ここが僕らのスタートライン
 ようやく合宿も折り返し地点を迎えた頃。私と孤爪は疲れ切った表情を隠さずに体育館を出る。
 そんな私たちに声をかけたのは黒尾で、私たちの姿を見つけるなり「みょうじ〜」と私を呼び止めた。ジーザス。思わず天を仰いだ私に孤爪は目もくれず、猫のように一目散に逃げ出した。嘘でしょ、あとで覚えてろよ。

「…本日の営業は終了しました」
「そんな事言わずにさ〜。まだラストオーダー終わったばかりだろ?」
「ウワ…嫌な客すぎる…」

 うげえと嫌な顔を隠さず黒尾に向ければ、黒尾はにたりと笑って私の背中を押していく。どうやら向かう先は第三体育館のようだ。

「…? 今なんか雄叫びみたいなの聞こえなかった?」
「なんだあれ。ありゃ烏野の12番か?」

 黒尾に背中を押された状態で、二人立ち止まり声の方向へと視線を向ける。私が見た頃には姿が分からなかったけれど、どうやら黒尾はばっちりと走り去る影を捉えたようだ。二人首を傾げていると、第三体育館にいたらしい木兎と赤葦がひょっこりと顔を出したので、私たちは呼ばれるがまま第三体育館へと足を踏み入れた。

 
「あの、ちょっといいですか」

 月島が現れたのは、それからすぐのことだった。相変わらずふざけ合っている木兎と黒尾を眺める赤葦を横目に、ボール出しの準備をしていると、静かに現れた月島に絡みに行く黒尾たちの姿が見えた。「おや?」「おやおやあ?」なんて後輩に絡んでいる姿は、到底見られたものではない。
 月島も絡まれてかわいそうに、なんて同情していたら、月島が「お二人のチームは、そこそこの強豪ですよね」なんて煽りに近い会話を始めたので、私は思わず「くはっ」と吹き出した。それが聞こえていたのか、黒尾は一瞬こちらを向いて中指を立ててから、月島に向き直った。木兎も同じような反応をしていたのか、赤葦の宥める声が聞こえる。

「どうしてそんなに必死にやるんですか?」
 
 たかが部活なのに。そう言った月島くんは、不思議そうに黒尾たちを見つめていて、本当に純粋に疑問に思っているのだろうことが分かる。そんな彼の疑問にすら、「人名っぽい」「おお。タダ、ノブカツくん」なんてふざけている彼らに私は呆れてボール籠へと視線を戻した。
 月島くん、多分君、聞く相手間違えてると思うよ。そんな私の考えを膨張させるかのように、木兎が「バレー楽しくないのって、下手くそだからじゃね?」と畳みかける。ああ、ほら、今少し空気固くなった。そんな空気を感じていない木兎は、月島を煽りに煽っている。あれが無意識なのだから、本当にこの人は怖い。

「でも、バレーが楽しいと思ったのは最近だ」

 木兎の話に聞き耳を立てながら、手持ち無沙汰になった手でボールを触る。月島くんの言いたいことも分かる。その上で、木兎の試合の話を聞いていて、なるほどなと思った。
 彼らがバレーでその理由を探すのなら、私にとっては歌い手活動がそれに当てはまるのだろう。もともと、メジャーデビューもしていない素人の私が自己満足でやっているものだ。月島の言葉を借りるなら、”たかが歌一つに“といったところだろうか。
 孤爪が私の歌を褒めてくれた時、夜久が誇らしげに私の歌を聞いてくれた時。私はガラにもなく頑張ってみようと思える。それが私から歩み寄れる唯一のコミュニケーション方法であるから。
 
 ボールを眺めながらそんなことを考えていたら、ピリ、と何かが肌に触れた感触がして、思わず肩を震わせ振り返る。今、空気が少し変わった。月島も感じ取ったようで、僅かに目を見開いている。
 
