絶好調VS絶好調
「無理。人混み無理。帰る」
「おいこれ何度目だよ。慣れろよ」

 目の前で歩く夜久と黒尾の後ろに、海を盾にキャップ帽を被った私。「やっぱりジャージにキャップ帽は変ですって」と笑う灰羽を睨みつけながら、私は体育館の中を歩く。
 見渡す限り、人だらけ。全国常連校との戦いだからか、インターハイの時よりギャラリーも多い気がするのはきっと気のせいではないだろう。私の内臓はすでに限界を迎え、悲鳴を上げる余裕すらないようだ。

「あ!黒尾だ!おーい、黒尾ー!」

体育館へと足を踏み入れた私たちを出迎えたのは、最初の対戦相手である木兎たちだった。「あ!みょうじもいる!みょうじ〜!」なんて手を振る木兎に、思わず思い切り目を逸らせば、木兎から「え!なんで!?」と驚いた声が聞こえてくる。
 「あ〜数ヶ月ぶりだからかな」「人見知りあるあるだね」なんて木兎の後ろで笑うかおりと雪絵に、目を逸らしたまま小さく手を振る。それすら木兎は面白くなかったようで「何でだよ!俺は!?」と騒ぎ立てた。それを赤葦が回収しにくるまでがセットだ。

「みょうじさん、お久しぶりです」
「…どうも」

 本当なら赤葦の視線からも逃れたいけれど、一応彼は例の件で心配してくれていたと孤爪が言っていたので、逃げ腰になりながらもお辞儀を返す。赤葦は少し驚いたような顔をしていたけれど、同じようにペコリとお辞儀を返してくれた。「赤葦は平気っぽい?」「いや、そうでもない。いつも以上に猫背になってる」「怯える猫じゃん」なんて面白おかしく話している夜久と黒尾を睨みつけた。

「シャアッス!」

 黒尾と木兎の声を合図に、部員たちはアップに入る。ボール籠を押そうとした私を、雪絵とかおりが引き留めた。

「なまえ!どっちが勝っても恨みっこなしだよ」

 そう言ってニッと笑った二人に、私は言葉を返そうとして、きゅと口を結んだ。インターハイでは、知っているチームと当たらなかったからか、親しい学校と対戦するのを見届けるのはこれが初めてだ。
 私は、勝負事が昔からどうも苦手だった。勝負をするということは、その字の如く勝者と敗者が生まれるということ。それが近しい者であればあるほど、勝敗がついた後に勝手に気まずさを感じてしまう。勝っても負けても流れるあの雰囲気が、私は苦手だった。
 そんな私の気持ちとは裏腹に、かおりと雪絵はそんなこと微塵も考えていない様子だった。二人に頷きを返せば、返事に満足したかおりと雪絵が笑う。お互いに握手をし合って、アップをする部員の元へと走っていった。

「ボール渡します」
「頼む」

 直井コーチの横について、ボールを渡す。「研磨声出てねえぞコラァ!」「うるさ…」いつも通りの二年生を背に、海がレシーブ練習を行う。うん、いつも通り。次に入った夜久のレシーブする姿を見て、私は目を瞬かせる。夜久、もしかしていつも以上に調子がいいかもしれない。
 
 「雰囲気は上々だな」

 猫又監督がそういった視線の先では、いつも通りの顔でレシーブ練習をする孤爪と、その孤爪に怒りをぶつけている山本。夜久曰く、この二人は根本の相性が悪いらしい。それはそうと、人が見ている中で芝山に止められている山本は恥ずかしくないんだろうか。そんなことを考えていたら、山本にはお見通しだったのか「そんな目で見ないでくださいみょうじさん…っ!」と項垂れてしまった。めんどくさいやつである。

 ピーッ、と、無機質な音が、アップ終了の時間を知らせる。
 私は、監督とコーチに並びコートの端へと並ぶ部員たちを見つめた。両者は静かにお互いを見合っているというのに、すでに勝負が始まっているといわんばかりの瞳で睨み合っていた。春高準決勝、これを勝ち取った高校は、先に全国への切符を手に入れる。

