新しい年は何を運ぶ
 家でギターを鳴らしていると、珍しく家にいる母親が名前を呼ぶ声がした。リビングに行けば、父が普段誰も使わないソファーにぐたりと寝っ転がっていて、足音で気づいたのかこちらをみた父は「なまえ、あけましておめでとう」と一言告げると、そのまますやすやと夢の中へと旅立ってしまった。きっと夜勤帰りだったのだろう。
 テレビでは、新年を祝うかのように「新年初笑い!」といったテロップとともに芸人が面白おかしく芸を見せている。それを視界の端に入れながら、母親に「どうしたの?」と問い掛ければ、母は「お客さん」と玄関モニター指さした。

「お、出てきた。あけおめー」
「……何でいるの」

 夜久。と、睨みつけた私を見て、夜久は「新年早々相変わらずだなー」と笑った。そのまま玄関を閉めようとした私に、夜久が慌てて足を捩じ込む。さすがに春高前に怪我はさせられないので、諦めて玄関を全開にすれば、私の後ろから母が「夜久くん久しぶり〜」と手を振った。みょうじ家では、夜久は私を中学三年間学校に通わせたレジェンド的存在として扱われているため、夜久は私の母と父からの信頼が厚い。「今年もなまえをよろしくねえ」なんて言っている母親にげんなりとしていると、夜久は笑顔で「ウス!」と返事を返していた。いや、ウス!じゃないよやめてくれ。

「…用件は」
「あ、そうそう。黒尾たちが今から初詣行かないかって。みょうじに連絡つかないって言うから直接来た」
「……」

 お前スマホ見てないだろ、と言う夜久にウッと言葉を詰まらせる。今この瞬間も私のスマホは自室に放置されたままだ。それが分かっているかのように夜久は「どうせまた集中してたら新年になってたんだろ」と困ったように笑った。

「行くだろ?」
「行かない」
 
 即答した私に、夜久は「何でだよ!」と声を荒げる。いや、だって初詣って人多いじゃん。人混みが苦手なのに、どうして自ら人混みに突っ込んでいかなければならないのか。イヤイヤと首を振る私に、「孤爪も来るらしいからさ、みょうじ連れてこいって言われたんだよ!」と夜久は言う。いやだから黒尾といい孤爪基準で考えるの本当やめてほしい。人見知りが二人に増えたところで人見知りはよくならないんだよ。
 頑なに行かないと首を振る私に、夜久がそうかと諦めかけた瞬間、後ろで私たちのやり取りを見守っていた母親から「あら、いいじゃない。行ってきなさいよ」という夜久にとっては鶴の一声、私にとっては迷惑極まりない一言が放たれ、私は家から叩き出されてしまった。流石に音駒のジャージでは行けないので着替えに部屋に戻ったものの、私の気分は新年早々どん底だ。

「神社に行ったら夜久が明日足の小指ぶつけますようにってお祈りしよ…」
「なんだそれ」

 はああとため息を吐きながら電車に揺られること数十分。待ち合わせは音駒高校近くの神社だったようで、改札を抜けた先には相変わらず寝癖のすごい黒尾と、私以上に嫌そうな顔をした孤爪がいた。

「おー、夜久にみょうじ、あけおめー」
「うーっす」

 片手を上げて挨拶をし合う黒尾と夜久に対し、私と孤爪は無表情でお互いを見やる。その目は「早く帰りたい」と語っていた。そうだね、早く帰ろうね孤爪。こくりと頷いた私に、孤爪は頷き返す。そうこうしているうちに陽キャ二人が歩き出したので、私たちはその後を追うようにゆっくりと足を動かした。

