祭り
「えー!にゃんちゃんじゃん!」
「ホントだ!マジでにゃんちゃんがいる!」

 きゃー!と女子特有の可愛らしい声に囲まれ、身動きの取れなくなった私はただただその場に硬直する。雪絵たちかなと振り返った先にいたのは、私の予想していた人物ではなく、クラスメイトの女子たちだった。
 え、待って。私ってクラスの女子にもにゃんちゃんて呼ばれてるの…?そしてなぜ囲まれている…?そんなに仲良しだったっけ私たち…?背後に宇宙を背負いながら今現在の状況を整理しようと頭をフル回転させていると、見かねた黒尾が「お前らみょうじ固まってるぞー」と声をかけてくれた。そういえば黒尾が前にクラスでの私のあだ名はWにゃんちゃんWなのだと言っていたような気がする。え、あれマジだったの。
 黒尾の言葉でクラスメイトの女子たちは「ほんとだ」「にゃんちゃんごめんねえ」と言いながら、ゆっくりと距離をあけてくれる。さすが理解のあるクラスメイト。
 それにしても、なんでクラスメイトがここにいるのだろう。不思議に思っていると、私の側にいたクラスメイトの一人が「バレー部の応援に来たんだよ〜」と笑顔を見せた。どうやら久々の全国出場に学校総出で応援しようと生徒教師たちが動いたようだ。
 よく見れば、クラスメイトの女子の他に男子もいる。「黒尾がんばれよ!」と肩を叩かれている黒尾を見ていたら、「にゃんちゃんも応援してるよ」と女子の一人に肩を叩かれた。なんて温かいクラスメイトたち。お礼を言おうとしたところで、「てかにゃんちゃん赤似合うね?どこの?」「いやバレー部のジャージじゃね」「え、それはさすがすぎ。バレー部センスある」と、繰り広げられるクラスメイトのマシンガントークに再び固まった私は、結局海に救出された。

「夜久、夜久」
「おー、どうした」
「私、赤色似合うって」

 海から救出された先で、半分ボロボロの状態でふふんと笑った私に、夜久は「は?」と首を傾げから「もう移動するってよ」と言った。それに「ああ、うん…」と返事を返していたら、私が落ち込んでいると勘違いしたのか、芝山が「に、似合ってますよ!赤色!」とガッツポーズをこちらに向けた。こ、後輩にフォローされてしまった。何だか居た堪れなくなって、時間を確認するふりをしてスマホの画面をつける。
 そのまま流れるように指でタップしたマネージャーだけのグループトークは、開会式の前日で会話が止まっていた。このグループで会話するようになってからもう半年たつのか。梟谷も、音駒も、烏野も、3回戦まで勝ち進んでいる。つまりそれは、どの高校も、春高が始まってからまだ一度も負けていないということで。けれど、今日。これから始まる試合が終われば、音駒か烏野のどちらかは終わるのか。私は開かれたままのトーク画面をただただじっと眺めて、そっとスマホの電源を落とした。
 
 
△▼△


 そうだ、これは祭りだ。

 両主将の掛け声に応えるように叫んだ部員の声が鼓膜を揺する。目の前で行われていくラリーに、観客が沸いていた。
 私はそのボールを追いながら、応援の声を聞く。名を呼び合う声、烏野陣営の太鼓の音、音駒の応援の声。会場の全ての音が一つになって、私の耳に入る。胸で感じるのは、ワクワクと、ドキドキ。まるでネコとカラスのお祭りに招かれたような、そんな感覚。

 そしてなにより。

「…孤爪、ちょーっ…楽しそう」

 第一セット、第二セットと、日向を攻略することに集中していた孤爪が、第二セットの終わりから少しずつ表情を変えていた。

 第三セット、黒尾曰くWごほうびタイムWの時間。
 
 目の前で繰り広げられるラリーを見つめながら、バレー部での思い出が駆け巡る。黒尾に一年間付き纏われ逃げ切ったこと、バレー部に泣きながら入部したこと、はじめてみたインターハイ予選の公式試合、合宿。その全ての思い出で思い出すのは、彼らが楽しそうに話している顔や、真剣に向き合っている顔ばかり。なのに。

「これで、最後…」

 思わず呟いた言葉は、祭りの喧騒にかき消されて消えていく。終わってしまうのだ、どちらかの青春が。
 
 第三セット、17対18。日向の打ったボールが、孤爪の片手を掠めていく。そのままぺしゃりと倒れ込んだ孤爪に、黒尾が駆け寄った。

「…たーのしー」

 たくさんの音がある中で、孤爪の声はさほど大きくなかったと思う。けれど、その喧騒を掻い潜って聞こえた孤爪の言葉に、黒尾はとても嬉しそうに笑っている。その笑顔を見て、私はこの試合が終わらないでいてほしいと、本気で思ってしまったのだ。
 