「お願いシァース!」

 試合開始の、合図が鳴った。

 
△▼△


 試合開始早々に点を取ったのは、音駒だった。
 梟谷のサーブから始まった試合は、夜久がレシーブで拾い、孤爪と黒尾の速攻を繰り出した。そのいつも通りに、私はほっと息を吐く。皆、いつも通り、いや、それ以上かもしれない。
 けれど、いつも以上だったのは、梟谷も同じだ。キレキレのスパイクにあっという間に一点を取られる。ギャラリーまで飛んでいったボールを見て、木兎が「ヘイヘイヘーイ!」と嬉しそうに叫ぶ。こ、怖…。思わずブロックに入っていた海が心配になり視線を向けるが、特に突き指をした様子はない。

「梟谷のエース、今日はだいぶ調子がいいみたいですね」

 びっくりした様子でそういった直井コーチに、猫又監督も肯定を返す。そうしている間にも、木兎のスパイクが決まろうとしていた。

「…でも、夜久も調子がいいです」

 レシーブ練習で見た夜久をそのまま伝えれば、直井コーチと猫又監督が驚いたようにこちらを見る。そんな視線もお構いなしに、私はじっと夜久を見つめた。
 打ち込まれた木兎のスパイクを、夜久の瞳が捕らえ、コースに回りこんで、まるで最初からそこにいたかのように真っ正面で迎える。夜久の一連の動きは、とても静かだった。綺麗に上がったボールは、綺麗に孤爪の頭上へと上がっていく。

「…みょうじは、よく見ているなあ」
「…え?」
「入ってきた当初はどうなるかと思ったが、心配はいらないようだね」

 意外とマネージャー向いているんじゃないか?と笑う直井コーチに首を傾げる。猫又監督に至っては「一年のうちから入ってくれていればなあ」なんて笑っていた。

 とはいえ、木兎が絶好調なのは変わらない。攻防戦を繰り返すも、点差は少しずつ開いていく。木兎の強烈なスパイクが孤爪の腕に当たり、ボールが弾き飛んだところで猫又監督が一回目のタイムアウトを要請した。
 ぞろぞろと監督の元に集まる彼らの側に、木兎のスパイクに怯えたままの体で近寄れば「みょうじ何ビビってんだ?」と夜久が不思議そうに首を傾げた。

「孤爪、腕、腕見せて…取れてるかも」
「え…?いや、取れてないけど…」
「海も…指見せて…」

 絶対指取れてるよ…と震える手で確認する私の奇行を、猫又監督は笑い一つでスルーすると、彼らがコートの中でみた梟谷の情報がこちらに共有されていく。作戦を練っている間も、私はひたすら木兎のスパイクを拾った彼らの指や腕を見回りながら過ごした。

「じゃあ最後に。みょうじ」
「はい?」
「頑張れって言ってくれない?」

 黒尾の真面目な顔に、その場に沈黙が落ちる。最初に我に返ったのは私で、これでもかと顔を歪ませながら「はああ?」と啖呵を切った。こんな時に何ふざけてるんだ、と言いたくなったものの、周りを見渡すと、なぜか彼らはじっと私を見つめている。まるで私の声を待つかのようだった。

「ホラ、早く」
「え、えー…?」

 全員の目が自分に向いているのが耐えきれなくて、「が、頑張れ…?」と呟けば、タイムアウト終了の笛が鳴る。「さ、戻るぞー」パン、と手を叩いた黒尾を合図に、彼らはぞろぞろとコートに戻っていく。いや、せめて何か言ってから戻ってくれないかな。羞恥で震える私をよそに、猫又監督はなぜか楽しそうに笑っている。

「な、なんか、みんな心なしか表情変わった…?」
「なんか嬉しそうね!」

 観客席で少し引き気味にそんなことを話していた山本の妹と灰羽のお姉さんの会話は、私の耳に届くことはなかった。

 タイムアウトが明けた後も、木兎の絶好調は止まらない。レフトへと飛んだボールを、木兎が勢いよく打つ。けれど、そこには黒尾がいて、ドシャットを決める。

「たまには目立たせていただきます!」

 いつもの位置であれば、孤爪がいるはずなのに。え?と目を瞬かせていれば、直井コーチが「今のはブロックスイッチしてたんだよ」と教えてくれた。なるほど、と頷いて、再びコートを見る。今、確実に空気が変わったのを肌で感じながら、膝の上で拳を作った。
 空中にこだまする歓声の中、音駒のエンジンがかかる音がした。

20230418
 
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