私たちの春のはじめかた
 大会1日目を迎えた今日、会場である東京体育館までは電車で移動する予定になっている。
 一人部屋を堪能した私は、すっきりとした目覚めで朝を迎えることができた。なんなら、いつもより目覚めがいい気がする。
 ちらほらと起きてきた部員とともに朝食を終え、各自荷物をまとめてからロビーへと集まるようにと猫又監督から声がかかり、一度部屋へと戻る。一人部屋なので万が一がないようにと何度も荷物をチェックしてようやくロビーへと迎えば、すでに部員は揃っているようで、黒尾がひらりと手をあげた。

「全員忘れ物はないかあ?」
「リエーフ、シューズ持ったかー?」
「なんで俺だけ名指しなんですかぁ!?」
「お前が1番忘れそうだからだろ」

 ガーン!とショックを受ける灰羽は、ありますって!とガサゴソとバックの中を漁る。けれど、バックから出て来た灰羽の手は何も持っておらず、灰羽も想定外だったのかきょとんと目を瞬かせた。

「…あ、部屋に忘れました」
「ほら言わんこっちゃない!」

 いいから早く取ってこい!と叫ぶ夜久の声を片耳に聴きながら、会場までの電車の乗り換えアプリを開く。乗る予定の路線は今のところは時刻通り動いてくれているようだったが、灰羽の戻りを待ってから全員で移動するには少し時間が厳しい。私一人であれば小走りでなんとか合流できるだろう、としょぼしょぼとエレベーターに向かおうとしている灰羽の腕を掴み、待ったと手のひらを見せた。

「シューズ、私が取ってくる」
「へ?」
「みんなは先行ってて。多分すぐ追いつく」

 ちらりと黒尾に目配せをすれば、黒尾はそうだなと頷き、「全員駅向かうぞー」と手を叩く。ゾロゾロと動き出す赤を見てから、私はエレベーターへと乗り込んだ。

 
△▼△


「灰羽ほんっと…、アイツ…!」

 灰羽の泊まっていた部屋に入ってシューズを探すも、シューズは見当たらず、夜久に電話をかけて再度灰羽の荷物を確認してもらうも見当たらなかった。あれえ?とすっとぼけた声を出す灰羽は、今目の前にいたら上半身を傾けてなんで?を表現していただろう。
「どこに置いたんだよ!」とキレる夜久の声をスマホ越しに聞き、灰羽が思いつく置き場所を探すこと数箇所。シューズはなぜかユニットバスの浴槽の縁においてあり、ホテルを出る時間がだいぶ遅くなってしまった。どうやら灰羽はシューズをしまおうとしたところでトイレに行きたくなり、シューズをそこに置いたようだ。アハハ、と笑う灰羽の声で思い切り通話終了ボタンを押してしまったのは仕方がないと思う。
 ゼエゼエ、と肩で息をした私の目の前では、時刻通り動く電車が誰を待つことなく発車している。完全に乗り遅れた私は、グループトークに次の電車で行くことを伝え、腕で汗を拭った。冬だというのにホテルを出るまでに色んな汗をかいた気がする。絶対寿命縮んだ。あと灰羽は絶対に許さない。

 気持ちを落ち着けるべく、イヤホンを耳につけ、できる限りの大音量で音楽を耳に入れる。シャッフルになっていたプレイリストから流れたのは、ついつい口ずさみたくなるような軽やかなメロディーが特徴の曲だった。
 いつか歌ってみたをあげようと思ってすっかり忘れていたな、と聞き入っていれば、あっという間に会場の最寄駅のアナウンスが流れる。降り立つ人たちはどこかジャージを着た人が多く、流れに沿って電車を降りた。

「A4出口どこ…!?」
 
 普段使わない路線だからか改札を出た後の出口に戸惑ってしまったものの、なんとか出口に辿り着き、体育館の門を潜る。もうすでに出場校は開会式のために集まってきているようで、あたりを見渡しても人が壁になり音駒のジャージが見当たらなかった。
 グループトークに連絡を入れてみるものの、既読はつかない。最後の希望をかけて黒尾に電話をかけてみるも、一向に繋がる気配がなかった。どうしようか、とうんともすんともいわないスマホを眺めていると、背後から「みょうじさん?」と声がかかり、勢いよく後方を振り返る。

