そうして私は、春の青さを知る
「ありえない。本当にありえないんだけど」

 今の状況を言葉にするなら、目の前が真っ白。言葉だけ聞けば立ちくらみなどを想像してしまうだろうけれど、今の私の視界は本当に真っ白だった。苛立ちを含んだ声で言った私の後ろで、黒尾の笑い声がして、ボトボトと足元に何かが垂れる音がする。
 つい先日、私たち三年生は無事卒業式を終えた。W追い出し会のお知らせWという意味の分からない連絡が入ったのは、その次の日のことだった。
 はあ?と声をあげた私の正面で、なぜか私の家の炬燵で暖をとっていた夜久が送別会のことだと教えてくれた。まさか近々会うだろうってこれのこと?「いつもは余裕持って連絡くるんだけどなー」と呟いた夜久に、今年の幹事は誰なのかと聞くと、孤爪と灰羽らしい。どうしてその二人になったのかは疑問だが、あの二人なら直前になってしまうのも仕方がない。
「行くだろ?」「行かないよ?」の押し問答の末、夜久に強制的に引きずられて行った先で、黒尾と海と合流して。黒尾に言われるがまま扉を開けたら、まさかのパイが飛んできた。聞けばこれが伝統行事らしい。だからこいつら私より後ろを歩いていたのか、と納得した。そんな伝統なくなってしまえ。

「どうして来て早々ベトベトにならなければいけないのか…」
「すみませんみょうじ先輩!本当は黒尾さんがベトベトになる予定だったんですけど…!」
「黒尾まじ許さない」
「ごめんて」

 パイを投げたわけでもないのに申し訳なさそうに謝る芝山の隣で、容赦なく投げた張本人である灰羽と後ろを歩いていた夜久が笑っている。みょうじもそんなに怒ることあるんだなー、と黒尾にまで笑われた。いや、来て早々顔も髪もクリームまみれになったら誰だって怒るよ。黒尾たちを睨みつけていると、「どうぞ」と、海が濡れタオルを手渡してくれた。ありがとう、お母さん。けど、さりげなく海も私の後ろを歩いていたのは許さないよ。みんな芝山を見習ってほしい。

「改めて、追い出されに来てくれてありがとうございます!」
「言い方」

 あれよあれよと背中を押されて座った席は、三年生がど真ん中という席だった。主役は3年なのだから、もちろん視線は中央の席に集まるわけで。こんなことなら夜久を殴ってでも引きこもっていればよかった。すでに来たこと後悔していると、ノリノリで前に出てきた灰羽が、「司会進行役の灰羽です!」とおもちゃのマイクを持って元気に挨拶をしていた。
 そうして始まった追い出し会という名の送別会では、下級生たちが何人かで集まっていくつかの出し物を披露するのが恒例らしい。福永がなぜか直井コーチと漫才をしたり、灰羽をセンターに、一年生が流行りの曲を踊ったり。にこやかスマイルの灰羽の隣で手白が真顔だったのはだいぶシュールだった。そうやって中々に羽目を外していた部員たちだけれど、猫又監督も座りながら楽しそうに笑っていた。

「で、最後はみんなでバレーすると」
「そ。卒業生vs下級生」
「へえ」

 三年生は、黒尾と夜久、海。それからあまり話したことのない部員がちらほら。「ポジションどうする?」と腕を組んだ黒尾に、「折角だしマネ入れたらどうだ?」と誰かが言う。いやいや何言ってるの、と一人輪から外れていると、夜久と黒尾が「お、いいな」と同意した。そうなってしまえばあれよあれよとポジションが決められ、私はなぜかスタメンで試合に出ることになってしまった。

「よし、いつものあれやるか」
「だな」
「…え、待ってあれってまさか」

 思わず一歩引いた私の肩を、ぐっと黒尾が押さえつける。どうして私は黒尾の隣に並んでしまったのか。気づけば円陣を組むように同級生たちが集まっていて、拳を中央に突き出している。「みょうじも声出せよー」と笑う夜久に勢いよく首を振っていると、そんな私を見た海が笑った。そうしてみんなが笑い始めた頃、黒尾が「っし、いくぞー」と声を出す。うそでしょ、本当にやるの?

