わたしの大切なもの
 どうして私の進路がバレているのだろう。真っ青な顔で考えても、焦った思考では靄がかかったかのように何も考えられなかった。
 固まって動かない私の肩を、不思議に思った夜久が叩く。ハッとして振り返った先には、バレー部の顔ぶれたち。見慣れた顔のはずなのに、まるで知らない人たちのようだった。
 ハ、と息を呑んだ私をとうとう不審がった夜久が、私の手元で握られた私のスマホを覗き込む。メッセージが表示されたままの画面を見つめて、目を見開いた。慌てた様子の夜久に取り上げるようにしてスマホを奪われる。夜久はそのままスマホを自分のジャージのポケットへと仕舞い込むと、私の腕を引いた。

「スマン、黒尾。こいつ体調悪そうだから保健室連れてくわ」
「ああ、ウン。そうして」

 行くぞ、と引かれた腕をぼうと見つめながら、されるがまま体育館を後にする。気にしないで、とかスマホ返して、とか、言いたいことは色々あるはずなのに、ごちゃごちゃした頭ではまともに言葉にすることができなかった。だんだんと下がっていく視線で、かろうじて自分の足がきちんと動いていることを確認する。――今だけは、誰の視線も感じていたくなかった。
 
「…で?心当たりはあるのか?」

 保健室についてすぐ、真っ青な顔をした私を見た先生が、快く保健室の滞在を許してくれた。「今から職員会議だから、少し抜けなきゃなの。ごめんね」と笑った先生に、私の代わりに夜久がお礼を言う。
 二人きりになった空間で、私は夜久の言葉をただ聞いていた。返事のない私に、夜久はため息を吐いて「少し寝てろ」と促す。それにかろうじて頷くと、夜久は取り合げたスマホをベッド脇へと置き、心配そうにしながらも保健室を去っていった。

 夜久のいなくなった保健室で仰向けになりながら、ぼうと天井を見上げた。徐々にクリアになっていく頭で考える。心当たり。活動を知っている夜久や孤爪から漏れたとは到底思えない。ならば赤葦か、月島か、と考えたけれど、彼らとはきちんと口約束を交わしている。それを反故にするとは思えなかった。なら、一体どこで。

 触らないほうがいいと分かっていても、なんとなくスマホへと手が伸びる。ふと、掲示板のまとめ記事が目について、タップする。早速自分の件についての掲示板が立っていた。さすがネット民、仕事早いな、なんて普段は考えているけれど、矛先が自分ともなればそんなことは言っていられない。
 
 ――この動画、練馬の駅モチーフだよね?
 ――××線沿い?
 ――××線沿いなら音駒高校か××高校生?
 ――いや、社会人から専門に行く可能性もあるんじゃない?
 ――いやでも、

 ぎゅ、と目を閉じスマホをベッドへと叩きつけるようにして置けば、マットレスがボフンと鈍い音を立てる。
 どうやら、件の騒ぎの延長で、春ごろ作り上げたオリジナル動画が再注目されているらしい。そういえばあの動画は、駅から学校までの道を題材に歌詞を作っている。
 全国探せば似た道もあるだろうと思っていたあの時の自分を殴りたい気分だった。身バレは嫌だと思っていたのに、こんなところで掬われるなんて。唯一の救いは、まだ掲示板でしかそのことが騒がれていないことだろうか。
 仰向けになれば、ベッドが軋む音が広い空間にこだまする。枕に思い切り額をこすりつけた。今はもう、眠ってしまおう。

 
△▼△


 その答え合わせの場は、案外すぐにやってきた。
 どうやら私の進路が漏れたのは、専門学校の事務員がきっかけらしい。よくよく考えてみれば、他に活動を知っているのは進路先である専門学校だけだった。謝罪の入った連絡に何事かと思ったけれど、睡眠をとった頭は先ほどよりもクリアで、冷静に話を聞くことができていたように思う。
「事務所に所属してはどうか」とアドバイスをくれた専門学校のお偉いさんは、本当に私のことを心配してくれている様子だった。そのことに、私の涙腺は再び緩んでしまい、泣いてしまう。とはいえ、そちらは未知の世界。すぐには答えを出せそうになかったので「前向きに検討します」なんて断り文句で電話を切ったのは、1時間目の授業が終わるチャイムが鳴っていた頃だった。