「次の試合で勝てるかなんてひとまずどうでもいい。自分の力が120%発揮された時の快感が全て!その瞬間が来たら、それがお前がバレーにハマる瞬間だ」

 唖然としている月島はきっと、今の出来事をしっかりと咀嚼しているのだろう。そんな彼にお構いなしに己の両手を合わせた木兎は、「じゃあブロック飛んでね〜」なんていつもの様子で絡みに行っている。「急いで急いで〜」なんて体を押す黒尾も木兎も相変わらずのマイペースさ。今ほんの一瞬でも彼らを見直した私の時間を返してほしい。

△▼△


「黒尾、そろそろ終わりにしないと食堂しまるよ」
「ん?ああ、もうそんな時間か」

 あれから本当に何度もブロックを飛ばされている月島は、両膝に手をつけて息を整えている。この二人に捕まったが最後だよ、なんて声をかけるコミュ力は私には持ち合わせていないので、そっと月島のタオルを差し出した。月島は、顔が斜め下を向いているのにもかかわらず、「ありがとうございます」とタオルを受け取る。やっぱりしっかりした子だなあ。

「あの、みょうじさんちょっといいですか」
 
 タオルで汗を拭い終わった月島が、ちょいちょいと手招きをする。それに首を傾げていれば、「はいはい撤収〜」と黒尾の間延びした声がしたので、私たちはゾロゾロと体育館を後にした。
 話があるという月島の隣を私が歩いていれば、必然と黒尾と木兎が前を歩く。彼らのあのテンションでは居心地が悪いのか、赤葦は私の隣を歩いていた。

「…話って何?」
「一応、感謝しておこうかなと思いまして。ありがとうございます」

 突然お礼を言われた私は、わけがわかりませんという表情を隠さずに月島へと視線を向ける。どうやら相当酷い顔をしていたのか、月島は耐えきれないとばかりに「変な顔ですね」と笑った。

「あ、そうだ。僕の兄が、みょうじさんのファンなんですけど。みょうじさんのこと話してもいいですか?」
「ハ!?」

 突然爆弾発言をした月島に、思わず声を荒げれば、黒尾と木兎が不思議そうにこちらを振り返ったので、慌てて「なんでもない」と首を振る。彼らが気にしていないことを確認してから、私は声を落として「今ここでする話しじゃない」と睨みつけた。

「え、何でです?」
「何でって、あ」

 そういえば、隣には赤葦がいたんだった。極力バレたくない私にとって最悪の展開に、冷や汗がたらりと背中を伝う。目線だけでチラリと赤葦を指し示せば、月島は余計に分からないといった表情で顔を顰めてみせた。その視線は、真っ直ぐと赤葦に向いている。

「赤葦さん、みょうじさんに何も言ってないんですか?」

 不思議そうに首を傾げる月島の反応に、私の顔はゆっくりと赤葦へと向く。二人の視線を受けてもなお、赤葦は澄ました表情でこちらを見つめていた。
 
「ああ。俺、別に認知はいらないから」

 そう言って胸の辺りでナイナイと手を振る赤葦に、私は嫌でも悟ってしまった。なるほど、この人も私の活動を知っている一人らしい。それも、月島以上に詳しいとみた。「それよりお兄さんは何の曲が好きなの?」「あのアニメのカバーのやつです」「ああ、星を見に行くやつね」なんて当たり前のように会話を続ける彼らに、私はそっと正面をむいて叫びそうになる喉を必死に閉じてこめかみに手を当てる。
 赤葦が知っているのだと分かってしまえば、彼の今までの行動も納得がいく。というより、いつだったかに言われた「楽しくなってきちゃったって言ってくれませんか」ってそれ、去年のコラボ動画の曲の歌詞じゃん…。項垂れる私の後頭部に視線を感じ顔を上げると、赤葦がじっとこちらを見つめていた。いつもと違うのは、その口角が少しだけ上がっていたことだろうか。

「俺、みょうじさんの声も歌もすごく好きなんです」
「は、はあ」
「なので、CD出すときは教えてくださいね」

 認知されなくていいんじゃなかったのかよ。思わずツッコミそうになる口を押さえつけて赤葦を睨みつける。「いいですねそれ。僕にも教えてください」なんて笑う二人に、私はがっくりと肩を落としたのだった。

20230413
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