「俺たちは血液だ。滞りなく流れろ。酸素を回せ。W脳Wが正常に働くために!」

 行くぞオラァ!と声を張り上げた黒尾に続くようにして、部員が「オォー!」と叫ぶ。走り出す彼らの背中を目で追いながら、私は一人顔を覆い「さいあくだ…」と言葉をこぼした。

 
△▼△


 いつでも遊びに来てくださいね!と、下級生に見送られながら無事に追い出された私たちは、駅までの道を4人で歩いていた。この道を歩くのも今日で最後かあ、なんて考えていたら、全く同じ言葉を夜久が隣でこぼす。「そうだなァ…」なんて気の抜けた声で同意した黒尾の隣で海が笑った。

「みょうじ、いつから一人暮らし?」
「今週末に鍵受け取る予定」
「あのみょうじがねえ…」

 含みのある言い方をした黒尾に「何?」とじとりと視線を向ければ、「そこまで生活スキルがあるように見えないもので」と、黒尾は隠すこともなく言った。

「どこだっけ、渋谷?」
「んー、まあ、そこらへん。雪絵と家が近かった」
「まじで?」

 そんな偶然もあるんだなー、と笑う夜久の隣で「じゃあ安心だな」と黒尾が言った。黒尾は私のお父さんですか?黒尾を睨みつければ、思い出したかのように黒尾が「そういえば、マネちゃんズで卒業旅行行くんだろ?」と聞いてきたので頷きを返す。最初は私たちが潔子に会いに宮城に行こうとしていたのだが、それを聞いた潔子が「私も東京に行きたい」と言ったので、それなら皆で卒業旅行に行こうという話になったのだ。

「どこ行くんだっけ」
「大阪。雪絵がお好み焼き食べたいって」
「相変わらず白福は食のことしか考えてねえな」
「…潔子のローブ姿、楽しみ」
「え、てことは、まさかあのテーマパークに…!?」

 バッとこちらを見た黒尾と夜久に、今度はドヤ顔で頷きを返す。そう、そうなのだ。行き先は大阪にあるテーマパーク。折角だからと魔法のエリアで皆でローブと杖を買おうという話になっている。母親に「私の今までのお年玉をおろしてください」と頼み込んだのは記憶に新しい。人は多いだろうけれど、ローブを着てテーマパークを歩けばきっと大丈夫なはずだ。最悪フードもついてるし。「お土産よろしく」と笑った黒尾に、私は瞬きをする。

「いや、お土産買ってきても渡せないじゃん」
「は?なんで」
「いや…」

 もごりと口ごもる私に、黒尾ははあ?と首を傾げてからハッと思いついたように目を見開いた。「お前まさか…」とじとりと向けられた視線から逃げるように目を逸らせば、黒尾が「だーかーら!」と声を張り上げる。
 
「ホテルでも話したけど、俺らは卒業しても連絡するからな!?しつこいくらいするからな!」
「いやそれはちょっと…」
「ウルセー!みょうじの事だから自分から連絡するのはちょっと…とか思ってんのかもしれねーけど!こっちはいつでも連絡待ってますんでェ!な、やっくん!」
「俺は連絡するなら電話派だけどな」
「そういう事を言ってんじゃないの!ほんとこの同中コンビが!」

 それにインターハイも見にいくって約束しただろうが!とキレる黒尾に、なんだかむず痒さを感じていると、黒尾から「何ちょっと照れてんだよ!」とさらに怒りの声をいただいた。そんな私たちをにこやかに見守る海。なんだかいつも通りの風景に、ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、私たちが高校を卒業したということを忘れてしまいそうだった。
 私たちは、たった半年部活を共にしただけだった。けれど、その半年は、私にとってかけがえのないものだ。青春なんてとっくに焼却炉行き、だなんて思っていたあの頃の自分が知ったら、驚くだろうな。そんなきっかけを最初にくれたのが、目の前で怒鳴り散らしている黒尾だというのだから、人生何が起こるか分からないなと思う。
 そして私は、そんな彼らとの出会いと日々を、一生の宝物として大切にしていくのだろう。そんな確信がある。そんなことを思いながら、雲ひとつない空を見上げた。もうすぐ、新しい春がやってくる。

20230826 / 完
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