夏のはじまり

「はあ?烏野の11番に絡まれたあ?」
「なっ、ばっ、や、夜久!声が、声がでかい!」

 わあ!と慌てて夜久の口を塞ぐと、夜久はモガモガと口を動かしながら何かを言っている。結局あの後、人との過剰な接触に疲れ果てた私は、ふらふらと教室へと戻り、倒れるようにして睡眠を貪った。朝起きると、すでに起きていた雀田さんや宮ノ下さんは何か言いたげな視線を向けていたけれど、「おはよう」と声をかけてくれた。本当にいい人たちだと思う。
 そんな彼女たちに、特徴を伝えれば、すんなりと彼の正体が判明した。烏野高校1年生の月島蛍。朝食を作りながら潔子と谷地さんに話を聞いてみると、「クール」「頭がいい」なんて言葉が返ってくる。確かに、朝ごはんを食べている様子からして、彼はおとなしそうな印象を受ける。とはいえ、人見知りの私のようなタイプではないらしく、同級生の日向を揶揄っている姿を見かけたし、上級生と淡々と会話もこなす。食器を下げにきた際、潔子に「ごちそうさまでした」とペコリと頭を下げている姿もあったっけ。

「で、なんでまた烏野11番がみょうじに?」
「…いや、まあ…そこは色々あったんだけど」

 人に絡まれて自販機の隙間に逃げていました、なんて夜久の耳に入れば、夜久のお節介がでかねない。所々ぼかしながら、事情を説明すると、夜久は「へえ」と驚いたような顔をした。

「よかったなみょうじ。有名人じゃん」
「違う…やめて…そういうの求めてない…」

 てか、黒尾は?と私は本来の目的である話題を落とす。私が夜久に話かけたのも、黒尾の所在を確認するためだった。もうすぐ最後の練習試合が始まるというのに、どこで何してるんだと見回していると、夜久が「黒尾ならあそこ」と指を指す。どうやら木兎と話し込んでいたらしい。

「見つけた!黒尾!」
「あー?どした、みょうじ」

 ふざけ合っている姿にイラッときて、黒尾の元まで走り、声を荒げながら黒尾を睨みつける。どした、じゃないよ。ずっと探してたんだよこっちは。そう叫んでやりたい衝動は、木兎と赤葦の視線を受けていることに気づいて喉元で飲み込んだ。木兎は「あ!音駒のにゃんマネ!」と騒いでいる。にゃんマネってもしかして私のことですか?

「練習試合もう始まるから、呼びに来た」
「あ、そう?サンキュー」

 黒尾はそう言って、わしわしと私の頭を掻き回す。おい、やめろ。勢いのまま黒尾の腕を振り払っていると、ふと右のあたりから視線を感じて振り向く。そこには、じっとこちらを見つめる赤葦がいて、私は思わず黒尾の背中へと回り込む。「まじで猫見てえ」「だろ?やらねーけどな」なんて木兎と黒尾の会話が聞こえてきたが、今の私はそれどころじゃない。というより木兎は早く赤葦を連れて去ってくれ。一生のお願いですから。後生ですから。

「…あの」
「……ハイ」
「楽しくなってきちゃった、って言ってみてくれませんか」
「はあ?」

 この子本当に何言ってるの?
 これでもかと顔を歪める私に、赤葦は「お願いします」と食い下がる。黒尾はそんなやりとりがツボに入ったのかブヒャヒャヒャ!と汚い声で笑っているし、木兎はよく分かっていないのか「何?赤葦たのしーの!?俺も混ぜて!」とぴょんぴょん飛び跳ねている。まさしくカオス。ここに私の味方はいないのか。黒尾は笑ってないで助けてください。
 う、と一歩下がった私を、赤葦の瞳はじっと見て逸らさない。居た堪れなくなった私は、踵を返してその場を去った。やっぱりこの人苦手だ。
 夜久の元へと帰ると、夜久に「黒尾は?」と首を傾げられたので、回収し損ねましたの意を込めて、無言で指だけさしておく。音駒の試合が始まる瞬間まで、居心地の悪い視線はこちらを向いたまま逸らされることはなかった。