△▼△


 気づけば、息をするのを忘れていたらしい。
 高い笛の音にハッとして息を吸い込んだ時、私は手を固く握りしめていて、少しだけ震えていた。初めての全国大会、初めての公式試合でのWゴミ捨て場の決戦W。祭りが今、終わってしまった。けれど、その場には祭りが終わった時の静寂などなく、応援席からの拍手の音や部員同士の声がずっと聞こえていた。終わるなと思った試合。けれど、その終わりを目の前で見届けることができて、本当に良かったと思う。

「なまえ!」
「潔子」

 パタパタと長い髪を揺らして駆け寄ってきた潔子を見て、ふらふらと立ち上がった。そのままお互い吸い寄せられるように抱きしめ合う。どこからか「ホワッ」「尊い…」と声が聞こえた気がしたが、構わず潔子を抱きしめ続けた。

「ありがとう、潔子」
 
 言葉で何かを伝えることが苦手な私の精一杯だった。出会ってくれてありがとう。マネージャーのいろはを教えてくれてありがとう。たくさん話してくれてありがとう。最高の試合をありがとう。まだまだ伝えたい気持ちはたくさんある。その全てを、ありがとうの5文字にこめた。潔子は数秒黙りこんでいたけれど、「私も。ありがとう」と呟き、そっと私の肩に触れた。体が離れ、お互いの視線が交じり合う。
 これで終わりか。なんだか寂しいな。そう思った私に気づいたのか、潔子はふっと笑って「今度は体育館じゃないところで会おう」と続けた。え、それって、つまり、卒業後も会ってくれるということ?思わずそう言った私に、潔子は笑って「当たり前」と言った。

 各々会話を終えた部員たちが、挨拶のためにベンチへと戻ってくる。その集団の中、肩を寄せ合う3人を見て、私は込み上げてくるものをグッと堪えた。
 
「…お疲れさま」

 部員に声かけをすると、黒尾と夜久がこちらを見て、なぜだかギョッとした顔をした。「お、おい…」「え、まって、みょうじサン…?」困惑気味の夜久と黒尾に、強めな口調で「なに」と返事をする。海も困ったように眉を下げていて、三人が顔を見合わせた。

「…泣いてる?」
「泣いてない」
「え、いや…え?」
「いやいやいや、泣い、」
「てない!」

 何回言わせるんだ!と自分の頬に手を当てると、何故だか頬が濡れていた。呆然と濡れた手のひらをみつめてから、再度二人に向かって「泣いてない」と首を振った。二人は「いやいやいや!」と声を揃えてこちらを見て何やら喚いている。いやうるさ。「泣いてるだろ」と黒尾は最後までうるさかったけれど、これは汗だ。頬が汗をかいただけだ。

「整列!」
 
 黒尾が声を張り上げる。そうか、この声かけも最後なんだ。黒尾の声に背筋を伸ばした部員たちを見て、私も観客席へと視線を向ける。「ありがとうございました!」と重なった声は、体育館の喧騒に消えてもなお私の鼓膜を揺らし続けた。

「夜久」
「なに」

 観客に挨拶をして、撤収の声がかかった時、夜久が視界の端にちらりとうつりこむ。気づけば私は、夜久を呼び止めていた。

「今日の夜久、さいっこうにかっこよかった!」

 人見知りの私を見捨てずに今まで一緒にいてくれた夜久。悩んでいる時にW全国でいいプレーを見せるWと言った夜久。

「夜久。6年間、ありがとう」

 中学一年生の頃から何かと気にかけてくれていた夜久に、なんとなく伝えたいと思った。なんだろう、孤爪と黒尾に感化されたかな。そんな私の突然の言動に、夜久はポカンと口を開けてからぶわりと泣き出した。え、ええ…そんな泣くこと…?と思わず引いていると、夜久が「この野郎不意打ちすぎだ!」と怒り出す。

「バカ、お前それ、卒業まで残しとけよ!」
「いやなんか、今言いたかった」

 確かになんか、もう卒業みたいな雰囲気になってしまった。「お前ほんと、もう!」と未だ泣き止まない夜久と、困惑する私を見て、黒尾と海が笑っている。いやごめん、雰囲気ぶち壊しなの分かってるんだけど、さすがに助けてほしいかも。夜久も周りの視線が集まってきたのを感じたのか、夜久は涙目になりながらも胸を張って「おう!」と笑う。

「そんで?おれらの青春は見届けられたかよ?」

 夜久の問いかけに、私は首を傾げ、ハッとした。そういえば、夏が始まる前夜久と旧校舎でそんな話をしたっけ。最初は青春なんて言い出した夜久にクサいこと言ってんな、くらいにしか思っていなかったけれど。なるほど確かにこれは彼らの青春だ。
 今日、選手たちが最前線で見たものは、選手にしか分からない。それに行き着くまでの積み上げた努力だって、最初から知っているわけではない。けれど、夜久はあの日言ってくれた通り、私に経験させてくれた。彼らなりのやり方で、私の最前線で。私は確かに音駒の春を見届けたのだ。
 
 ニッと笑って私の言葉を待つ夜久に向かって、私は小さく息を吸う。そして。

「しかとこの目で見届けたよ」

 そう言って、笑ってみせた。

20230731(加筆修正:20230826)
back