レベル上げは順調に
 左足を少し前に踏み出して、深く体を沈ませて打たれたボールが高く伸びるようにグングン上がっていく。その瞬間はまるでスローモーションのようなのに、天井高く昇ったボールは気づけばあっという間に床へと落ちた。目の前でそれを体験した灰羽は、悔しそうに「んぐああ!」と捉えきれなかったボールを睨みつけた。

「…成功。おつかれ」
「ありがとうございます」

 バインダーを見ながら言った私に、手白は気にする様子もなくその場でペコリと一礼をした。手白のいるコートの反対側では、灰羽が悔しそうに「一球も取れなかった!」と地団駄を踏んでいる。「次は取るからな!」と指をさした灰羽に、手白は何を言われているのか分からないといった様子で首を傾げていた。手白も灰羽と同じ一年生のはずなのに、手白の方が百倍落ち着いて見えるのは何でなんだろう。

「球彦のサーブ、どんどん精度が上がってるね」
 
 私の隣で手白のサーブをじっと見つめていた孤爪が、私の手元にあるバインダーを覗き込む。孤爪はどうやら手白のサーブがお気に入りらしく、「ここぞという時に使いたいよね」とまるで必殺技のゲージが溜まる寸前のギラギラとした目で言った。孤爪の中で手白のサーブは切り札の一つらしい。

「…孤爪、練習戻らなくていいの」
「あっちでクロと夜久くんが遊び始めたからいいんじゃない」

 孤爪が指さした先には、ひたすらスパイクを打つ黒尾と、それを拾う夜久がいた。一見普通に練習しているように見える二人だが、何やら言い合っている様子を見るにあれはただの小競り合いだ。おかしいな、今は対人トレーニングの時間ではないんだけど。いつもなら止めてくれそうなコーチも今は監督とともに少し席を外しているらしく見当たらない。
 主将が何やってんだと思いつつ、私は止めることはしなかった。いやだってめんどくさいし。あの二人の間に入って黒尾のスパイク顔面に食らいたくないし。黒尾と夜久は戻ってきたコーチたちに扱かれればいいと思う。こんなことを二人に言えば薄情だと言われそうだけれど、人間誰だって自分が一番可愛いものである。
 
「みょうじさーん!次俺のサーブ見てください!」

 コートの中から、灰羽がブンブンと大きく腕を振る。元々サーブ練習の最中に突然「手白のサーブ取ってみたいです!」と乱入してきたのは灰羽なので、私は頷き一つで記録用紙をぺらりと捲った。体育館の奥では相変わらず黒尾と夜久の小競り合いが続いていて、私はもしかしたらこのまま対人練習に切り替えた方がいいかもしれないとシャーペンでバインダーを軽くたたく。

「…灰羽、夜久呼んできてくれない?灰羽のサーブ取ってもらおう」
「エエ…ッ!や、夜久さん、スか…!?」

 嬉々とした表情から一転し大きな体をピンと伸ばした灰羽に、私は短くうんと返事を返した。入部から夜久にレシーブを見てもらっているという灰羽は、その恐ろしさが十分身に染みているようだ。うえええ…と嫌そうに顔を顰めながらも、渋々と二人に近寄っていく。そんな灰羽を見ながら、孤爪はぽつりと「なまえも人使い荒いよね」と同情するような眼差しを灰羽に向けている。どうやら孤爪には私が灰羽に二人の間に入ってもらおうとしていたのがバレていたらしい。「まあ、使えるものは使うよね」と言った私の声に被さるように、灰羽の悲鳴が体育館に木霊した。

「孤爪ってさ、ゲームするみたいにバレーするよね」

 私の言葉に、孤爪は否定することなく「そうだね」と頷いた。本人もどうやら自覚はあるらしい。「今もレベル上げ期間だと思ってるし」とあっけらかんと言った孤爪に、私は納得してしまう。さっきの手白のサーブを見た時の孤爪もそれに近いことを言っていた。

「もし、日向たちとのゲームに負けたらどうするの?」

 孤爪はその猫目を数回瞬かせてから、「どうもしないよ」と言った。

「もう一回のないゲームで負けたら、そこでゲームオーバー。ただそれだけでしょ」

 当たり前でしょ、と孤爪は首を傾げる。まあ、それもそうか。孤爪の返事を聞きながら悔しがる孤爪を想像してみるも、想像上の孤爪は今と全く同じ表情をしている。まあ、負けた試合で悔しいと思っている孤爪の姿を見たことがないし当たり前か。そんなことを考えていると、「みょうじー!」と大きな声とともに遠くから巨体を引きずる夜久がこちらへとズンズン近寄ってきたので、私と孤爪は視線を夜久へと向けた。

「わりー、次の練習なんだっけ」
「…なんかもう、対人練習でいいかなと思ってたとこ」

 お前らのせいだけどな。そういう意味を込めて夜久をじとりと睨みつけるが、夜久は気づいていないのか「オッケー」と灰羽を引きずって去っていく。そのまま数歩進んだところで灰羽を乱雑に離した夜久は、手を大きく数回叩いて「対人練習するぞー」と号令をかけた。遠くで「ちょ、それ俺の仕事じゃないのやっくん!?」と騒ぐ黒尾が見えたが、夜久は無視することにしたようだ。
 ようやく引き締まった空気に孤爪も嫌そうにコートの中へと戻っていく。先ほどとは打って変わり真面目に対人練習を始めた彼らに、相変わらず猫のように自由きままな奴らだなと私はため息を吐いた。