△▼△


 居心地の悪さを感じたまま終えた梟谷での合宿。マネージャーたちとはそこそこいい関係を築けたようで、帰る際にはそれぞれを名前で呼ぶ仲へと進展していた。なんだかんだ2日間とはいえ、苦労を共にした仲間だ。離れたくないなあ、なんて柄にも思ってしまって、彼女たちの輪にそっと入り込む私を見て、夜久は「あのみょうじが…!」と涙目で喜んでいたというのは黒尾談だ。
 
 そうしていつも通りの日常に戻り、本格的に夏休みに突入した七月下旬。あっという間の再会を果たした私は、合宿先が前と違うことや七日間あることを差し引いても、どこか余裕を持って森然高校の門を潜ることができていた。
 
「スカイツリーどこ!?」
「えっ、スカイツリー…?」
「あっ!あれってもしかして東京タワー!?」
 
 日向に質問攻めにされている孤爪は、戸惑った顔で「あれは…普通の鉄塔…だね…」と返事を返している。宮城には鉄塔はないのだろうか。そう思ったのは私だけではなかったようで、黒尾が笑いながら嬉々と澤村に話しかけているのを見かけた。

「みょうじ先輩!お久しぶりです!」
「ああ、うん。久しぶり、仁花」
「久しぶりっていっても、ここずっと皆でグループトークしてたから、久しぶり感ないけどね〜」

 そう言って笑ったかおりに、確かにと頷いた。森然高校に、マネージャーはいない。そのため、前回の合宿が終わってすぐ、次の合宿で必要になる持ち物や各校で持ち寄るものを確認するために連絡を取り合っていた。

「そういえば、烏野は9番10番が喧嘩して大変だったんでしょ?その後は大丈夫?」

 英里の言葉に、仁花は「ああ〜…」と困ったような顔で彼らを見つめる。潔子も同じような顔をしており、自ずとマネージャーの視線は日向たちに向いた。日向は走ってきた灰羽と何やら楽しそうに会話をしているのが見えたものの、烏野の9番と話している様子はない。
 英里もそれが分かったのか、「あれはまだ解決してないって感じだね」と彼らを見つめている。それに仁花と潔子が頷くと、かおりが「まあ男子はいつの間にか仲直りしてるから大丈夫だよ」と仁花の肩を叩く。それにはなんとなく心当たりがあって、私も「そうだね」と笑う。一年の時の黒尾と夜久は、それはそれは仲が悪かったけど、今じゃ軽口を叩き合う仲ですからね。

「…なまえが笑った…!」
「え、嘘!?」

 え、何、何。突然女子全員に詰め寄られた私は、慌てて距離を取るように数歩下がる。「にゃんちゃん逃げないで〜」と雪絵に抱きつかれ、退路がなくなってしまう。慌てて抜け出そうともがいていると、かおりたちは笑って、「私たちも準備しますか〜!」と私を引きずったまま校舎内へと足を進めた。

 そうしてはじまった合宿一日目。私は得点板を見つめながら一人首を傾げていた。梟谷対烏野の試合は、なんというか、グダグダであると素人目の私ですら感じてしまうほどで、思わず夜久に「烏野変じゃない?」と指をさす。それに反応したのは、意外にも猫又監督で、監督曰く「成長途中」なのだという。

「あれ、でも烏野11番はいつも通りだね」
「んー?あ、本当だな。さすが冷静沈着」

 そう言って関心している私たちに、猫又監督は何やら言いたげな表情を彼に向けていた。けれど、その言葉は口に出ることなく、猫又監督は踵を返して「次はこっちが試合だから、準備しなさい」と笑って言った。なんだかその表情が、どこか残念そうにしていて、私はそっと月島へと視線を向ける。
 落ち着いた様子で汗を拭う彼は、やはり冷静という言葉がよく似合う。けれど、冷静沈着な彼は、あのコートの中で一人、どこか浮いているような気がした。

20230410
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