私の知らない私のこと

「にゃんちゃんの声ってさあ、不思議だよね〜」

 モグモグとおにぎりを頬張る雪絵に、普段であれば注意をするはずのかおりが「あ、それ分かる」と握りかけの白米片手に頷いた。

「なまえの声って、遠くにいても何でか耳に入るんだよね」
「確かに」

 かおりの言葉に、潔子までもがうんうんと頷いた。それは耳につくほど嫌な声ってことだろうか。ズーンと落ち込んでいると、「違う違う、いい意味でってこと!」いち早くそれに気づいたかおりのフォローが入る。

「こう、なんていうか…心地いい声?」
「ガラス玉って感じ〜」
「そう?湖って感じじゃない?」
「…透き通ってる感じ?」
「それってつまり、透明感を感じるってことですか?」

 なるほど、つまりどういうことだ…?私が首を傾げている正面では、仁花ちゃんの言葉に全員それだ!と指をさしている。「透明感!」「そうそれ…!」「仁花ちゃん頭いい〜」褒められた仁花は、嬉しそうにえへへと頬を綻ばせている。そんな顔も可愛らしい。
 盛り上がる私たちの声を聞きつけたのか、炊けたばかりの追加の白米を持った英里が駆け寄ってくる。「盛り上がってどうしたの?」と首を傾げる英里に、かおりたちが同じ話をすると、英里も心当たりがあったのかあ〜!と頷いた。
 
「いや、そんなこと言われたことないよ…」 
「にゃんちゃん普段あんまり喋らないからじゃない?」

 相変わらず握ったおにぎりを口に入れた雪絵に痛いところを突かれ、私はぐっと押し黙る。この話、孤爪ともしたような。最近デジャヴが多いな。一人遠くを見ていれば、英里が「でもさあ」と思い出したように口を開いた。
 
「なまえって練習試合中は結構声出てるよね」
「エッ!?」
「そうそう。よくこっちまで聞こえてくるよね」

 他人に自分の無意識な行動を指摘され、私の頬はみるみるうちに赤く染まっていく。「にゃんちゃん照れてる〜」と揶揄うようにして笑う雪絵に慌てた私は、「て、照れてない!」と勢いよく返事を返す。

「いいな〜、音駒。この声でいつも応援されてるんでしょ」
「そりゃ気合いも入るよね〜」
「…それは私の声関係ないと思う…」
「いやいや、TO後の音駒本当調子いいからね?」
「分かる〜!さっきまでの疲れきった表情どこいった?って思うもん」
 
 それはTO中に体を休めているからでは?思わずつっこもうとした私をよそに、とうとう彼女たちは手を止め盛り上がり始める。「なまえの声、絶対セラピー効果あるよね」「分かる」「音駒のセラピスト」誰がセラピストだ。「将来セラピストでも目指したら?」なんて言い始めた彼女たちの声を無視して、私は残りの白米を形にすることだけに集中することにした。

△▼△


 7月とはいえ、猛暑が続けば室内の温度は38度をとうに超えているんじゃないだろうか。うだるような暑さに、タオルを配る顔に力が入る。暑い、暑すぎる。この時間であれば体育館に少しは涼しい風が入ってきてもいいだろうに、その気配すら感じられない。もしかしたら、過去一の暑さなのではないだろうか。

「なあ、みょうじ」
「……」
「なあおいって」
「…うるさい、違うから。放っておいて」

 そう、決して梟谷側から感じる視線なんて気にしていない。私が気にしているのはこの暑さだけだ。
 今この瞬間も注がれる視線に、ぐぐぐとこれでもかと眉が寄る。そんな私に黒尾がため息を吐いて、「あのねえ」と呆れたように口を開いた。

「あれだけマネちゃんたちがこっち見てたら、気にならない方がおかしいでしょーが」
「……」
「それに見てみろ、山本が瀕死だ」

 黒尾が指をさした先では、先にタオルを受け取っていた山本が、タオルに顔を埋めるようにしてしゃがみ込んでいる。暑さをこれでもかと溜め込んだように身体中が真っ赤になっている。慌ててスクイズボトルを差し出す私に、山本は「放っておいてください…」と蚊のような声で鳴いた。

「向こうのマネと何かあったのか?」
「いや、何かっていうか…」

 乱暴にタオルで汗を拭いた夜久が、タオル片手にこちらへと目を向ける。説明しようと開いた口を閉じ、そろりと視線を逸らした。
 おそらく彼女たちの中で、私の声に関する話題が終わっていないのだろうことは予想ができた。けれどそれをどう彼らに伝えればいいんだ…?「私の声がセラピー効果抜群みたいです〜」なんて言った暁には自意識過剰が過ぎると揶揄われるのがオチじゃないのか…?
 そろりと逸らされた視線に、夜久がカチンと青筋を立てる。いいから言ってみろと凄まれてしまえば、こっちは口を開くほかない。

「いや、なんか…私が音駒のセラピストだとか、そういう話になっただけ」
「セラピストォ?」

 視線を逸らしながら告げた言葉に、夜久は不思議そうに首を傾げる。うん、嘘は言っていない。前後を端折っただけで。
 黒尾は、なぜかその言葉だけで理解ができたのか、「ああ、なるほど」なんて頷いている。隣にいた孤爪もこくりと頷いた。え、なにそこの幼馴染コンビ。どうして急にシンクロしたの?

「確かに、みょうじの声って、疲れてる時に聞くと癒されるよな〜」
「…なまえはヒーラータイプだからね」

 黒尾と孤爪の言葉に、夜久もようやく理解がいったというように「なんだ声の話か」と頷いた。え、待って、どうしてみんな納得してるの?今この状況において、「なになに、どういうことっすか!?」と騒いでいる灰羽だけが私の味方なようだ。

「てっきり俺は赤葦がついに行動を起こしたのかと思ったんだけどなあ」
「はい?」

 突然口に出された赤葦の名前に、今度こそ意味がわからずに首を傾げる。こいつ急に何言ってるんだろう。そう思ったことはどうやら表情に出ていたらしく、「そんなゴミ見るみたいな目で見なくてもよくない?」と黒尾が言う。

「あ、分かる。今日はマネージャーたちがよく見てるけど、赤葦もこっち見てる時あるよな」

 そんなとんでもない爆弾を落とした夜久に、私は黒尾に向けた表情そのままに顔を夜久へとスライドさせる。こいつら揃いも揃って何言ってるんだろう。孤爪は何か心当たりがあるのか、じっと黙りこんだままこちらを伺うように見つめている。
 結局、よく分からないまま集合のホイッスルが鳴り、黒尾たちはコートへと戻っていく。そんな彼らを目で追っていると、同じくコートに戻る赤葦と視線が絡み合った。思わず反射で逸らしたその瞬間、視界の端で彼の口角が上がったのが見えたような気がしたけれど、きっと気のせいだろう。

20230413
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