその子から距離をとる。

「あ、本当だ。猫みたい」

 あはは、と笑ったのは、おさげの女の子。その隣ではポニーテールの女の子が「黒尾の言った通りだった」と肩を震わせている。当の本人は、私の反応が大層お気に召したのか、「ぶひゃひゃひゃ!」と腹を抱えて笑っている。

「じゃあそちらのマネちゃんお預かりしまーす」
「はいはーい。じゃんじゃん扱使っていいぞ〜」
 
 じゃあねえ、と手を降る彼女たちにされるがまま連行される私。「宇宙人の捕虜みたいだな」と笑う黒尾には中指を立てておいた。黒尾、お前あとで覚えておけよ。

 
 
△▼△



「…なまえ?」
「…き、潔子…?」

 うん、と控えめに頷いた美少女は、電波越しにここ暫く連絡を取り合っていた女の子だった。人見知りするかな、と思っていた私は、最初に出会ったマネに人見知りをしまくっていたからか、思ったよりも落ち着いていた。まるで救いの女神のような彼女の登場に、私はぱあと顔を綻ばせて彼女へとそろそろと歩み寄る。「猫に懐かれる烏…」「近所の野良猫あんな感じ〜」と梟谷のマネもとい雀田さんと白福さんの声がするが、それよりも潔子への興味が膨らみおそるおそる近寄っていく。
 そろりそろり、と近寄った先で、背後に気配を感じ、思わず私はその足を止めた。じっと潔子の後ろを見つめると、どうやらそこにはもう一つの人影があるようだった。そういえば、最近潔子が連絡してきた時、「新しいマネが入った」と言っていたような。控えめにひょっこりと顔をだしたのは、小柄な女の子で、私は目をぱちくりとさせながら彼女を見つめる。
 視線を感じて驚いていたのか、ひっと小さく声をあげた彼女だったが、私をおずおずと見てから、見つめ合うこと数秒。わたしと彼女の中で、ピン!と何かが繋がった。――この子、同志だ…!同志の気配がする…!

「紹介するね。一年生の谷地仁花ちゃん」
「やっ!谷地仁花、です!」
「みょうじなまえ、です」

 後に続いた雀田さんと白福さんと宮ノ下さんの「よろしく」と笑う声を背に、わたしと谷地さんは語り合うでもなく手を握りあうでもなく、小さく頷いた。お互い、この合宿を生き抜こうね、と。


 
△▼△



「なんだかんだ話せてるようで安心した」
「まあ…うん」

 夕日が顔を出した頃、ノート片手に記録を取るわたしに夜久はそう言って笑った。いや、あなた試合中でしょうよ。下がってきたからって油断するなという意味もこめてじとりと睨みつければ、夜久は「そんな目で見なくてもいいだろー」とどこか安心したような声でコートへと視線を戻した。
 隣のコートでは、一足先に練習試合を終えた烏野高校がフライング一周を言い渡されている。いや、あれ、何度目…?体力おばけっぷりに、思わず顔をしわくちゃにしていると、灰羽が「みょうじさんが変な顔してる!」とゲラゲラと笑う。はあ?と睨みつけると、灰羽はビクッ!と大きな体を跳ねて視線を逸らした。

 ふ、と体育館のドアの方から、烏の鳴き声がした気がして、視線をそちらへと向ける。少し開いた隙間からは、夕日が入り込んでいて、床の色を変えていた。なんだろう、気のせいかな。首を傾げていると、その光が一層強く、大きな影をつれて体育館へと入り込む。

「主役は遅れて登場ってか?腹立つわー」

 黒尾の呟きが、耳へとすんなり入ってくる。視界の先では、烏のような真っ黒い髪と、夕日のようなオレンジ色の髪を持つ二人が、息を切らしてそこに立っていた。「オレンジ頭、ちっせー」と、灰羽がぽつりと呟く。どうやら烏野高校のメンバーだったようで、潔子たちのもとへ走っていき、何やらペコペコと頭を下げている様子だった。

「あれが烏野の変人コンビだな」
「…変人コンビ?」
「ゴールデンウィークの遠征の話した時に散々話しただろーが!ほんとお前話聞いてないな!」

 夜久がギャン!と叫ぶ。ごめん、正直お土産に気を取られて話を聞いていませんでした。ノート片手にはて?と首を傾げていると、ローテーションが回ったらしく慌てて夜久がコートへと入っていく。

 夜久曰く、烏野高校の変人コンビ。そのプレーは、私も灰羽も、驚いて自然とコートから視線をそちらに向けてしまうほどだった。ドン!と一際大きな音が鳴って、オレンジ色の頭が高い位置から床へと着地する。気づけば、他の高校の部員たちも興味津々に見つめていて、烏野高校は今まさにこの場において注目を集めていた。

「……本当に烏みたい…」

 黒い羽を羽ばたかせて飛んだと錯覚するようなジャンプ。思わず呟いた言葉は、灰羽にはしっかりと聞こえていたようで、「みょうじさんも猫っぽいですよ?」とよく分からない返しをいただいた。最近なんだか猫の話題が多いような。灰羽をじとりと睨むと、灰羽は機嫌を損ねたと思ったのか、「って、黒尾さんが言ってマシタ!」と付け加えた。またお前か黒尾。ため息をついて、烏野のコートを再び盗み見る。

 ――ゴミ捨て場の決戦もしたいしな。

 いつだったかそう言った黒尾の言葉を思い出す。しなやかな猫と、羽ばたく烏の戦い。コートで大きくガッツポーズをする彼らを見て、私は目を細めた。ゴミ捨て場の決戦には、あまり興味はないけれど。黒尾たちと彼らの本気の戦いは、たしかに見てみたいものだと思った。

 20230409
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