「あ、赤葦…」
「どうしたんですか、こんなところで」

 赤葦の後ろには、梟谷の面々がいて、私に気づいた雪絵が「あ、にゃんちゃんだ〜!」とぽわぽわした笑みで手を振っている。それに手を振り返すことで答えながら「音駒の赤いジャージ探してる」と伝えると、赤葦はああと頷いた。

「黒尾さんたちなら多分、木兎さんに捕まってると思うので案内しますよ」
「…ありがとう」

 少しもごりと口を動かしつつも感謝を伝えると、赤葦は少しだけ目を見開いてから「どういたしまして」と笑った。

「あ、でも貸し一つで」
「エッ」

△▼△


「あ!音駒のにゃんマネじゃん!おーっす!」
「やめてあげてください木兎さん、怯えてます」

 赤葦に連れられるまま人ごみを進むと、赤いジャージの集団に、白色のジャージが混ざっていた。どうやら黒尾が電話に出られなかったのは、木兎に捕まっていたのが理由らしい。
 木兎は赤葦の呼び声にくるりとこちらを振り返ると、何故か赤葦の隣にいた私を見つけ、その高いテンションのまま肩を組んできた。思わず固まる私に、赤葦の止める声に混じって「あーあ」と、黒尾の呆れた声がする。やれやれと首を振る黒尾に助けろ、と目線で訴えるも、黒尾は見て見ぬ振りだ。嘘でしょ、ここで体力温存しなくてもよくない?

「はいこれ、みょうじの通行パスな」
「この流れで渡してくる黒尾の思考が分からない」

 肩を組まれた状態で通行パスを受け取る私を見て、黒尾がケラケラと笑う。木兎はといえば、赤葦と何やら話し込んでいて、こっちをみてすらいない。ねえこれ肩組んでる意味ないよね?そろそろ離れてくれてもいいよね?と、視線で赤葦に訴えると、赤葦はこっちの意図を読んでか否か「木兎さんそろそろ移動しましょう」と声をかけた。

「あ、にゃんちゃん私たちと一緒に行く?」
「え?」
「選手とマネージャーの待機場所は別だよ」

 雪絵の言葉に首を傾げていると、かおりが指をさす。どうやらマネージャーは開会式の待機場所が選手とは異なるようだ。初耳なんだけど、と黒尾にじとりと視線を向けると、黒尾も忘れていたのかそっと視線を逸らす。
 雪絵の申し出にありがたく頷き雪絵のそばにぴたりとつくと、雪絵はニコニコと私の頭を撫でた。おかしいな、雪絵と私は同い年のはずなんだけれど。とはいえ、かおりと雪絵が声をかけてくれていなかったら危うく広い会場で迷子になるところだったので、大人しく撫でられることにする。
「あれ?そういえばにゃんちゃん、今日は変な帽子被ってないねえ」と、雪絵に言われてようやく普段の帽子を被っていないことに気づき慌ててリュックから取り出そうとしたものの、「移動するよー」というかおりの声で、結局帽子をかぶる事は叶わなかった。

「ここから選手が入場してくるのを見守るんだよ」
「あ、見て、反対側に烏野の二人がいる!」

 おーい、と手を振るかおりに気づいた二人が、こちらに控えめに手を振っている。反対側から見てもガチガチに緊張している様子の仁花の隣で、潔子も少しだけ表情を固くしている。

「なまえ」
「なに?」
「コート挟んだら容赦しないからね。どっちが勝っても、恨みっこなしね」

 いつかに聞いたかおりの言葉に、私はかおりと雪絵を見つめる。あの時、私はうまく返事ができなかったけれど。今回は違う。ニッ、と好戦的に笑って二人を見れば、二人は目を見開いてから、同じように笑った。

「勿論。音駒も負けないよ」

 ニシシ、と笑えば、二人も釣られて笑う。その顔のまま烏野の二人を見つめ、潔子と仁花に向けて拳を正面に突き出した。
 音駒は、勝ち進めば烏野と当たることになる。負けないよ、と視線で訴えれば、二人は目を見合わせてから同じように拳をこちらに向けて笑った。 

20230624
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