 
△▼△


「お!黒尾じゃん!あけおめー!」
「あけましておめでとうございます」

 いやどうしてこうなった?
 私は目の前でブンブンと手を振る男――木兎と、その隣りにいた赤葦に思わず遠い目をした。終わった。これ絶対早く帰れないやつ。どうやら木兎と赤葦は二人で初詣に来たようで、他のメンツは?と聞いた黒尾に「みんな用事があって不参加です」と赤葦は言った。恐らく他の部員に木兎の子守を押し付けられたのだろう。赤葦の目が若干死んでいるのが何よりの証拠だ。
 木兎の登場に、黒尾がさっと終わらせるわけもなく、二人は和気藹々と話し込んでいた。その横では、赤葦と孤爪が何やら話している。この際、話すのはいいのだが、神社の入り口で高身長男子が5人も立っていればそれなりに目立ってしまう。チラチラとこちらを見る視線に居心地悪くしていると、夜久が「お前らいい加減お参り行こうぜー」と四人に声をかけた。

「うおー!焼きそばうまそう!」
「木兎さん、参拝が先ですよ」

 参拝の列を囲むようにして出された出店に、木兎はあちこちに目を向けて目を輝かせている。それを当たり前のように宥めている赤葦を見ていると、たまにどちらが先輩なのか分からなくなってしまう。「あ!りんご飴!」「木兎さんそんなにお金持ってるんですか?」なんて会話はまるで親と子だ。

「なあなあ、みょうじは何お願いしたんだ?」

 なんとか参拝を終え、列から外れていると、参拝を終えた木兎がずいっと距離を縮めて問いかけた。いや近いわ、と若干身を引きつつも「夜久が明日、足の小指ぶつけますようにって…」と言えば、木兎は何かが面白かったらしくゲラゲラと笑い始めた。そうこうしているうちに、参拝を終えた赤葦がやってきて、木兎の興味は一気に赤葦へと移る。私に向けた質問と全く同じものを問いかけた木兎に、赤葦は「春高のこととかですかね」と笑った。

「それから、好きな歌手のCDデビューが決まりますように、です」

 ドヤと副音声が聞こえそうな顔で言った赤葦に、木兎は「へえ!」と頷いた。多分あれはよく分かっていないやつだと思う。視線をこちらに向けた赤葦に、私は顔を歪ませて首を横に振る。赤葦、そのお願いは一生叶わないと思うよ。

 
 木兎の屋台巡りに付き合うらしい赤葦と木兎とはその場で別れ、私たち四人は帰路につく。ちゃっかり私の手にりんご飴が握られているのに気づいた夜久が「え、お前屋台とかに興味あったんだ…」と驚いている。失礼極まりない奴だな。別に、りんご飴持ってたっていいでしょうが。「見て、澤村たちも初詣行ってるらしい」と黒尾が見せた写真には、烏野の三年生が写っていた。そこには潔子も写っていて、懐かしさに目尻を細める。

「もうすぐ烏野とも会えるね」
「そうだな」

 今度はちゃんとスカイツリー見れるんじゃね、と笑った黒尾に、夏合宿での出来事を思い出す。あれからもうずいぶんと経つ。私たちの高校生活は、残り3ヶ月もない。月日が経つのは早いものだ。

「そういえば、黒尾と夜久は何お願いしたの?」
「とりあえず烏野と試合できますように、だろ」

 あ、ひとつじゃないんだ。指を折る黒尾にそう思っていると、黒尾はなぜだか夜久と目を見合わせてニヤリと不敵に笑う。「それから〜」とわざとらしく語尾を伸ばした黒尾に、夜久も大きく口を開いた。

「全国制覇!」

 両手で人差し指を向け合う二人の声が重なる。二人はそのままニシシと笑うと、くるりとこちらを向いた。

「てなわけなんで」
「お前らも覚悟しとけよ」

 黒尾は孤爪を、夜久は私の肩を叩いた二人に、私と孤爪の体が前のめりによろける。全国制覇って。ずいぶんまた大きく出たものだ。けれど、なんだかそれが二人らしいなと思って私は思わずふはっと吹き出した。「その前に明日夜久が足の小指ぶつけるのが先かな」と笑えば、「本当にそれお願いしたのかよ!」と驚いた夜久の叫び声と、黒尾の笑い声が響く。肩を並べて歩く私たちを後押しするように、一際大きな風が私たちの背中を撫でた。

20230529
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