夏の終わりの約束

 月島と赤葦との一件は、あっという間に孤爪と夜久に周知されることとなった。というのも、ことの発端は赤葦が孤爪に尋ねたことだったそうで、赤葦が「認知されたいわけじゃない」と言っていたことから孤爪も安心しきっていたのだという。
 その後少しして月島も会話に混ざって話したと言っていたから、おそらくそこで月島は私も知った上だと勘違いをしたのだろう。孤爪は「ごめん」とバツが悪そうに視線を逸らしていた。いや、うん、まあ。もう過ぎてしまったことだしいいけどね。
「ファンが多くて良かったじゃねぇか!」と私の肩を何度も叩く夜久に、何とも言えない顔で返事を返す。そんな私に、孤爪は何を思ったのか「…月島も多分、結構聞いてる人だと思う」と、いらない情報を加えてきた。ワア…その情報は聞きたくなかった。
 二人には絶対に言うなと約束させたから良いものの。ここまでくれば、黒尾も聞いてこないだけで勘づいているのでは。顔を真っ青にした私に、孤爪と夜久が揃って首を振る。「クロはそこらへん抜けてるから大丈夫」と幼馴染である孤爪が言ったので、ひとまず孤爪の言葉を信じることにした。

 そうして迎えた合宿最終日。
 気づけば第三体育館に日向が来るようになってから2日も経っている事実に、日が過ぎるのが早すぎないかと頭を抱えた。最初現れた時は、廊下での邂逅を思い出して身構えたりもしたけれど、気づけば「なまえさん!」と私の後ろをついてこられても平気になっている。さすが日向、孤爪が懐くだけあって見事なコミュ力おばけだ。
 そんな日向のいる烏野も、とんでもなく成長しているように思う。別コートで行われている最終試合では、梟谷といい勝負をしており、思わずノートを握る手に力をこめた。特に黒尾は、月島の成長が見えて嬉しいのか、時より烏野のコートを見てニヤリと笑っている。まあ、そのせいで相手の攻撃に気づかずに夜久にどやされたりもしていたのだが。

「なまえ〜、そっちの試合終わったら食堂集合ね〜!」
「あ、うん」

 一足先に試合を終えたかおりと雪絵が、こちらのコートに向かって手を振る。それに手を振って答えていると、音駒の試合も残すところあと1点となった。ここで点を取れば、音駒の勝利で終わる。
 前衛には黒尾。後衛には夜久。黒尾のブロックをかわされたとしても、夜久がいる。孤爪のアンダーサーブから始まり、相手コートでは攻撃の準備がなされていく。相手チームのエースが、腕を振り上げる。凶器にも見えるそれに、思わず背中がピシリと固まった。
 黒尾がニヤリと笑う。勢いのいいボールは、黒尾の手のひらにしっかりと当たり、真下に相手コートへと落ちていく。全てがスローモーションのようだった。息をするのも忘れて、その瞬間を食い入るように見つめる。試合終了のホイッスルが鳴った。

「どうだ、高揚しただろう?」
「…え」

 「それにしても、お前さんもいい顔をするようになったなあ」と笑う監督に、恥ずかしさで視線をそろりと横に流しながらキュと口を真一文字に結ぶ。一体私、どんな表情していたんだろう。監督は、そんな私の行動すらお見通しだったようで、愉快そうに笑っていた。
 コートの中では、黒尾が相手チームのエースを煽る声が聞こえた。相変わらずの煽りっぷりだ。パタパタとノートで仰ぎコートへと視線を戻すと、黒尾と視線が交じり合う。ニッと勝気な瞳で笑う彼に、夜久が「何カッコつけてんだ。よそ見失点王」と言い放つ。それに言い返す黒尾も宥める海も、なんだかキラキラして見えた。

「この調子なら、本当に全国も夢じゃないだろうねえ」
「…そう、ですね」

 まだまだバレーのルールは分からないし、彼らの感じているものを表現できるほどチームを見てきたわけではないけれど。この合宿で少しだけ、あの時分からなかったものが、分かったような気がする。その証拠に、私の心が、確かに波打ったのをきちんと感じた。

 
△▼△


「仁花ちゃん、持ってるお皿は宮ノ下さんのほうに持っていって」
「はい!」
「なまえ。配膳は私がやるから、なまえも切る方に回っていいよ」
「潔子…!」

 この合宿で、潔子たちは私の扱いがとても上手くなったように思う。今もそっと前線から私を離してくれた潔子に感謝しつつ、仁花と一緒に雪絵たちの元へと向かった。分かってはいたけれど、とんでもない量だなぁ。
 先生たちには感謝しなければ、と思いつつ、玉ねぎで泣いている英里と交代してひたすら目の前の野菜と向き合う。「なまえ包丁さばきやば」「シェフになったら?」なんて合宿前半とは全く違う進路を勧めてくる雪絵たちをスルーして、切り終わった野菜をひたすらボウルへと移していった。

 猫又監督の一声で始まったバーベキューは、合宿のご褒美とあって、とても豪華だ。焼けど焼けどもあっという間にプレートは空になっていく。慌てて焼いていたら、他校の一年生たちが「代わりますよ」と声をかけてくれたので、私はお言葉に甘えて肉焼き係を託すことにした。とはいえまともな会話はできなかったけれど。

「孤爪…」
「ウワ、こっち来ないでよ…」

 一足先に安全地帯に逃げ込んでいた孤爪の元へと吸い寄せられるように近づけば、孤爪はぎょっとした顔で座ったままこちらに背を向ける。そんなこともお構いなしに孤爪の足元近くに蹲るように座り込めば、孤爪は諦めたのかスマホへと視線を戻した。同属だからか、こういうところは優しかったりする。たまに見捨てていくけど。
 そんな安全地帯に、月島がやってきてからは嵐のようだった。烏野の主将、黒尾、木兎と現れては月島や孤爪に絡んでいく。タイミングを間違えただろうか、とひっそりと孤爪を置いて逃げようとしたら、「みょうじお前もだ!」と逃げ道を塞がれてしまった。おいちょっと、そこで烏野の人と笑ってる夜久と海。助けてくださいお願いします。

「ちょっとまって孤爪、どこいくの」
「え、いや…」
「お願い私も連れてって」

 私の必死の懇願が効いたのか、孤爪は視線を右往左往させてから、弱々しく頷いた。相変わらずな猫背な孤爪の背にくっつくようにしてマネージャーが纏まっている場所へと足を進める。その途中で仁花が他校生に囲まれているのが見えたものの、さすがにあそこに助けに行く勇気はない。ごめん、仁花…安らかに眠ってくれ。

「次はさっそく春高予選か〜」
「梟谷は全国行きそうだよね」
「油断はできないよ。枠争いには音駒もいるしね」

 こちらを見てニッと笑ったかおりに、私も小さく頷き返す。それを見た英里は、「うちはまだ分からないなあ」と肩を竦め、潔子も頷く。けれど、ここにいる誰一人、「行けない」とは口にしない。彼らなら行けるのと信じているのだとひしひしと伝わってくる。

「今年の春高は東京だよね」
「うん」
「また、東京で会おうね」
「そうだね」

 そう言って、私たちは不敵に笑い合う。夕日が背中を照らし、足元までも照らしていく。
 私たちは、じっと見つめあってから、耐えきれないと吹き出すようにして笑った。春高予選は、もうすぐそこまで迫っている。

 20230415
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