隠れ家から新しい家へ
 朝、いつものようにイヤホンをして机に顔を伏せていると、突然音が消えた。ゆるゆると顔をあげると、そこにはニヤニヤと笑う黒尾がいて、「ゲッ」っと声を出した。あからさまに嫌な顔をしてるであろう私を気にもせず、黒尾は「ちょっとちょっとみょうじサン〜?」とニヤニヤした顔をそのままにずいっと距離を縮めてきたので、慌てて後ずさる。
「昨日は夜久と授業抜け出してお楽しみだったみたいですねえ」なんて思ってもないことを言われたので、机の脇に引っ掛けていた自分のスクールバッグを持ち上げ、思い切り黒尾の体めがけて振り当てた。

「黒尾ウザい」
「辛辣〜」

 スクールバッグを当てられた本人は、ケラケラと笑って私の机に大きなエナメルバッグをドサリと置く。なんだよ屁でもないってか。というか、お前の席はここじゃない。黒尾のウザ絡みに嫌気がさした私は、黒尾の後ろにいる夜久に助けろ、と視線を向ける。普段なら助けてくれるはずの夜久は、何故だか申し訳なさそうに自分の顔の前で両手を合わせた。なるほど味方はここにはいないと。

「なんなの黒尾。ウザい。ほんとウザい。どっかいって」
「そんなこと言うなってみょうじ〜!」
「近い。寄るな。肩を組むな」
「いやあね?ボクがあの手この手使っても首を縦に振らなかったみょうじサンの突然の心変わりにびっくりしただけですよ」
「だから、それがウザいんだって」

 胡散臭い笑みと喋り方に鳥肌が立ってきた。その変な喋り方をやめろ、と目で訴えてみるも、黒尾は胡散臭い笑みで笑うだけ。どうやら黒尾は私が今まで断固として首を振っていた案件に、夜久の一言で頷いたのが気に食わなかったらしい。いや、この場合は興味とからかいも混ざっているか。

「ま、念願のマネージャーだからな。主将として歓迎しますよ」
「マネージャーじゃないし。見習い。お手伝いです」
「…お前も本当頑なだねぇ」

 あくまで見習い。そのスタンスは私の中で覆すことはない。だから入部届も出すつもりはないし、部活も毎日顔を出すつもりはない。そう黒尾と夜久に伝えれば、黒尾はきょとんとした顔をしてから「無理だろ」とゲラゲラ笑う。

「うちの部は部外者を易々と入れることはしないの」
「はあ?」
「入部届出さないやつは、体育館に入れませんよってこと」

 ピシャーン!と雷が落ちる。固まった私に、黒尾は「そんなんも知らずにOKしちゃったのみょうじサーン?」なんてゲラゲラ笑っている。なるほど、分かった。すー、はー、と深呼吸をして、口を開く。

「今更なしはダメだぞ」

 私が言おうとした言葉は、黒尾の一言により体の中へと戻っていく。ガーン、とショックを隠せない私に、ずっと黒尾と私を見守っていた夜久が、「ドンマイ」と呟いた。お前のせいだろうが。

 
△▼△


 放課後、泣きながら職員室に顔を出した私に、担任は驚いた顔をした。しかも、その私が持っていたのがバレー部のマネージャー希望の入部届だったものだから、さらに驚いて、椅子から転げ落ちていた。確かにこんな人見知り隠キャが突然運動部の、しかも陽キャみたいな部の入部届を持ってきたら、私でも驚くと思う。けど、さすがにその反応はひどいと思う。正直、私の涙が止まらなかったのは、担任の先生のせいも少しだけ入っている。
 そんなこんなで、泣きながら猫又監督と直井コーチと顔合わせをした。「入部はしますけど、見習いで…見習いでお願いします…!」と最後の悪足掻きをする私に、二人は困ったように笑っていたけど、なんだかんだで優しく迎え入れてくれた。ちなみに、主将であるはずの、黒尾と元凶である夜久は「先に部員に話を通しておくから」とかなんとか言って、さっさと部活に行ってしまっている。薄情者め。覚えてろ。

「今日からこのバレー部のマネージャーをしてくれる、みょうじだ。学年は3年。挨拶しとけよー」
「アッス!」

 体育館にいくなり、黒尾は私の背中を叩き、そう言って「はい解散ー」と手を叩く。さすがに雑すぎないか?ええ、と困惑していると、こちらを怪訝そうに見つめる孤爪と目が合った。その目は「人見知りのくせになんでここにいるの」と語っている。分かる。私もなんでここにいるんだろうって、ここに来てから100回は考えてる。

「みょうじサン!」
「ギャアア!」

 孤爪に気を取られていたせいか、背後からやってくる気配に気がつかず、肩に手を置かれたことに驚く。後ろを振り返って、その巨体にさらに驚き悲鳴をあげれば、巨体も驚いたようで「ウワアア!?」と悲鳴をあげていた。

「うるせえぞリエーフ!」
「す、すんません!」
「お前でかいんだからもっと屈め!そいつビビってるぞ」
 
 すぐさま夜久からボールが飛んできて、その巨体へと当たる。リエーフと呼ばれた男は、申し訳なさそうに眉を八の字にしながら、私の前にそっとしゃがみこんだ。

「驚かせて、すいません。灰羽リエーフ、一年です」
「……」
「基本マネージャー業務は一年がやってたので、教えてこいって黒尾さんに言われました!」
「……」
「え、まって、これ聞こえてます?おーい」

 聞こえてる。聞こえてるけど、言葉が出ない。何この人、すごくぐいぐい来るんだけど。思わず後ずされば、どこからか「あれ明らか人選ミスじゃね?」「そーか?いけると思ったんだけどなあ」と夜久と黒尾の会話が聞こえてくる。いけると思ったじゃねえよ黒尾。派遣された当の本人は、「おーいおーい」なんて私の目の前で手を振ったり「これ指何本に見えます?」なんてやっている。どうしたらいけると思ったのか教えてくれ!
 結局、芝山くんという名前の1年生男子が助けてくれるまで、この謎の絡みは続いたのだった。

 20230403
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