「――で、早退したはずのお前はなんで体育館にいるんだよ」

 タオルケットをこれでもかと被り、体育館の隅で置物になっている私に話しかけたのは、夜久だった。早退を許され、帰る気にもなれず旧校舎で一人心を落ち着けていたものの、不安が残った私が放課後向かった先は体育館だった。ぽつりと話す私に、夜久は呆れたようにため息を吐いて、たくさんのタオルが重なった頭を数回叩く。
 夜久曰く、学校内でも噂にはならないにしろ「音駒にネット活動しているやつがいる」という密かな話題が出ていたらしい。とはいっても、音楽の専門学校に行くのは私だけではないので、私だと特定された様子はないと夜久は安心させるように話してくれた。

「人の目は気になるけど、一人になりたくない…」
「お前な…」

 黒尾の気遣いなのかなんなのか、今の私に近づくのは、夜久か孤爪くらいだった。「なんで夜久さんや研磨さんがよくて俺はダメなんですかあ!」と遠くで叫ぶ灰羽を引きずる黒尾を見つめながら、私はほっと息を吐く。
 孤爪は、その日のうちに赤葦から連絡を受けていたようで、「赤葦も心配してた」と教えてくれた。それにありがとうと返事をしておいて、と蚊のような声で呟けば、孤爪は嫌そうにしながらも返事を返してくれたらしい。なんだかんだ優しいやつである。

「夜久、私、歌い手やめようかなぁ」

 今日一日、考えていたことがポロリと口から出る。真っ白に覆われた視界では、夜久がどんな表情をしているのか分からない。
 ネットというものは怖い。一つの話題に、まるで蛾のように群がって、あることないこと騒ぎ立てる。それが分かって活動していたのだろうと言われればそれまでだと思うけれど、私はきちんと対策するところは対策していた。なのに、私の必死に守ってきたものは、一つのきっかけで身ぐるみ剥がされそうになっている。

「まあ、やめてもいいんじゃねえの」

 夜久の言葉に、堪えきれなかった涙がこぼれ落ちる。逃げ出したいけれど、逃げ出したくない。それでも耐えきれずに出た言葉。夜久はいつも、私の気持ちを汲み取るのがうまい。夜久からの返事は、私が望む言葉だった。
 けれど、その言葉を夜久に言わせてしまったことが、どうしようもなく悔しかった。ひぐ、と鳴った喉の音が鼓膜に響いて、さらに涙腺を刺激する。
 はあ、と頭上で夜久がため息を吐く。一瞬視界に光が入ってきたと思えば、思い切り顔面に向かって何かを押し付けられる。慌てて両手でそれを掴めば、それは先ほどまで私が頭上に乗っけていたタオルたちだった。

「みょうじがもう十分って思うまでやり切ったら、やめたらいいじゃん」

 乱暴に私の顔を拭いた夜久が言う。目の前には、夜久。その後ろでは、バレー部の部員たちがいつも通りの練習する姿が見える。体育館の隅で泣いている私がいても、彼らがいつも通りを過ごしているのはきっと彼らなりの気遣いだろう。人見知りは注目されることを嫌うから。そして、それを指示したのは、きっと黒尾だ。

「ま、バレちまったもんはしょうがない。堂々としてろって」
「…いや、それは無理…」

 夜久の言葉に、冷静に首を横に振る。「みょうじはいつでも難しく考えすぎなんだよなあ」なんて頭を掻く夜久は、いいことを思いついた!と言わんばかりに「手始めに黒尾に話してみたらどうだ!?」なんてとんでもない爆弾を落とし込む。それに全力で首を横に振ると、夜久は「いい案だと思ったんだけどな」と肩を落とす。
 
「ま、そんな悩みが吹っ飛ぶくらいのプレーを、春高で見せてやるよ」

 ずずと鼻が鳴る。それに頷きを返すと同時に、黒尾が「休憩だ」と声を張り上げた。待ってました、と言わんばかりに駆け寄ってくる一年生たちに揉みくちゃにされる私を見て、黒尾はニヤニヤと笑っている。普段ならば逃げ回っているところだけれど、今日くらいはいいかな、なんて。

20230417
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