こちら暴風警報発令中
 足音ひとつない空間。教室の中を隠すカーテンなんてものはないし、山のように積まれた使われなくなった備品たちで教室の半分は埋まってしまっている。目的を果たしていない窓からは、風が吹くたびに少しだけ埃が舞っていて、環境としては最悪そのもの。
 
 ――ああ、やっぱりここが一番落ち着く。

 もうすっかりご無沙汰となった旧校舎。最近は合宿だ練習だと忙しなく日々を過ごしていたので、こうして旧校舎に逃げ込む時間もなかった。
 おかげで私のここしばらくの記憶はあやふやだ。ああ、でも、夏休みも終盤だというのに、猛暑が続いている日々に、嫌気がさしたのだけは覚えている。相変わらず東京の夏は容赦がない。お盆に向かった祖父母宅のある北海道の気温が恋しくなるくらいだ。お盆明け早々の練習で、思わず出た「どうして太陽存在するの…?」という頭が悪いぼやきを芝山に聞かれ、心配されたのは記憶に新しい。

「よっす」
「お帰りください今すぐに」

 当たり前のように現れた夜久と黒尾に噛み付くようにそう言えば、夜久は「いやだって黒尾が行くって言うからさ〜」と言葉を返す。そのやりとり前にもやったよ、デジャヴだよ。どんだけだよ。そう言ってじとりと睨みつけると、夜久は「そうだっけ?」なんて言って首を傾げている。
 そろそろバレー部に乗っ取られそうな危機感を感じながらも、帰るつもりのない二人を教室内へと招き入れる。黒尾は断られるなんて微塵も思っていない顔で「おっじゃま〜」と長い足で迷いなく教室内へと入ってきた。

「みょうじさん、いつもここにいたんですね〜」
「え」
「俺、旧校舎なんてはじめて入りました!」
「え、え」
「うわっ、見て芝山!奥めっちゃ机積まれてる!」

 黒尾で隠れて見えなかったのか、黒尾が去った場所には夜久以外にも人がいた。というより、バレー部のレギュラーメンバー全員いた。さよなら私の隠れ家ライフ。彼らの声を遠くに聞きながらそんなことを考えていたら、「はいはい、今からここでミーティングしまーす」とさも当たり前のように黒尾の間延びした声が聞こえた。

「…孤爪ぇ…!」
「えっ…何…」

 思わず目に入った孤爪の名前を呼べば、孤爪は思い切り肩を跳ねらせてその背をさらに丸めた。孤爪が止めてくれなかったら誰が止めてくれるの。目で縋れば、孤爪は諦めなよと言わんばかりに首をゆっくり左右に振る。「それに、ここ涼しいし」なるほど、もとより味方はここにはいなかったらしい。

「そういえば、みょうじは一次予選来れないんだよな?」
「…うん、その日、専門の面接ある」
「そういえばみょうじさんって受験生でしたね!」

 驚いたような顔でこちらを見る灰羽に、まあねと適当に返事を返した。ここ最近で、彼らとの会話もだいぶ慣れたように思う。おそらく夏合宿での荒修行が実を結んだ結果だ。相変わらず山本とはお互い目もまともに合わせられないけれど。
 「みょうじさん、面接官とちゃんと話せるんですか?」と悪気なく言い放った灰羽に、夜久が思い切りその頭を叩き落とす。「何するんですか夜久さん!」「うるせぇリエーフ!みょうじはやればできる子だ!」夜久は私のお母さんか何かですか?
 騒ぎ始めた彼らに呆れた視線を向ければ、黒尾が「おーい、話が脱線してるぞ〜」と手を叩いた。
 
