秘密の隠れ家知ってるかい
 誰もいない旧校舎は私の楽園だ。
 元々人付き合いが苦手な私にとって、高校生活を人と関わらず過ごせるかが一番の難題だった。しかし、そんな不安も入学式後に部活勧誘から逃げるために迷い込んだこの旧校舎のお陰で不自由なく過ごせている。部活?青春?そんなものはビリビリに破いて捨てました。

「やっと見つけたぜみょうじ…!」

 そんな隠れ家に身を潜める私を呼ぶ声がして、だるっとしていた顔が途端に皺くちゃになる。これでもかというくらい歪めた顔を声の主へと向ければ、声の主――黒尾は、ちゃんちゃらおかしそうに「その顔は酷くね?」と笑っている。

「お前、本当に一年間俺から逃げ回りやがって」
「…え、ごめん…?」
「…ま、今年からはクラスメイトだしいーけどね」

 黒尾はそう言って、「どっこいせ」と私の隣に座る。ちょっとおじさん臭い。というか、そこ座っちゃうんだ。一人の時間だったのになあ、なんて正面をぼうと見つめていれば、横から黒尾が「ナンデスカ?」と文句あるなら言ってみろと言わんばかりの顔でこちらを見るので、口を少し開いてから、ふるふると首を横に振る。反論するの体力使うしめんどくさい。黒尾には「ほんとブレねぇのな」と笑われた。

 黒尾鉄朗は、高校2年生になってすぐ出会った人物だった。その時は黒尾の隣に二人ほど他の生徒もいたのだが――これは長くなるので次の機会にでも。とにかく黒尾は、私の元へ週1回のペースで来ていたように思う。昼休みだったり部活前の放課後だったり、様々だったけど、黒尾の用件はいつも1つ。「バレー部のマネージャーやってくれないか」だった。
 やるわけがないだろ、って首を横に振った。こっちは青春も部活も既に焼却炉行き。燃えカス一つ残していない。そもそも私にマネジメントは向いていないと何度も首を横に振り続けた。
 それでも、黒尾はとてもしつこ…諦めずに私を誘い続けた。それこそ私の胃に穴があくレベルで。いや、実際にはあいてないけど、胃が不調を訴えるくらいにはマネージャーに誘い続けてきた。
 そうして隠れ家も隠れ家じゃなくなった頃。これ以上居座られでもしたら、本当に私の胃に穴が空いてしまう――そう思った私は、条件を出した。「1年間、授業中と旧校舎以外で私を捕まえられたら検討する」というもの。検討、という時点で既に受ける気はないのだが、意外にも黒尾はこの誘いに乗ったのだ。結果は私の勝ち。黒尾から逃げ回っていたおかげで他の生徒との交流も最低限で済んだので一石二鳥だ。

「お前、本当に一年間逃げ切るんだもんなあ」
「マネージャーやりたくなかったし」
「他人と関わりたくないという絶対的意思を感じる」
「まあ、できることなら関わりたくないし。何、バカにしてんの」
「いや、素直にすげーよ。前世忍者か何か?」
「…そんなわけないでしょ」

 そういうとこ、本当研磨そっくりと笑われた。どういうところだよ、と思いつつ、一つ学年が下の猫目の男子を思い浮かべる。こんな引きこもりと比べられる孤爪、かわいそうだな。

「で、マネージャーの話なんだけど」
「え、まだその話してるの?もう勝敗ついたじゃん」
「まだも何も、一回きりの勝負とは言われてないしなあ」

 ああいえばこう言うとはまさにこのこと。ニヤリと悪どい笑みを浮かべた黒尾にぐっと言葉に詰まり睨みつければ、「なんて冗談だって、今のところは」と笑われた。今のところは、とは。

「もう俺らも三年生なワケよ」
「…まあ、ハイ、ソウデスネ」
「俺らは今年、絶対全国に行く。そのために俺は、一年の頃から色々と準備してきた」
「…」
「厄介な先輩たちも卒業して部の空気は前よりだいぶいい。下は、まあ問題もあるがいい奴らが揃ってる」
「……」
「で、あとはみょうじ。お前だけだ」

 さあ、と黒尾と私の間に風が吹く。首もとで靡く髪を軽く抑えていれば、私の目は自信満々な顔をした黒尾を捕らえた。

「みょうじがいてくれれば、俺たちは必ず全国に行ける」

 その目が合う。黒尾はニカっと音が出そうなくらいの笑みで笑っている。あ、こいつ、本気なんだ。黒尾の目をじっと見つめ、「黒尾」と彼の名を呼ぶ。いつの間にか風は止んでいた。

「……それはダサい」
「何でだよ!めっちゃキマっただろ今!」

 人を避け続けた高校三年生の春。私の人生は大きく変わっていくことになる。
 
20230320
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