「あ、みょうじ!」

 体育館入り口からひょっこりと顔を出した直井コーチにびっくりしていると、直井コーチの両手には大きな袋がぶら下がっていた。どうやらいなかったのはどこかに出掛けていたかららしい。それにしても一言声をかけてから言ってくれと思っていると、直井コーチは私の心を読んだかのように「黒尾には伝えてから出てったぞ」と笑った。なるほど、つまり黒尾の伝達ミス。あの野郎、とシャーペンを握りしめていると、直井コーチがちょいちょいと歪に手招きをしたので、私は慌ててそちらに駆け寄った。

「悪い、これ冷やしておいてくれるか?」

 はい、と渡されたのは、先ほどまでコーチの両手にあった袋たち。中を覗けば、そこには小さな白い箱がいくつか入っている。どことなく甘い匂いが鼻を掠めて、私はハッと顔を上げた。

「な、直井コーチこれ…!」

 キラキラと目を輝かせた私に、直井コーチは満悦そうに笑ってから「あいつらにはまだ内緒な」と笑う。それにコクコクと頷いた後ろからは、監督がビニール袋をいくつもぶら下げて「これもな」と豪快に笑っていた。

「ところで、なんであいつらは違うメニュー始めてんだ?」
「あ、エッ…ト……」

 笑顔の圧を受けた私は、先ほどまでの部員の様子を洗いざらい話す。ピキリと猫又監督の頬に青筋が一つ入ったところで、私は慌てて体育館を飛び出した。
 
 
△▼△


 体力を使い切れば、お腹は減る。あの後散々扱かれた彼らは、まるで死人のような顔で夕食を食べていた。そこには先ほどまでの覇気はなく、灰羽や犬岡ですら口を開かない。移動のない合宿は、ギリギリまで練習ができるメリットもあるが、裏を返せば本来移動時間に充てられる時間も練習をするということだ。

「これがな、キツイんだよな…」
「わかる…」

 今の時期に練習時間の確保は大事だけれど、心と体がついていくかは別問題なようで、黒尾と夜久も虚な目でスプーンを握っている。孤爪に至ってはもはや息をしていないのでは?と思うほど微動だにしていない。大丈夫なのかな、と見守っていると、孤爪の隣で黒尾が「研磨ー、ちゃんと食えー」と声をかけていた。一応幼馴染を気にするくらいの力は残っているらしい。
 
 え、この空気の中これ持っていくの?と、私は己の手のひらにある大きな皿を見つめる。そこには、たくさんの種類の小さなケーキが並べられていた。どうやら監督たちが抜け出してまで買ってきたのはクリスマスケーキだったようで、厨房では直井コーチがお皿やフォークの準備をしてくれているはずだ。い、行きづらあ…と食堂の入り口でうんうん唸っていると、突然私の肩に誰かの手が置かれ、私はびくりと体を跳ねらせ振り返る。

「何してるんですか?みょうじさん」
「て、手白…!」
 
 そこには手白が立っていて、彼も私の反応に驚いたように目を見開いていた。知っている顔にほっと息をついていると、私と手白の声に反応した灰羽がこちらを振り返る。
 
「え、え!みょうじさん!それ、もしかしてクリスマスケーキですか!?」

 私の手元の皿を見て、灰羽がガタリと立ち上がる。その声に反応した部員たちが何だ何だと一気にこちらに視線を向けた。集まる視線に身を縮こませていると、ケーキの存在に一気にテンションを上げた灰羽が駆け足でこちらへと寄ってくる。さっきまでの死んだ顔した灰羽はどこにいった。

「食べていいんすか、これ!」
「あ、ウン…今から直井コーチがお皿持ってきてくれるから…」

 あとジュースもある、と告げれば、灰羽は嬉しそうに目を輝かせて私のてからひょいっと大皿を持ち上げる。「ケーキだー!」と騒ぐ灰羽に、部員たちもどこか活力が戻ったようで、残りの夕飯を慌てて胃におさめ始めた。

「俺、今日部活で良かったっス」
「現金なやつだなお前」

 呆れたように頬杖をつく夜久に、「だってこんな大人数でクリパとかしたことないっスもん!」と灰羽は嬉しそうに笑った。まあ、それはそうだろうな。家に何十人も集まったクリパなんて海外の動画でしか見たことがない。「もしかしてプレゼントとかもあったりしますかね!?」と楽しそうに話す灰羽に、それはないだろと黒尾が笑う。ケーキが全員に配り終わったところで、「メリークリスマス!」と叫んだ猫又監督の声とともに部員たちが高々とジュースの入ったコップをかかげた。
 勢いよく食べ始めた部員たちは、先ほどまで疲れていた奴らと同一人物とは到底思えない。疲れた時には甘いものとはこういうことか、と私はケーキを食べながら騒ぐ部員たちを見つめながら、最初の一口を味わうように噛みしめた。

20230529
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