「というわけで、みょうじは代表決定戦からの参加だな」
「…うん、そうだね」

 当たり前のように代表決定戦まで残る前提で進められた話に、待ったをかける者はこの場にいない。彼らも進むものだと信じているし、私も暫く彼らを近くで見ていたのだから、もしかしたら、なんて言うつもりもない。
 インターハイでの悔しそうな彼らの顔を思い出す。コートの外から見ていた私から見ても、今の彼らはあの時より強くなっていると思う。孤爪の言葉を借りるならレベル上げは順調に行われている、と言ったところだろう。
「代表決定戦!」「楽しみっスね!」なんて無邪気に笑う一年生たちを、黒尾たちは呆れながらも微笑ましそうに見ている。
 まるでその場所だけ、画に切り取られたように見えて思わず目を細めた。サァ、と吹いた風は彼らの後ろで埃を浮かせているというのに、日の光にあたりながらキラキラと輝いている。
 不意に振り返った黒尾と、バッチリと視線が合う。まるでお前もこの一員なんだぞと言いたげな瞳に、私は目を瞬かせる。
 それもほんの一瞬の出来事で、再び黒尾を見た時には、黒尾はいつもの胡散臭い笑みを浮かべていた。

「ま、面接失敗したら笑ってやるから、こっちのことは気にせず頑張れよ」
「…黒尾もホームランサーブしないようにね」
「はあ?俺はそんなのしたことありませんけどー!?」

 
△▼△


『今から学校来れるか?』

 そんな連絡が入ったのは、街がオレンジ色に染まった頃だった。面接が終わり、クタクタになった私は、そんな黒尾からの連絡に眉を顰める。彼らも準々決勝が終わったのだろうか。
 今日休日だけど学校あいてるのかな、なんて考えて、帰ってきてミーティングするのだろうなと当たりをつける。返事を返さずに、電車に乗り込み、高校へと向かった。
 
 当たり前に開いていた門を潜り、体育館前に着くと彼らはまだ着いていないようだった。体育館の扉に寄りかかるようにして待つこと15分。こちらに向かって歩いてくる大きな影たちを捉えて、私は視線を上げる。

「あ、みょうじさんだ!みょうじさーん!」

 その大きな腕を振って、こちらに駆け寄ってきたのは灰羽だった。その顔が落ち込んでないことに内心安堵しつつ、控えめに手を振りかえす。「え、みょうじさんが手を振ってる!?夜久さん、見ました?ねえ!」なんて興奮している灰羽に容赦なく煩いと言い放った夜久たちの顔に曇りはない。

「おーっすみょうじ。噛まずにやり切ったかぁ?」
「…黒尾こそ、サーブミスしなかったの?」
「僕は本番に強いタイプなので」

 そう言って胸に手を当てた黒尾に「サーブミスはしてなかったけど、タッチネットはしてたよね」と孤爪がぽつりと言った。「おいコラ研磨!」と慌てた黒尾を鼻で笑うと、集団の後ろから猫又監督がひょっこりと顔を出したので、彼らに続いて体育館へと入っていく。

「――と言うわけで、次は代表決定戦。時間はあまりないが、いつも通りやるまで」

 ニヤリ、と好戦的に笑った猫又監督に、部員の士気が高まっていく。山本に至ってはきていたジャージを脱ぎ振り回す始末だ。

 そうして代表決定戦へと駒を進めてから2週間後の今も、変わらずきつい練習が続いている。夏の暑さが身を潜めたことがせめてもの幸いだろうか。
 今日も今日とて、朝練に励む彼らを見ながら、記録用のノートを広げる。ここのところ、山本の調子がいい。孤爪曰く、「クラスの女子に応援されたから」らしい。なんとも山本らしい理由だ。

「お疲れっしたー!」

 朝だと言うのに元気な挨拶を聞きながら、私は時間を確認するべくスマホの電源をつける。そして、画面を見て目を見開いた。朝まであったはずの充電が、20%を切っている。
 どうやらその原因は鳴り止まないSNSの通知のせいだったようだ。そういえば、コメント通知はオフにしているものの、ダイレクトメッセージまではオフにしてなかったな、とその画面を開く。

「…え?」

 ダイレクトメッセージの量にも驚いたものの、私はそのすべての内容に目を見開き固まる。なんで、どうして。

 ――○×専門学校に行くって本当ですか!?
 ――専門学生だったんですね!同い年です!
 ――同じく○×専門学校に行く者です!本名教えてください!

 その全てが、知らない人からのメッセージだった。

 20230415
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